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"Long-time Commuter" 長時間通勤から考える多様性

 今回は一風変わったnoteを書いていこうと思います。皆さんは交通機関による通勤(・通学)にどの程度時間を費やしていますか?在宅で0分通勤?羨ましい…
 僕は現在、一日3時間半ほど通勤に使っています。コロナの影響でガラリと世の中が変わり、自宅にネット環境と端末があれば、もはや通勤・通学しなくても労働でき、学習でき、用事を済ませることができる時代に突入しましたね。僕自身、今の通勤時間が本当に必要なのかを改めて考えるようになったので、今日は通勤時間と最後にそこから飛躍した個人の考えについて書いてみました。

最初は "一人になれる有意義な時間" だった

 まず、個人的な話からさせていただきます。現在、二人の娘の子育てのため妻の実家近くで暮らして約3年になります。現在の住まいに引っ越すにあたり、通勤時間は片道少なくとも1時間半以上かかるため、仕事の日は往復で3時間半近く通勤に使っています。
 最初は "一人になれる有意義な時間" でしたね。結婚して子供が生まれてからというもの、なかなか自宅で一人の時間を捻出することに苦労していました。毎日の通勤時間が一人で考え事をしたり、音楽を聴いたり、動画を見たり、読書をしたり、たまにはゲームをしたみたり、noteを書いたり、スマホ1台あれば本当に沢山のことができます。通勤で徒歩を除いた時間は電車の中で過ごすため、一日2時間半ほど電車で過ごしていることになります。一日2時間半もあれば、1週間に1冊は本を読み終えられます。1週間に2~3noteくらいは書けるでしょうか。資格の勉強もできます!長時間通勤を有効活用しようと、様々なことを電車でやるようになりました。家に帰ったら家事と育児が待っていますが、家事育児をしながらも一日にこれだけの時間がもらえるのだから… と自分に言い聞かせていたように思います。

長時間通勤のデメリット

 通勤時間が長いのは意外とメリットが多くて良いのでは?というわけでもありません。やはり、皆さんも想像するデメリットが存在します。

 | 満員電車のストレス
 学生時代含めて首都圏で通学・通勤を経験したことのある方はよくご存知かと思いますが、人口密度が高い場所での通学・通勤は甚だしくストレスフルです。なるべく周りに迷惑がかからないようカバンを前に抱えたり、車両の奥の方に詰めて乗ったりします。それだけではなく、乗降者時や乗り換え時の人込みを避ける技術、その際にかかる心身の疲れはなかなかのものですよね。一つ一つや一日一日の出来事はほんの些細なものかもしれませんが、毎日続くと仕事に行きたくなったり、帰宅後はもう何もしたくないといった気分になります。

 | 乗り換えのツラさ
 今までそれほど気にしてこなかったのですが、乗り換えがあるというのも結構なストレスがかかることに気が付きました。乗降者時に人にぶつかるなど、満員電車だと乗り降りにストレスがかかったり、ICカードが改札機に読み取られずに足踏み… なんてことも日常茶飯事。
 それ以外にも、僕は電車内で読書をしたり、動画を見たりしますが、乗り換え時に途切れてしまうという些細なことも気になり始めました。特に読書は集中して読まないと、頭に内容が入ってこないため、降車駅を気にしながらだと、集中力も途切れ途切れになるし、乗り換え時に一度本を閉じて、また次の電車に乗った時に本を開くと、集中力が切れてしまって読むのを諦めてしまうことが多くなりました。

 | 大人しく電車に乗っている人ばかりではない
 乗客全員がマナーを守ったり、周りに配慮して乗車しているわけではありません。それぞれの降りる駅によって車内のポジション争いが激化することもあるし、ガラの悪い人はぶつかった時や靴を踏まれた時に怒号を発する人もいらっしゃいます。席移動や車両移動ができるならそうしたいのですが、満員電車の込み具合ではそうもいきません。万が一、問題に巻き込まれてしまったらややこしいので、なるべくそういった影響を受けないようなポジションに身を置くように意識して電車に乗るのもなかなか疲労感の溜まる毎日ですね。

 | 心身の疲労
 どうしても通勤時間が長くなると、スマホに手が伸びがちです。そうなると、やはり目に疲れが溜まり、そこから肩凝りや頭痛のような症状とも付き合っていかなければなりません。また、朝に1時間半以上も通勤すると、職場の最寄り駅についた時には「今日も一日よく頑張った」というくらい疲弊しています。そこから徒歩で職場まで行くと、そこからようやく仕事が始まるのは何とも気の重い毎日です。そして、仕事が終わったらまた1時間半以上もかけて帰宅します。その後に家事育児をするのはなかなか骨が折れますよ~。

 (あえて、デメリットを多く書きました…)

最大の悩み "悩むことが習慣化した" こと

 ほとんどの場合、通勤時間は誰とも喋らない一人の時間です。おそらく多くの人が通勤時間中はほとんどスマホと向き合っていますが、何か情報が入る度に何かを考え、スマホをポケットにしまってもやはり何かを考えるでしょう。僕の場合、その通勤時間たるや年間で約2ヶ月分に相当します。2年半ほどそんな日々を過ごしたある日、僕はこんなことを思いました…

" こんなに毎日電車に乗って、俺は何をしてるんやろか… "

