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ディーノ・ディサンティアーゴの点描画法 〜『Mundu Môbu』

(5 min read)

Dino D’Santiago / Mundu Nôbu

bunboni さんに教えていただきました。

傑作でしょう。いいジャケットですよね、見た瞬間になにか直感するものがあって聴いたディーノ・ディサンティアーゴ(Dino D’Santiago、ポルトガル)の2018年作『Mundu Môbu』。はじめて聴いた音楽家でしたが、すっかり気に入ってしまいました。音の質感というかテクスチャーがたいへんぼく好みなんですね。サウンドの組み立てはほぼコンピューターで出す打楽器音が中心で、+ギターとか鍵盤とかも聴こえますけど、いちばん好ましく思うのはデジタルな打楽器音です。

デジタルなんですけど、まるで生楽器のように生きているみたいでしょう。呼吸して躍動しているように聴こえます。そして乾いていて、同時にしっとり暗いダウナーなフィーリングもありますよね。ことにちょっとダブふうに音が漂うこのスネアみたいなサウンド、シェイカーというかはさみでチョキチョキやっているようなサウンド、ブラシでドラム・セットを演奏しているみたいなシュッシュッっていうサウンドなど、それがまばらにミックスされている1曲目のアルバム・タイトル曲のサウンド・プロダクションですっかりトリコになりました。

たしかにギターとか鍵盤楽器などみたいに鮮明な旋律や和音を演奏できる楽器も一部で、しかもかなり控えめに入っているんですけど、このアルバムのサウンドの主役はあくまでデジタル・パーカッションだと思うんですね。それにくわえディーノの(多重録音)ヴォーカルが乗っかっているという。スカスカな、しかもダウナーなフィーリングの強い音の組み立ては、ぼくにはスライ&ザ・ファミリー・ストーンの『暴動』やサラ・タヴァレスの『FItxadu』を連想させます。

スライやサラのああいった音楽は絶望をベースにしていたわけですが、ディーノになにがあるのかはまったく知りません。むしろ音楽的にはハッピーというか充実しているみたいですよね。リスボンに住むカーボ・ヴェルデ系のポルトガル人である2018年のディーノに、ことさら強い人間的落ち込みがあるのかわかりませんが、このアルバムの音楽はそういった部分から生まれてきているわけじゃないんだなと思います。

『Mundu Môbu』全編で感じるこのしっとり感というかダウナーでヘヴィなサウンドやリズムのフィーリングは、2018年ともなればこういった音楽性がすっかり時代の空気となって定着しているからかもしれないですね。現代のアフロビアン・ミュージックを構築するのにこんなサウンドは不可欠なのだと。楽しく跳ねるような感触はまるでなく、落ち込みというか暗くたたずむ落ち着きが聴けるなと思います。

このアルバムでは、そんなフィーリングを表現するために用いられているどんな楽器も集団では鳴らさず(ギターや鍵盤などはあまりコードを弾かずシングル・トーン中心)、モノ・トーンを点描的に折り重ねるようにしてアンサンブル、というかバック・トラックができていますよね。ぼくがいちばん気に入っているのはそこなんです。(デジタル・)パーカッションでもどんな楽器でもちょっとづつシングル・ノートを演奏して、一音づつ、しかもすこしづつずらして、その結果多層性を獲得するように、重ねられているところ。

そんな手法を採用した結果、点描画法が独自のグルーヴを産むことになっているし、ビートは躍動的でありつつナマナマしい肉感性をムキだしにしているなと感じます。そうかと思うと曲のメロディは聴きやすく親しみやすいもので、サウンドの地味で暗い印象とある意味よくブレンドして、アルバム全体の印象をぐっと向上させています。こういったダウナーで点描的なサウンドそれじたいはとっつきにくいものかもしれないんですけど。

デジタル・パーカッション+ヴォーカルで構成されていると言ってもいいくらいなこのアルバム『Mundu Môbu』ですけれど、主役の歌も決して歌い上げ系ではなく、低くたなびき静かに落ち着いて漂っているような感じ。それもこういったサウンドによくマッチしていますね。

(written 2020.4.26)

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