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給食がぼくのトラウマだった

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高校生になったら昼食はお弁当になりましたから悩みから解放されたんですが、小中学校のときは強制的に給食で、ぼくは偏食人間だったからお昼ごはんタイムが憂鬱でした、毎日。食事って楽しいもののはずなのに、つらかった。

なにが食べられなかったの?なんて、そ〜りゃとにかくいっぱいあったから説明なんてできません。とにかくとんでもない偏食人間でした(いまはちょっとマシになっていると思う)。だれでも多少食材や味つけの好嫌はあると思うのに、学校価値観の世界では<偏食 = ダメ、許されない>となってしまいます。

献立表があってあらかじめ決まった固定メニューを必ず残さず食べなくてはならない、食べなかったらその日の昼食は抜きということになってしまう学校給食の世界ってなんなのか?小学生なりに不思議というかある種の理不尽さ、不条理を感じていました。

あんなにも給食タイムが苦痛だったのは、食べられないものが多く出たからっていうことより以上に、なにより小学校時代の担任教師の給食指導法に大きな原因がありました。いま考えたら指導や教育でもなかったと思うんですが、強く叱られて、食べないお皿を手に持たせ教室の後ろにずっと立たせるんです「食べるまでそのまま立っていろ」と言って。

ときどきは他クラスの生徒にも見せつけるように(すっかり冷えたお皿を持ったまま)教室の外の廊下に立たせ、午後の授業に参加させてもらえず、放課後になってみんなが下校しても帰してもらえず、じっと立たせたままだったりもしました。お皿じゃなく水の入ったバケツを持たされたことだってあります。おかしいでしょう。

ぼく世代が小学生のころは、旧日本軍式で育った年配教師がまだ残っていて、そんなやりかたがひろく学校現場で行われていましたよね。前段で書いたような方式がそうなんだというのは小中学校も卒業してのち、テレビ・ドラマとかで戦中事情を描いたものを見るようになって、「あぁこういうことか」と理解するようになったからです。

そんな懲罰方式で苦手なものを食べられるようになるわけもなく、ってかそもそも偏食って大人になってからですらだれかに指導されてなおるものなんかじゃないし、だれだって多少の偏食はあるし、ぼくはその程度がひどくきわだっていたんで目をつけられていたんですけど、だから学校給食というシステムじたいが非人間的でしょうね。

飢餓状態にあっても口をつける気にならないものを、いくらおいしいからと周囲に言われても、教師にどんな指導をされても、食べられるようになんかなんないです。歳を重ね食の嗜好が変化したので、ナチュラルに偏食傾向が自動修正されるようになってきているのであって、学校における押しつけ教育はほんとうによくない。

(written 2022.11.12)

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