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「LPをエルスールで何回か触らしていただいた」

(4 min read)

という、あるかたのツイートを読み、ウゲェ〜となりました。もうバカバカしくて。まるで宝石とか女性のアソコとかを触らせていただいたとか、そういう感覚なんですよねえ、たぶん。ぼくとは姿勢が180度違います。ぼくにとっての音楽レコード(CD)は消耗品みたいなもんで、大切なのは聴ける音楽、つまりかたちになっておらず物体的に触ることすらもできない「音」であって、レコード(CD)は容れ物にすぎないからと思っています。

CD の時代になってからいっそうこの物体レコード崇拝みたいなことが進んでしまったような気がしますね。CD は大量生産大量消費の品であるけれども、いっぽうアナログ・レコードは稀覯な貴重品で、なんというか見たら触ったら減るとか、大切なものを慎重に扱うような、そう、美術品とか骨董とかって現物になかなか触れませんよね。展示会なんかでも「お手を触れないようにお願いします」とか注意書きがしてあったりして。

実を言うと貴重な美術品や稀覯本なんかでも触るなという考えがぼくは理解できない人間なんですけど、紙質など年数が経過してもろくなっている状態のものにはなるべく刺激を与えないようにするというのは理にかなっているんだとは思います。それに見るだけで価値のわかるものだし。いっぽう音楽レコードは見ることに価値がありますか?見れば音が聴こえてきますか?なんだったら触ったって音楽は聴こえないですよ。針でガリガリやらないと(あぁオソロシイ)音楽が再生できないんですからね。

あるいは CD に対してだってこの物体観賞信仰みたいな発想がはびこっているかもしれません。なんというバカバカしい発想でしょう。肝心なのは物体を眺めたり触ったりすることじゃなくて、それを再生装置にかけて音楽を聴くことじゃないんですか。聴こえてくる音楽こそ至高の美で、それをこそぼくは崇拝しますけどね。目にも見えず触れもしないものですから、音楽って、だから信仰・崇拝といっても実体がないことですけれども。

そう、だから空気の振動である音楽そのもののことを言うのなら、ぼくは「聴かせていただいた」というようなスタイルのことばを発してもいいという気分があります。このへんがですね、宗教信仰なんかとおんなじで、音とか神だとか信仰心だとかは目に見えないし触れもしないわけです。だからなんだかそれじゃあ頼りなくて、なんらかの具現物体化した表象をとっかかりとするというのは理解できないでもないですけどね。壺だとか絵画だとか写真だとか、なんらかの具象物を宗教関係者や信者はよく使いますよね。

音楽信仰もそれに似て、音そのものは見えないから、実体がないから、それを収納した(本来的に音楽とは関係なんかない)レコードや CD といったフィジカルを崇め奉る、目に入れさせていただく、触らせていただく、ことである種の代償行為というか、一定の納得感、満足感を得るといったことがあるんでしょうかね。納得できない発想だとぼくだったら思いますけど。

物体を信仰観賞収集する趣味のないぼくが(コンサート・チケット半券もすぐ捨てるしメモラビリアも買わない)、だからすんなり(でもなかったんだけど)配信、ストリーミング聴きの世界に移行できたのは、ある意味わかりやすいことです。音が好き、音楽が好きなだけであって、それを入れてある容器はどうでもいいんですよ。レコードでもカセットテープでも CD でもスティック型メモリーでも、ディスクじゃなければ管でも紙でも、なんでもいいんです。それをあがめたり、触らせていただいたなんていうたぐいの発言が出てくるような、そんな気質はぼくには1ミリもありません。

(written 2020.5.18)

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