鬱の戯言です。

鬱の戯言です。

誰もそこまで勇気を持って生きているわけではなくて それでいて今までの人生を否定したくはなくて 大きくなった環境を目の前に楽を選ぶことは よくある。自分もそうかも知れない。社会は強い人だけで成り立つものではなく 穏やかにいたい人も目を塞ぐ人もいる。総じて人間は弱い。善悪ではなく どの選択肢もどちらの意思決定も他人に同じ大きさの影響を及ぼすと思う。それをただ人生として受け取り「私は、それを選ばない。でも選んだ人は存在する。」と捉えるだけ。

ほとんどの人が長いものに巻かれながら生きている。長いものに頼らなければ生きれない人がほとんどだ。爽やかなことではないけれど 現実はそうだ。皆 反骨を持ってるわけではなく弱い部分は巻かれながら生きている。誰もひとりでは生きれないのだから。もし お金に弱い者が居れば その強さに巻かれるだろうし、心が弱い者が居れば 的確に導いてくれることに巻かれていくだろう。人に弱い者が居れば 強い人脈に巻かれていくと思う。悪いことではない、ただ「私は、選ばない」と考えれば良いこと。

ただ その弱さを利用する長いものが本当に気に食わない。それほど強いならば弱いものを幸せにするくらい簡単にできるでしょ。と考えたくなるが、結果 誰も皆 やっぱり弱いのである。長いものも弱いのである。

当事者に一番近い者がしっかり対応しないから 分断の波がこんな田舎まで押し寄せてきている。周りにはジャニーズに楽曲を使ってもらって首の皮が繋がった人間もいる。そんな者に「あなたは どっちだ?」なんて聞けないだろう。こんなに巨大になるまで何もできなかったのだから 本当にジャニー喜多川氏は怪物なのだろうな。

山下達郎氏のスタンスがはっきりしたこと と、「忖度」と「巻かれる」って言葉にコンプレックスを持っていたこと が、分かってよかった。

シュガーベイブの「今日はなんだか」が大好き。バンドを始めた頃 日本語でこんな音楽ありなんだと興奮した一曲。この曲は、ずっと色褪せないし、僕自身 否定できない。

僕ら 健全であり続けることは、難しいのかな。

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