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マイルズの「帝王」イメージは虚像

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マイルズ・デイヴィスの『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』(1961)について、「やっぱり帝王らしからぬタイトルにちょいと違和感を感じるのは僕だけではないはず」という文章をこないだ見かけました。あるマイルズ専門ブログでのことでしたが、リンクを貼ってご紹介するのはよしておきます。

これには表裏一体の二つの意味で違和感をいだきますね。(1)いつまで「帝王」などというステレオタイプ・イメージにマイルズをしばりつけるつもりなのか。(2)マイルズのトランペット・サウンドはまったくマッチョではなく、真逆のフィーメイルなタイプだったのに。

このばあいの「マッチョ」とはボディビルディング的な外見に言及しているのではなく、メンタル面での(旧来的な)男らしさの追求・実現や、社会的な役割として歴史的に男性に求められてきた理想像といったものを指して使っています。この記事でも、音楽的な意味、サウンド面でのイメージについての言及です。

つくりだした音楽でだけ判断すれば、みんなが言う従来的な意味での「男らしさ」とは無縁だったのがマイルズで、チャーリー・パーカーのコンボでデビューした当時からすでに雄々しくない、か細く弱々しいサウンドでのバラード演奏でボスと好対照を演じ、猛々しいドライヴィング・チューンなどでは居場所がなさそうにしていましたよね。

そんな生来の(女性的な?)持ち味は独立して以後さらに磨きがかかるようになり、特に1955年にファースト・レギュラー・クインテットを持つちょっと前あたりからハーマン・ミュートを多用するようになって、それでバラードや小唄系を演奏するときにことさら発揮されたように思います。

ただでさえもとから音量の小さいトランペッターで、しかもヴィブラートをいっさい使わないストレート&ナイーヴな発音スタイルの持ち主だったのが、音色も変わる弱音器なんか使えばいっそう頼りなさげなサウンドが強調されようというもの。

それこそがマイルズの選択と成熟で、そうなって以後ハーマン・ミュートで演奏したフィーメイル・タッチの曲ばかり、録音日付順に集めてプレイリストにしておいたのがいちばん上のSpotifyリンク。ざっとお聴きになれば、マイルズがどんな音楽家だったのか、ご理解いただけそうな気がします。

ブラック・ミュージックっていうと「野太い」みたいな先入観もあると思うんですが、マイルズにかぎっては正反対でした。ただしこの音楽家もマチスモなファンク方向に振れた時期があります。上のプレイリストに存在しないので一目瞭然ですが、1968〜75年ごろ。そのころはトランペットにハーマン・ミュートすらつけなかったというか、そもそも電化されていたので。

そんなファンク時代に「帝王」イメージがついてしまったと思うんですよね。音楽像とも一致していましたし、イキったような各種発言とあいまってこの音楽家の印象が確定して、そして1981年の復帰後はそれがさらに増幅されたんじゃないでしょうか。

ここ日本においては、そんな81年復帰後、中山康樹編集長時代の『スイングジャーナル』が<マイルズ=帝王>イメージの拡散につとめたようにみえました。中山さんは独立後も各種書籍などで<帝王>を乱発し、インタヴューなどでの一人称を「俺」「俺様」に固定し、マイルズの日本におけるナラティヴをすっかり確定してしまったような感じでした。

2015年に亡くなるまで日本におけるマイルズ・ジャーナリズムを牽引・支配したのが中山さんにほかならず、いまでも日本語でマイルズについて研究しようとすればだれもがまず参照せざるをえないのが中山さんの著作ですから、定着してしまった<帝王>イメージを拭えないまま現在まできてしまっているかもしれません。

マイルズのトータル・キャリアを俯瞰すればほんの一時期の例外的突出でしかなかった(が最高だった)マチスモ・ファンク期を除き、それ以前もそれ以後もハーマン・ミュートをつけてリリカルなバラードを細く頼りない女性的な(?)サウンドで奏でたのがマイルズ。

「いつか王子様が」みたいなタイトルの曲を語るのに(音楽的には)躊躇なんてなかった人物です。こういったディズニー・ソングはマイルズ本来のサウンド・イメージに100%合致しているものなんですから。

(written 2022.2.2)

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