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ウィズ・ストリングスで聴かせたウィントンの気概 in 『ホット・ハウス・フラワーズ』

(4 min read)

Wynton Marsalis / Hot House Flowers

ジャズ・トランペッター、ウィントン・マルサリスのウィズ・ストリングス・アルバム『ホット・ハウス・フラワーズ』(1984)は、レコード・リリース当時どうもピンとこない作品でした。なにをやりたいのか意図がぼやけて不鮮明な気がして。

しかしこないだちょっと思い出すことがあって超久々に聴きなおしてみたら、けっこういいじゃんと思えましたからね。やっぱりね、売っちゃうなんて問題外(個人的には)、即断せず数十年経ってもあらためてまた聴いてみるっていうのが大事ですよ(ぼくはしつこい)。それくらい時間がかかる作品もあります。のろまなもんで。

ウィントンのこれはあきらかにクリフォード・ ブラウンの『ウィズ・ストリングス』(1955)を反面教師的に意識したアルバムだったんだなということが、いまとなっては鮮明に伝わってきます。ストリングス伴奏もので口あたりの鋭い辛口のものができるんだぞって証明したかったっていうような感じでしょうか。

個人の嗜好としてはですね、甘口音楽も大好きなんで、もとから甘いものはとことん大甘に仕上げてくれてこそすばらしい、そのほうがおいしいと思っている音楽好きで、そのことと、情緒感を薄くした辛口のものも好きっていうのは両面あいならび双立するんですよ。あんまり甘党 or 辛党どっち?みたいな二者択一発想をしてほしくないなと(食の面でも)ふだんから考えています。

なもんで、ブラウニーのウィズ・ストリングスもかなり好きなんですね、ぼくは。ですけれど、玄人筋や評論家たちからは散々な評価を受けてきたというのも事実。きびしいかたからは「駄盤」と一刀両断されたりして、聴く価値なしだとの見かたがジャズ聴きのあいだでは一般的でしたよね。

トランペッターとしてはウィントンも尊敬している存在なので、同じ楽器、同じウィズ・ストリングスものをやって、同じ轍を踏まないようなアルバムをつくりたかった、辛口で、耳の肥えたリスナーをうならせるようなものを、っていうのが『ホット・ハウス・フラワーズ』制作の根底にあったんじゃないでしょうか。

ブラウニーのを意識したっていうのは、そのラストに収録されていた「スターダスト」をウィントンのほうは1曲目に置いたのでもよくわかります。そのほか「フォー・オール・ウィ・ノウ」「星に願いを」「アイム・コンフェッシン」などの定番スタンダードもとりあげていて、いずれもスウィートなリリカルさを消した演奏に徹しています。

この意図をプロデューサーやストリングス・アレンジャーもよく理解しているのがサウンドを聴いているとわかりますよね。メロディ展開、ハーモニー構成や転調、リズム面での大胆な工夫など、どれもブラウニーのものでは考えられなかった実験に挑んでいて、ただのパス・タイム的ストリングスものに終わらせないスリルを生み出しています。

好みだけからいえば、上で書いたようにもともとリリカルなチャームを持っている曲はそれを最大限に活かすような甘いアレンジと演奏がより楽しめるよなあと思わないでもないんですが、ウィントンの気概みたいなものをいまでは素直に評価したいと思えるようになってきました。

(written 2023.5.2)

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