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泣いた六月(第二腰椎圧迫骨折で)

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写真にある上から二番目の台形にひしゃげたやつが圧迫骨折した第二腰椎。こうなったのは2022年6月1日夕方の交通事故で四輪自動車にはねられたから。交通量が多く信号のない交差点でのまったくの出会い頭で、原付バイクのぼくもあまり注意せずうっかり進もうとしてしまいました。

それが本日9月9日の整形外科診察で、ようやくもうだいじょうぶだということになり、個人的な実感としても痛みとかほぼなにもなくなっていて、事故以前と同じように動けるようになってきているというのが間違いなく、鎮痛剤もコルセットも必要なくなったこのあたりで、泣いた六月来のことを個人メモとして記しておきたいと思います。

受傷直後〜二週間程度はほんとうにつらくて、毎日泣き暮らしていました。腰椎の骨折ってこんなにも痛いものなのか、腎臓結石が人類最大の痛みっていうけれどそれ以上じゃないのか?とビックリしましたが、なにしろ初体験でしたからね。60年の人生で感じた最大の痛みだったとして過言ではありません。

困ったのは、なにしてもどう動いてもめっちゃ痛いこと。鈍い痛みではなく、鋭利なもので思い切り突き刺すような鋭く激しい痛みが、腰というより体のその前側、股間のあたりにあって、もうなんにもできないじゃないかというつらさがありました。一人暮らしで、ヘルプに来てくださるかたもいないので、すべて自分でやらなくちゃいけないのにこりゃムリだろうっていう痛み。

でも食料品は買いにいってごはんをつくらないといけないし、糖尿病や心療内科のクリニックにも行かなくちゃ。お洗濯もするし、歯を磨いて顔洗って、夜は(湯船は救急で運ばれた松山市民病院の医師におぼれるからと当面禁止を告げられた)シャワーくらい浴びたいし、だけどそんな一日のもろもろすべてに強い痛みが常時ともなうわけです。トイレで排便後に拭くのだって痛かったし、そもそも排便じたいが痛い。

とにかくですね、すわることも起きることもできないんですから、動作時に痛すぎて。苦労していったんすわったらもう起きられないし、立ち上がったら二度とすわれない。だから同一姿勢保持。朝、目が覚めてもベッドから出るのにゆっくりゆっくり五分くらいかかっちゃうんです。パンツ一枚脱ぎ着するのに苦労する始末。

セレコキシブという鎮痛剤が処方されていましたが、当初は飲めども効いたという実感がゼロで、そのあいだはホントしんどかった。6月5日夜の服用後にようやく「あっ、なんかちょっと痛みが軽いぞ」となって、その後はセレコキシブを飲めば作用時間中はなんとか部屋のなかで(痛いながらも)動くことが可能となりました。

受傷翌日に行った地元の整形外科で、専用にあつらえたカスタム・コルセットを作りましょうとなり、業者に来ていただいて採寸し作りました。しかしこれ、プラスティックでできた硬質コルセットなんですね。いちばん暑くなる時期にさすがにしんどかったですが。

でも腰椎骨折はコルセットで固めておかないと、油断して骨が曲がってくっつくと神経に触り下半身がしびれたりしてとてもヤバいからっていうんで、じっとり汗をかきながらのコルセット着用でした、七月・八月は。外すのはトイレとお風呂のみ。

整形外科医の言う「骨癒合までの目安は三ヶ月」ということばを信じて、はじめは三ヶ月もこのままが続くのか…とうんざり気分でしたが、それでもなんとか。ちょうど梅雨明け宣言が四国地方にも出た6月28日に、ぱっと劇的に痛みが軽くなったという感触があって、気温や湿度も関係あるんですかね。

その後しかし動きが蓄積すると強く痛みはじめるのでなるべく部屋のなかでおとなしく(以前のようなウォーキングはできない)して、骨が折れてなくてもだいたいがふだんからじっとすわって音楽聴きながら文章書いているだけの人間ですからぁ、生活そのものに特に変化はなく、ただただこの痛みと動きの不自由さだけはやく解決してほしかった。

三ヶ月との医師の診たてどおり八月末か九月頭ごろに、あれっもうこれ鎮痛剤飲んでも飲まなくても同じだ、痛まないじゃないか、どんどん動きがたまっても腰がダル重くなる感覚も弱くなってきているし、コルセット外して動いたって着用時と同じだぞっていうふうになってきて、もはやいいんじゃないかと思うようになってきましたね。

それで自己判断でコルセット外している時間帯を増やし、鎮痛剤(は6/1からず〜っと一日二回欠かさず飲んでいたわけですが、三ヶ月間)も飲んだり飲まなかったりになって、だから骨折はこれといった治療もべつになくて放っておくしかない怪我なんで、日にち薬ともいうように、もうだいじょうぶになったと思いますね、やった。

(written 2022.9.9)

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