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最愛...鄧麗君

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最愛...鄧麗君

今年はじめごろSpotifyに登場した公式プレイリスト『最愛...鄧麗君』。愛聴しています。テレサの代表的な歌を中国語のものも日本語のものもとりまぜていっしょくたで流してくれるというもので、50曲三時間弱、これ一個あればだいたいわかるとしても過言でもないような。

台湾出身のテレサは日本でも(それこそ東アジア全域で)かなり活躍したので、いまだそれをよく憶えているファンが相当な数いて、当時を知らない若手歌手のなかにもお手本とするひとは多いし、演歌歌謡曲の歴史に名を残す大きなスターとしてしっかり認識されています。

でもちょっとくやしいなと日頃からぼくが感じているのは、テレサの日本語の歌と中国語の歌を聴く層が分離して重なっていないこともあるようにみえていること。それじゃあこの大歌手の真価を理解できないですよ。プレイリスト『最愛...鄧麗君』では区別せず流れてくるので、あらためてこのことを思い出しました。

中国語圏でのスタンダードもあれば、日本語で歌ったみずからのレパートリーだけでなく有名演歌歌謡曲のカヴァーも多数あり、また日本語で最初歌ったものを中国語に翻案して歌いなお(すことをテレサはよくやった)してあるものだってどんどん流れてきて、傾向というかこのプレイリストには一定のポリシーみたいなものがないのかなとは感じるんですが。

でもテレサ本人は中国語の歌も日本語の歌もぜんぜん区別なんかしていなかったんだよなあということもよくわかります。そのへん、どうも、日本人演歌ファンはそっちばっかり聴いて中国語圏スターとしてのテレサを聴かないし、(主に中村とうようさんの手引きで)鄧麗君を聴くようになったワールド・ミュージック・ファンは、演歌歌謡歌手テレサなんて…と見向きもしない。

もったいないですよ。東アジア全域で大活躍し急逝したテレサの歌のほんとうの魅力をちゃんとしっかりとらえたいなら、中国語の歌も日本語の歌もおんなじように並べてどっちも差別せず聴いたほうがいいと思います。それがテレサを理解し、歌手としての全貌に寄り添うことなんですから。

それからもう一個。これは最近ふだんから言っていますが、感情の激しい起伏をともなわない、エモーショナルというよりクールな、す〜っとなめらかでおだやかで静かな音楽が、ここ数年グローバル規模で流行し、確固たるトレンドとなっていますよね。テレサはそんな世界の完璧なる先駆けだったのではないでしょうか。

コンテンポラリー・ポップスのそんなトレンドがはっきりしてきた2020年代だからこそ、テレサみたいなおだやかに歌の世界をそのまま強い個性を込めずに届けてくれていた歌手が、ふたたび脚光を浴びてもいいような気がしますよ。

(written 2022.7.18)

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