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いい音には慣れてしまう

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いいオーディオ装置でいい録音の CD なりなんなりをいい音質で聴くというのは、人間の健康みたいなもので、慣れちゃうんですよね。慣れちゃってふだんは忘れていて感謝すらしていないよう感じになるんじゃないかと思うんです。だから再生不良になったときにはじめてハッ!と気がついて、人間だって健康のありがたみを病気になったときにはじめて感じるように、音の不調のときになってはじめて良音質のありがたみに気が付くということじゃないかと。

個人的にはそんなに高価で高性能のオーディオ装置は買ったことがありませんが、それでもそこそこ満足できる音質で聴いてきたつもりです。オーディオ装置の刷新はいままでの人生でなんどかありました。大学院進学のため上京した際、就職してある程度お金を出して装置を買ったとき、1999年12月に JBL のそこそこいいスピーカーを買ったとき、そのスピーカーを愛用していましたがダメになったので2017年にふたたび JBL の新型スピーカーを、それも四台、それと同時に DENON のいいアンプも買ったとき。

そのたびごとに、新しい装置を買って音を出すとオォ〜って思うんですよね。びっくりするっていうか、こんないい音を自宅で聴けるなんて…、って感動しちゃうわけです。そんな高揚気分がしばらく続くんですけど、時間が経つにつれ、それに慣れちゃってあたりまえになって、なにも感じなくなってしまうというのが常です。それで長い時間が経過して、いざ故障したのなんだので再生具合が悪くなると、途端にそれまでの健康状態があたりまえじゃなかったんだなって気づくんですね。

いい音っていうのは自然な音ってことですから、そのこともあって慣れちゃってあたりまえになってしまうんでしょう。いつもいつも自然なサウンドを自室で再生できるのは本当にありがたいことで感謝しなくちゃいけないことなんですけれども、ふだん毎日浴びるようにどんどん聴いていますから不可視化されちゃって、その存在を、ありがたみを、忘れているというようなことがあるように思うんですね。

で、故障したとか断線したとか具合が悪いとかで良好音質での再生がプツッと(一時的に)不可能になって、それではじめて自覚できるということなんです。こういったたぐいのことは音楽ストリーミング・サービスのありがたみについても言えることでしょう。電波でどんどん流れてきていますから、そもそも音源も(物体に入っていないし)見えないから意識しないですよね、ふだんは。切れ目なくどんどん流れきて、それがあたりまえになっていますが、電波でつなぐネット再生ですから、ときどき音が途切れたりしてそれではじめてサービスの存在、ありがたさに気がつきます。

オーディオ装置のばあいは、上で書きましたように四回大きな刷新があって(それ以外でもちょこちょこ交換していますが)、そのたびに音がよくなったとそのときは実感して、しばらくのあいだは感動が持続していますが、長くはもちません。毎日毎日それで聴くわけですから次第に無味無臭透明の空気みたいになってしまって、存在すら忘れてしまうんですね。何年か経って装置を一新するとまた同じことのくりかえしで。

いちばん最近のオーディオ装置大刷新だった2017年夏には、わりといいアンプとスピーカーを買ったんですよ。出てくる音のすばらしさ、自然なバランスにそりゃもう感動しきりで、でも約二年半ほどが経過した現在ではなんとも感じていませんからね。たまに高音質盤とかをかけるとオォ〜と思う程度で、ふだんどんどん聴いている音楽については音質で感動するなんてことはほぼないです。

充分満足はしているんで、なにごともなくこのまま死ぬまで現在の装置がもってくれたらいいなあと思っています。いまはオーディオ的にちょうどいい健康状態にあるんで、だからこそふだんは忘れていてありがたいとも感じていないわけですけど、つまり裏返せばいまがいちばんのオーディオ的には幸せな状態にあるということです。どうかこのままこのオーディオ・ハピネスが続きますように。

(written 2020.3.6)

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