洋楽にはまって邦楽がよくみえるようになった

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レッド・ツェッペリンのコピー・バンドで歌っていた高校生のころはまだそんなにツェッペリンやブルーズ・ロックにどハマりしていというわけじゃありません。題材にしていたツェッペリンにしてからがぼくはまだそんなにレコードを持ってなくて、仲間や友人から借りたり、弟のを聴いたり、レコード買うにしてもくわしいクラスメートに授業終わりにレコード屋までついてきてもらって、これがいいよとか推薦してもらってじゃあっていうんで買っていたりしたんですね。

どんどんレコードを、まるで蛇口の栓をひねったら水が出るかのごとくジャバジャバ買いまくるようになったのはやっぱり17歳の高三(ぼくは三月生まれ)のときにジャズに触れ、正確にはモダン・ジャズ・カルテットの曲「ジャンゴ」を聴き背筋に電流が走ってからで、そっからはもうアホみたいにどんどん買ってしまうようになって、57歳の現在にいたるまで慢性的金欠病が続いているわけです。

言い換えればそれ以前のぼくにはレコードを買うという習慣がありませんでした。歌謡曲や演歌、特にアイドル系歌謡曲かな、沢田研二とか山口百恵とかキャンディーズとかピンク・レディーとか、そういったひとたちの45回転のシングル盤はときどき買っていましたけど、LP アルバムってはたしていつはじめて買ったんだっけなぁ?小六のときに布施明の「シクラメンのかほり」が収録された LP を聴いていたと思いますからそれが最初でしたっけねえ?

あれっ、でもいまネットで調べてみたら布施のシングル「シクラメンのかほり」(小椋佳作)は1975年の発売だったとなっています。75年だとぼくは13歳で中二でした。う〜ん、なんか記憶がだいぶごちゃまぜというか曖昧というか、間違っていますねえ。「シクラメンのかほり」ってそんなに最近の曲だったっけなぁ、おかしいなあ、でもぼくのほうがおかしいんでしょう。とにかくそれが入った布施のレコード・アルバムが人生初 LP だったというのはたぶん間違いないと思うんですけど。

布施の「シクラメンのかほり」はドーナツ盤シングルでまず発売されたはずなのに、どうしてそれを買わずに LP だったのかはもはやぜんぜんわかりません。いずれにせよいまでも鮮明に憶えているのは、そのレコード・アルバム(小椋佳曲集だったような)を買ったきっかけは、その前年末のテレビの歌番組で布施がそれを歌いなにかの賞をもらったことなんですよ。日本レコード大賞だったかもしれませんが忘れました。それで、なんていい曲なんだろうと思って、翌年になってからレコードを買いました。聴いたアルバムでは「傾いた道しるべ」がいちばん好きになりましたけど。

つまりですね、洋楽にハマってみずから情報収集しレコードをさがして買うようになる前のぼくは、テレビの歌番組で観聴きしてこりゃいいなと思ったもののレコードをちょこっと買っていただけだったということなんです。ぼくの人生初レコードである山本リンダの「どうにもとまらない」にせよ、リンダの翌年の「狙いうち」にせよ、まずテレビ番組で触れました。ジュリーだって百恵ちゃんだってだれだって、ぜんぶそうでした。

それが洋楽にハマるようになって一変したんですよね。本格的には17歳でジャズに目覚めたことによってですけれども、そのちょっと前からツェッペリンとか、それからビリー・ジョエルとかの英米ロック/ポップスをポツポツ買っていたんですね。不思議なことにジャズに目覚めてからは、それが洋楽全体へのとびらを開いてくれたかのように、ジャズより前から触れていた UK ブルーズ・ロックにせよアメリカン・ポップスにせよ、のめり込みが激しくなりましたからね。

だからジャズへの傾倒はぼくにとって一種のブレイクスルーみたいなもんでした。ジャズだけっていうんじゃなくいろんな音楽を熱心に聴きあさる大きなきっかけになったということです。ここがほかのジャズ・ファンのみなさんとはちょっと違っていたところかもしれません。ジャズを聴きはじめる前にツェッペリンを歌っていたりした前歴が反映したということなんでしょうか。

要するに「音楽」というものに対して興味が深まったということですよね。それでずっといままで来ているんですけれども、おもしろいのはジャズそのほかにどっぷりハマりはじめていたころにはむしろかなり遠ざけるようになっていた日本の歌謡曲や演歌などジャパニーズ・ポップスの世界が、いったん洋楽を経過することでかえっていっそうよく見えいっそうよく聴こえるように、ある時期以後、なったということです。

どうしてなのか、いまではよくわかります。歌謡曲とか演歌とか J-POP とかは、完全に洋楽、特にアメリカの大衆音楽や(オーケストレイションは西洋クラシック音楽も)なんかの影響下に存立しているからですよね。だから歌謡曲や演歌ばかり聴いていても歌謡曲や演歌のことはわかりません。洋楽をどんどん聴かないとわからないんです、ってこともないでしょうが、理解のしかたが変わります。このことをぼくは皮膚感覚で痛感しました。

山本リンダの「どうにもとまらない」みたいなアクション歌謡が、ラテンというかキューバン・ソング由来だとか、ジュリーのばあいだったならローリング・ストーンズやビートルズやまた1960年代末〜70年代前半ごろのブルーズ・ロック勢からかなり拝借しているだとか、ピンク・レディー全盛期の曲をぜんぶ書いた都倉俊一&阿久悠コンビのことや、筒美京平や松本隆のこととか、要は「曲」がどのようにできあがっているか、よくわかるようになったんですね。

小中学生〜高校生のはじめごろまでのように日本のポップスをどんどんテレビで観聴きするということはなくなりましたが(そもそもいまのぼくんちにはテレビ受像機がない)、それでも原田知世や岩佐美咲などのやるオリジナルやカヴァー曲を聴いて、あっ、ここはこうできているなとか、歌詞だってここからひっぱってきているじゃないかとかこれに似せているだとかの秋元康の手腕だとか、上で書いた布施明の歌う、布施じゃなくても小椋佳などの曲づくりとか、さまざまな部分が洋楽、特にアメリカの大衆音楽を知らなかったらみえなかったと思うんです。

だから、実際、ぼくは1999年に宇多田ヒカル(正確には98年にテレビで「Automatic」の MV を見て衝撃を受けた)のデビュー・アルバムを渋谷のタワーレコードで出勤前の朝10時に CD 買って聴いたとき、これがなんなのか、どんな音楽なのか、すごい才能だと思ったけどビックリ摩訶不思議でもなかったのはそういうわけです。

洋楽の人気がいまどんどん落ちていて、邦楽ばっかりみんな聴くようになっているらしいですけど、そんな内向きなばっかりではダメだな〜って思う、いろいろ聴かないと一個のこと、国内のことだってわかんないよね〜っていう、そういうことが今日言いたかったのでした。曲を書いたり演奏したり歌ったりするひとたちは、海外のさまざまな音楽を参考にしているんだからついていかないといけませんよね。

(written 2020.2.5)

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