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アダルト・オリエンティッドってなるべく言いたくなかったけれど

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1962年生まれだから来年還暦のぼく。近年は歳取ってきて人生経験も経て人間的にほんのちょっとだけなら成長した(ような気がするけど?)せいなのか関係ないのか、おだやかでソフトでまろやかに円熟した音楽もかなり好きになってきました。「も」と書いているのは、ザラザラしたハードでサイケでとんがった音楽もまだまだ好きだからです。

感情の激しい露出や起伏を抑制したおやだかな音楽、たとえば鄧麗君とか、いわゆるAORとか、坂本昌之がアレンジしたときの坂本冬美とか徳永英明とか、伊藤ゴローがてがける原田知世とか、『エラ&ルイ』シリーズとか、いやぁもう大好きでたまんないんですが、そういったあたりなんかは20代のころにもし出会っていてもよさがわからなかったかもしれないですよね。

きのうも渡辺貞夫さんの『Outra Vez』のことを書きまして、ホ〜ントいい音楽だなって心から感銘を受けているし、アンガーム(エジプト)の2019年なんかも数えきれないほどくりかえし聴いていたし、どうも頻繁に聴く音楽の傾向がやや変わってきたかもなと思わないでもありません。

しかし、こうした事実をもってして「大人の」音楽志向になったとか「アダルト・オリエンティッド」だとか、そういうことはあんまり言いたくないというか、そのようなタームを極力使いたくないなというのが本音なんですね。

といいますのは、ずっと前にも書いたことですが、音楽に子どもとか大人とかいったことばや考えかたをあてはめるのは著しく的外れじゃないのかというのがぼくの思想だからです。大人の音楽、アダルト・オリエンティッドなんちゃら、みたいな言いかたをするメンタリティの根底には、「どうせガキどもにはわかんねえだろうな」という年齢差別、(逆)エイジズムとか、そういった偏見が横たわっているように感じます。

若者、若年層、子どもたちを一個のちゃんとした人格として、このばあいは音楽リスナー人格ということですけど、それをしっかり認めようとしない親世代社会の傲慢な発想だということで、ぼくはそういったものが大嫌い。

いつだって若者こそ時代時代のカッコいい音楽を真っ先に見つけ出しフォーカスして、世の潮流にしてきたわけですし、音楽とか芸能文化活動なんてものは本質的に青春の情熱のほとばしりみたいな側面もあって、そこを見失ったり誤解したりすると音楽のポイントをつかまえそこねるだろうなと強く思っています。

つかまえそこねはじめた(音楽精神的)老年層が、「アダルト・オリエンティッドなんちゃら」みたいな表現をしているんじゃないかという疑念が拭いきれないわけです。そんな、思考が硬直した(音楽精神的)老年の仲間入りをしたくない。

だから、大人の音楽とかアダルトなんちゃらっていう表現を、ずっと、かなり意識的に、避けてきました。

けれども、ここ数年、そう2018年ごろからかな、静かでおだやかで、感情をぐっとセーヴした、抑制された均衡美を好むようになってきていて、それはあきらかな一傾向としてぼくのなかにしっかり芽生え腰を据えつつあるんですよね。もう疑いえない確かな嗜好となっているように思います。

そして、感情の抑制の効いたおだやかでまろやかな音楽をひとくくりにして、ジャンルとして、一定の短いことばで言い当てようとしたばあいには、ほかに適切なタームが思い浮かばないんですよ。ぼくのなかにあるこの嗜好を言い表したいと思うことがしばしばあるのに、これという用語がないんです、アダルト・オリエンティッド〜〜を避けるとですね。

結局のところ、そういった音楽傾向には「大人の音楽」「アダルト〜〜」「アダルト・オリエンティッド〜〜」と言うのが最もふさわしく、いちばん手っ取り早いというのが事実。上で書きましたように逆エイジズムだと感じてイヤなんですけど、ほかに適切な用語がないわけですから困ってしまいます。

そういうわけで、ここのところ(気に入らないながらも)ぼくも使うようになりはじめていますね>アダルト〜〜。

いい音楽に年齢や世代は関係ないというのは間違いない普遍的真実。ヤング〜〜とかアダルト〜〜という表現はやっぱり気に入らないというか、音楽の本質からはかけ離れているだろうと思います。そこをしっかり踏まえた上で、あくまで勘違いしないように気をつけながら、アダルト〜〜っていうタームを、ときたま使うときは使っていこうかと。

(written 2021.4.22)

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