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スペインに秘められたもう一つの感情「深い内省」 〜 スペイン旅日記その4、トマティート&ミシェル・カミロ「Spain」アルバム評

「Spain」という名のアルバム

「スペイン」というタイトルのアルバムがある。
現代フランメンコギタリスト、トマティートと、ジャズピアニスト、ミシェル・カミロのコラボによるものだ。

この種のジャンルは、自分自身と向き合う、いわば内省の時間の友には最適だ。適度な距離感で、外側を流れていく心地よさがある。

聞いていると、自分の記憶の奥底に、あの日、気がついたスペインが持つもう一つの感情が沸き起こってきた。

サラマンカの熱狂

1997年夏。
僕はスペインにいた。

学園都市サラマンカ。
この都市で体験した圧倒的な「感情の静と動の揺れ動き」は前回書いた通り。


この記事で書いた、
日常的に沸いている非日常的な熱狂。

これは大広場を意味するプラサ・マジョールで夜な夜なくりひろげられていた。

しかし、スペインで日々を過ごすうちに、この街、いや、おそらくスペインの中小規模の街が共通して持っているであろう、もう一つの側面を目の当たりにすることになる。

それは、サラマンカという都市が刻んできた歴史の溝から発せられる圧倒的な静寂。

サラマンカの静寂

ある日、夜な夜な発現するあの非日常的な熱狂、言わばEvery Night Carnivalは、実は、プラサ・マジョールという大広場でのみ発露することに気がついた。

1997年当時、サラマンカという街は、中心部から数分郊外に歩みを向けるだけで、文明の香りが漂わない、時空に取り残されたかのような風景が広がっていた。

もちろん、道路は舗装されていて、車もそれなりに走ってはいるのだが、中央部とは確かに違う空間の広がりがあった。

圧倒的な土茶色の建物、橋梁、そして街の境界線の先には、おおらかな平原が広がっていく。

そのまま、「今は1700年の夏です」と言われても、つい信じ込んでしまいそうな、あまりにも現実的なデジャヴがそこにあった。

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(写真は著者撮影)

例えば、深夜。
大広場の喧騒を後にして、その場所に向かってみる。すると、あたりの風景は急激に闇の中に消えていく。グラデーションを書いたつもりが、インクをこぼしてしまって途中から全て真っ黒になってしまったかのように。

月が出ていなければ、隣の同僚の顔がやっと「顔だと」認識できるほどの暗さなのだ。

無論、そこには、あの大広場の喧騒は無い。ただただ夏草に隠れた虫が愛を囁き合っているのみなのだ。

松尾芭蕉がこの地にタイムスリップしてきたら、「夏草や兵どもが夢のあと」と詠んだに違いないと断言できるほどの静寂。

スペインのもう一つの顔を見たような気がした。

滞在が1か月近くなると、スペインは決して情熱の国ではなく、哀愁漂う国でもあると理解するようになっていたが、さらに、もしかすると深い内省の国なのかもしれないと思ったのだ。

圧倒的な静寂の中、眠れぬ夜に誰もが哲学的な妄想をしてしまうように。

哀愁の奥底には、深い内省があった。

非日常的な感情を曝け出すあの熱狂、日常的な風景に潜む哀愁、そして、それらの一番奥底に深い内省、より深い静寂があった。

フラメンコに漂う寂寥感

フラメンコが今の形になったのは割と新しく、現在的なスタイルになったのは1800年代末〜1900年代前後のことらしい。ここからさらにショーアップ化が進むのが80年代ごろだろうか。

ただ、この音楽が内包する歴史は、この音楽がフラメンコと呼ばれるはるか以前にさかのぼり、中世のジプシー音楽にたどり着く。東欧諸国や北部インドあたりで奏でられていた音楽が、融合し、変化していく過程で、フラメンコというスタイルになっていく。

その歴史の過程で、スペイン本土はイスラム帝国に蹂躙され、その後、フランコ将軍の独裁政権に蹂躙される。文化の断絶、融合がなされていく。その過程をこの音楽は生き延びてきた。

1997年の夏、フラメンコのステージを目の当たりにし、熱狂が頂点に達し、こちら側もある種の陶酔状態になった時、感じるのは高揚感ではなく、ある種の寂寥感だった。

それはおそらく、フラメンコという音楽の中に刻まれた歴史という溝から醸し出される匂いがそうさせたのだろう。

もっと言うと、スペインという国の歴史に刻まれた溝から醸し出される圧倒的な静寂と内省という匂いがそうさせたのかもしれない。

「スペイン」に漂う寂寥感

「スペイン」というタイトルのアルバムがある。
現代フランメンコギタリスト、トマティートと、ジャズピアニスト、ミシェル・カミロのコラボによるものだ。


冒頭、「Spain Intro」
あのアランフェス協奏曲のモチーフが奏でられる。
スペイン王宮の避暑地だったアランフェス。ギターとピアノが夏の日差しに照らされたこの場所の内包する悠久の寂しさを表現する。


続く「Spain」。
チック・コリアが紡いだ、この弾むメロディも、どこか儚さを醸し出している。

「Besame Mucho」も、原曲に漂う熱帯の蒸し暑い夜の秘め事のようなムードは無く、熱帯夜のもやの中に秘められた二人の寂しさをなぞっているかのように流れていく。

都会的に洗練された楽曲も、懐かしさを感じさせる楽曲も、シエスタの街並みのような静けさがある。

そう、このアルバムは、スペインがもつ哀愁と静寂を詰め込んでいるのだ。ここには、夏の熱帯夜に毎晩繰り広げられていたあの非日常な熱狂は無い。ここには、スペインという国が持っているであろう、1997年夏に感じたある種の感情が詰め込まれている。

この作品に流れている音は、きっとスペインの本質そのものなのだと思う。

この音が自分の内省と、スペインの持つ深い内省を紐付けたのだろうか。

それは例えるならば真冬の夜の夢、、のように。

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