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自然の音の世界の先に「音のない世界」があった ~ アラスカ旅日記Vol.1、「Sound of Silence」

アラスカ旅日記

2002年という微妙な時期に、アラスカを訪れたのには理由があって。

ちょうどその時、社会人生活に行き詰まりを感じていたからなんです。当時所属していた部門の雰囲気にも馴染めていないし。

そんな時、1年前、群馬で知った星野道夫さんの世界を思い出したんです。

星野さんの写真にあるような原野の真っただ中には、たぶん行けないけれど、それに近い雰囲気を感じることができる場所がきっとあるだろう。そして、なんとなくこの閉鎖感を抜け出せるかもしれない。そんな思いがありました。

結果、閉鎖感は、しばらく残っていたし、それによるストレスも少し続いたんですが、この地を訪れたことで、変化の兆しが見て取れたような気がします。

実際、この旅の数年後から、個人的に10年サイクルで回ってくる幸運のタイミングがやってきましたし。

そんなアラスカの思い出を何回かに分けて綴ってみようと思います。

フェアバンクスという町のこと

フェアバンクスは星野さんが住んでいた町でもあるし、アラスカ大学がある街でもあります。町はさほど大きくない印象。

この町を拠点として、数日間を過ごすことにしていました。その数日間のエピソードは以下の通り。

・音のない世界
・オーロラの見える町

今回は音のない世界について。

北極圏へのバスツアーに参加した道中の出来事。


音のない世界。

普段、僕たちは、たくさんの音に囲まれています。今、こうしているときにも、車のエンジン音、誰かの話声、風が吹いて木が揺れる音、鳥の鳴き声、料理をする音、換気扇の音、、。

あえてその日常生活の中で、音を分類するならば、まずは、「音楽」と「音」。音楽は人が奏でて音楽になるので、意識的なものがほとんどですが、それ以外を単に「音」としてみました。

この「音」もさらに分解出来て、「人工的な音」と「自然の音(人の声とか)」に分けられます。日常世界では、こういった音に囲まれています。

深夜の寝室でも、田舎の旅館の一室の中でも、耳をすませば、何かの音が聞こえていると思います。

僕がアラスカで体感したのは、後者の「自然の音」しかしない世界です。これだけでも圧倒的な感動がありました。どれだけ普段、騒々しい音に囲まれていたのかがわかります。そして、その先にある世界も。

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バスを降り、同行メンバーからも、あえてかなり離れて一人歩き始めました。すでにその段階で「自然の音」しかしません。その場所は、大きな木もなく、川もなく、草が点在している平原でした。時折吹き付ける風が、草をゆすり、風が空気を切る音、草が揺れる音が聞こえてきます。

それ以外は、聞こえない世界がそこにありました。静かな感動が僕を包み込みました。ただただその中にいて、その感覚を感じておりました。

そして。

吹いていた風が、その活動をやめてひとときの休息にむかったある一瞬。

そのときが訪れました。

「音のない世界」がそこにありました。

それは、ほんの一瞬の圧倒的な静寂。

立ち現れた「音のない世界」。この、ほんの一瞬、静かな恐怖が僕を包み込みました。ただただその中にいて、その感覚を感じておりました。

あまりにも異質なその世界は、圧倒的な非日常とでも言えるもので、そこには、ほのかにカラダの芯から沸き起こってくる恐怖心がありました。

耳が聞こえなくなったのではないか?音を感じることができなくなったのではないか?世界が変わってしまったのではないか?一瞬の恐怖の後に、そんな思いが瞬間的に出現しました。

ふと、風が休憩時間を終え、活動を再開し、草たちがそれに合わせてリズムを取り始めました。

そう「自然の音の世界」が再び現れたのです。

静かな安堵が僕を包み込み始めました。ただただその中にいて、その感覚を感じておりました。安心感からか、どことなく、心が暖まり、同行していた方々の方に向かいたいという気持ちが沸き起こってきました。

北極圏への旅

僕がこんな風な体感をしたのは、フェアバンクスから北極圏への往復ツアーの途上でした。想像以上に大きくて広いユーコン川の流れに雄大な人生観を感じたり、そのあたりを歩いている熊をバスからじっと眺めてみたり。

または巨大人造構造物である、パイプラインを目の当たりにして、このパイプラインを北の端から南端の街まで作ってしまう人類の粘り強さにも不思議な感銘を覚えるなど、道中はとても興味深い体験が多かったんです。

が、やはり、「自然の音への感動」と「音のない世界で感じた一瞬の恐怖」と、「その先の自然の音のある世界への安堵」を感じた、あの「音のない世界」の思い出はそれらを凌駕するんです。

あの時期、何事かに行き詰まりを感じていたタイミングで、「この」世界を感じることができたのは僥倖でした。誰も介在することのできない時間と世界。その体感は確実に今の僕の何事かを形成しているように思うんです。

The Sound of Silence

最後に、この時のことを、後から振り返ってみて、「音のない世界」に音楽が流れているとしたら。そんなことを考えて、この曲をお送りします。


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