 仕事や仕事と家庭のバランスで悩みが続いた結果、通勤時間が悩む時間になってしまいました。仕事中や家に居る時は、仕事に集中したり家事育児に奔走する日々なので、通勤時間が自然と何かを考える時間になっていきました。最近では音楽を聴いていても右から左に流れていくだけで、頭の中ではネガティブな悩みが自然と湧き出てくるような感覚が続いています。それが習慣化してしまい、電車の中で他のことをしようにも悩みが先に出てきて、読書も動画も集中できないようになってしまいました。

 そして僕は、現在の仕事を退職することに決めました。通勤時間だけが理由ではないにせよ、その内の一つであることは間違いありません。職場にも在宅勤務ができないなら、この通勤時間を続けていくことが難しいと告げました。家族のために住まいを移したのは自己都合なので、何とも職場には申し訳ない限りですが、仕事のために生きているのではなく、家族と生きるために仕事をしているので、仕事の方を動かす決意をしました。

Long-time Commuter

 僕は現在の家に引っ越す前、もちろん片道2時間くらいになるかもしれないということは承知していました。最初の想定では、メリットの部分が有効的に使えるだろうと考えていたので、長時間の通勤をそれほど問題視していませんでした。前述した通り、一人になれることは有意義な時間であり、メリットの部分はあります。
 しかし、電車の中でやれることが限られているのも事実です。Long-time Commuter のデメリットをもう一つ挙げるなら、やることが限定されてしまうことだと思いました。早く家に帰ればその分早く家事に取り掛かれるし、早く家事を片付ければやりたいことをする時間も捻出できます。僕は「妻の実家近くで子育てしたい」という今一番大事にしたいことを軸にした結果、転職をするという決断に至りました。他の選択肢を実行していれば、今の仕事を辞めずに済んだかもしれません。それでも、僕は今住んでいる場所が好きだし、妻も住み慣れた地域での子育てによって昔からの友人らとも接することができますし、娘と義両親が毎週のように触れ合ってコミュニケーションを取っている姿を見ると、本当にここに引っ越してきて良かったと思えます。
 
 在宅勤務にも、Long-time Commuter にも、それぞれメリット・デメリットは存在すると思います。しかし、大事なことは「選択できる」ことだと思います。在宅勤務ができる仕事であっても、在宅だけでは難しい業務が発生することもあるでしょう。時には出社することで解決することもあると思います。逆に、在宅可能な仕事にも関わらず、毎日出社する必要性は果たしてあるのでしょうか。何事も「選択できる」「自由がある」ことはとても大事だと思ったのです。

限定される世界から、多様性の世界へ

 最後の最後に話が逸れます。あらゆることが自由になったこの世の中では、「限定される」ということにストレスを感じる人がとても多くなるのではないかと考えています。今まで仕方ないと割り切れたことでも、あまりに自由な世の中になったことで、「私はマイノリティだけど、自分の生きたい(行きたい)道を選んでもいいのではないか」と思わせてくれるようになりました。僕は懸念を持ちつつも、この自由な世の中を歓迎している人間の一人です。誰しもが、それぞれに適したもの、求めるものを選べることが大切です。
 しかし、最も大切なことは、それぞれの選択肢を周りが受け入れることではないかと思います。実現可能なことは積極的に進めていかなければ、遅れをとる時代になりました。例を挙げるならば、同性婚、選択的夫婦別姓も大きな枠で捉えると、限定された世界からの開放です。身体的性別に関わらず、お互いに生涯を共にしたい人同士が結婚し、子供が欲しければ養子を招くこともできます。結婚する時にお互いの生きてきた姓を尊重したいなら、別姓で籍を入れてもいい。しかし、現実的にはそれが法律で認められていない。確かにマジョリティの意見は民主主義や組織の方向性を位置づける上で必要です。だからと言って、自分が関与しない「他人の選択できる世界」までもマジョリティのルールで限定してしまう必要はあるのでしょうか。多様性というのはマイノリティに合わせて世の中を統一するのではなく、マジョリティはそのままに、マイノリティを受け入れる世の中を作るという意味だと僕は捉えています。しかし、どうも世の中にはマイノリティが主流になるかのような極端に捉える人がいるようにも見受けられます。もちろん、マイノリティを受け入れる上でのルール作りは必要です。しかし、人間は十人十色です。一人の人間でも、ある分野ではマジョリティにカテゴライズされても、別の分野ではマイノリティにカテゴライズされることもあるでしょう。それぞれがマジョリティであり、マイノリティであることから、お互いがお互いを尊重し合い、より良い世の中にしていくことが人間の究極的な幸福論ではないかとさえ思います。

 長時間通勤者という面白味のない話題から始まり、最後はダイバーシティにまで飛躍してしまいましたね。通勤に話を戻すと、在宅可能な仕事なら、通勤する人を優遇するなどして、選択肢のある組織作りをすることで優良な人材確保に繋がると考えます。この先、益々日本社会は子供の数が減少すると言われています。出生率も右肩下がりです。若い人材はどんどん減っていき、優秀な人は優良企業により集中していくことでしょう。個人は多様性に対応できるキャリア構築が必要とされ、組織はそんな個人を受け入れられる器が必要な世の中になっていくのではないでしょうか。そんなことを考えながら、Long-time Commuter としての残り2ヶ月を有意義な時間にしていきたいと思います。

 今週は4本分のnoteを連投しました。ストックが無くなったので、また気分が乗ったときに書いていきたいと思います。

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