ブギーポップアンブレラ/雨上がりの恋路4

 相対した瞬間、恋路は目の前の女性が自分と同じく異質な能力を持った者だと確信していた。
(俺はこの目を知っている―――)
 恋路はじっと鼎の目を見つめている。
 その目は輝きのような、曇りのような、相反する色合いがちぐはぐに同居しているようないわく言い難い雰囲気を帯びていた。
 それは普通の者ならまったく気にならなかったはずだ。
 しかし恋路にとっては馴染み深いものだった。
 なにせ鼎の目と恋路の目はよく似ていたからだ。形や大きさではなく―――使用用途という意味で。
(普通の人には視えないものを視てきた目だ。俺と同じじゃあないだろうが彼女もきっと特殊な能力の持主だ)
 恋路の視線はすでに睨み付けるような強く鋭いものになっていた。
 それに対し鼎はふっ―――と笑みを漏らして、安楽椅子に座ったままその細い足を組み、肘掛けに置いていた手を口元まで持っていく。
「ふふふふ」
 静かに鼎は笑って、恋路を見上げている。
 その様子に恋路は眉をひそめたが、警戒しているので鼎に近づこうとはしない。
「なにがおかしい。俺の質問には答えないのか? あんた、不思議な力を持っているそうだなって聞いたんだぜ?」
「聞かなくたってわかるんじゃないですか? 奇妙な力を持った者同士っていうのはきっと会った瞬間にお互い感じ取れるみたいですから」
「ということは認めたってことだな。じゃあもっと詳しく教えてもらおうか。あんたの持ってる力のことを」
「身を以て体験させてあげますよ。私の力はあなたにとってとても良い結果をもたらします。だからそう警戒せずに」
 落ち着き払った様子で鼎はアームチェアから立ち上がっておもむろに恋路に向って近づこうとしたが、それよりも先に恋路は背後に飛んでいた。
 軽く足を引こうとしただけだったが、恋路は壁ぎりぎりまで飛び退いていることに自分でも驚いてしまった。
「……なんだ?」
 自分の体を眺め恋路は首を捻っている。
 まるで熟練の格闘家のような俊敏性が自分に身についていることに対して、身に覚えがなかったからだ。
「羽鳥多摩湖の覚悟のせいか―――? けれどなんで彼女にこんな力が……?」
 この部屋を訪れる前に、恋路は多摩湖の体からこぼれ落ちていた彼女の覚悟の欠片を飲み込んでいた。
 鼎に恋をしている多摩湖の覚悟がどれほどのものなのか、実際に飲んでみればわかるんじゃないかというちょっとした思いつきだったのだが、恋路は知らなかった。
 自分が飲み込んだ覚悟とは、鼎を絶対に守り抜こうとしている合成人間の覚悟であったのだと。
 調査員とはいえ一通り戦闘訓練を叩き込まれ、肉体強化もされている合成人間の能力がゴールデントリクルの能力によって恋路に授かっているのだ。
「そう警戒されてはあなたに近づくことも出来ませんね。それにあなたが本気になれば、私なんて簡単に倒されてしまいそうです。あぁ、怖いわ」
「勘違いしないでくれ。俺はあんたを倒しに来たわけじゃない。危害なんて加えたくはない。ただあんたがここでなにをしてるのか、どんな力を持っているのか、それを知りたいだけなんだ」
「知ってどうするというのです?」
「それはその……報告するんだ」
「誰に?」
「言えないし、詳しく説明も出来ない。俺もよくわかってないからな」
 わかってない割にははっきりとした口調だ。
 恋路にしてみれば、恋する少女の要望に応えることが目的で、別に鼎がどんな能力の持主だろうとどうでもよかった。
 けれど鼎にとってはそうはいかない。
 彼女は恋路のような存在がいつか自分の前に現われるだろうと、能力が開花した時から懸念し続けていたのだから。
「必ずやって来ると思ってました。必然ですものね。私のように隠れて良いことを行なう正義の味方の前にあなたのような―――悪しき者が現われるのは!」
「ちょっと待て、なにを言ってる! 正義の味方だとか悪しき者だとか、俺達はヒーローショーの出演者じゃないんだぜ?」
「そう、これはショーじゃない。私が泣き叫んだって誰も助けてくれない。だから、私は自分の身は自分で守るわ!」
 鼎は本気だった。
 本気で自分を正義の味方だと思い込み、そして世界を裏で操るような悪の組織が自分に目を付ける時が来ると信じていた。
「やれやれだ、まったく」
 自分を悪の組織の構成員として認識し敵意を向けてくる鼎に対して、恋路は肩をすくめている。
「正義の味方だって? あんたがか? 俺にはそうは見えないけどな」
「あなたにはわからないでしょうね。私はみんなの心から後悔を消してあげるんです。誰かに褒められたいとか報酬が欲しいという下卑た考えじゃなく―――そう、私は人類を一段上に進めてあげる為の手伝いをしようと思っているだけなのに」
「それが正義の行いだと? なんとも大仰な志を掲げちゃいるが、あんたはのソレは正義でも善行でもない」
「なっ……だったらなんだって言うんですか?」
「あんたはただ、自分の身に宿った強大な力に振り回されてるだけだ。あんまりにも今までの自分とはかけ離れた力を持ってしまったが故に、あんたは能力に見合った自分になりたいんだ。正義の味方ってのは、まぁ確かにわかりやすくはあるよな―――ただ、あんたの言う正義の味方って言葉はどっかの誰かから吹き込まれた借り物って気もするけど」
「知ったような口を利かないでっ。私は本物の正義の味方になれるんですっ。正義を行なう覚悟だって私にはある!」
「ほぅ……覚悟と言ったな」
 目を細め、恋路は鼎の心から溢れ出そうとしている覚悟を見極めようとする。
 しかし鼎の方も恋路がなにかしらの能力を使おうとしている気配を察知して、先手を打った。
 鼎が行なったのは攻撃とは思えないような不可思議な動作だった。
 人差し指と中指でなにかを挟んでいるような仕草をして、くいっとその二本の指を弾くように動かす。
 トランプのような薄いカードを二本の指で挟んで投げる。
 そんな風にも見えたが、彼女の指の間にはなにも挟まれてはいないようにしか見えない―――けれど鼎がなにかを投げる仕草を視た途端、恋路はぞくりと寒気を感じて咄嗟に真横へと跳躍していた。
 目に見えないが確実に何かさると恋路が警戒した時には、
「すでに私の行動は完了しています―――」
 先ほどまで荒立っていた口調がすっかりと落ち着きを取り戻し、鼎は余裕の表情を取り戻していた。
 鼎の言葉ははったりではなく、合成人間並の身体能力で回避行動を取ったはずだというのに恋路に異変が生じていた。
 どくん―――と一度大きく胸が高鳴ったかと思うと、恋路は心の奥底からわき上がってくる不安にいてもたってもいられず、動悸が激しくなっていく。
「はっ……はっ、はっ、はっぁっ。……なんだ、なんなんだこの感覚」
 鼎がじぃっと視線を恋路に向けているだけで、恋路は皮膚に無数の鋭いガラス片が降り注いでくる錯覚を覚える。
 ものの数秒で恋路の神経はみるみるとすり減っていった。
 彼の心の奥底からこみ上げ、感情をすっかり支配してしまった不安とは、すなわち。
「―――視線。今のあなたは私から向けられる視線がナイフよりも鋭い凶器に見えているはず」
「俺になにをした……っ!」
 転がるように恋路は部屋の中にあったスチールラックの裏へと身を隠した。
 それは鼎の視線から逃れる為の行動だった。
「甲子園という高校野球の公式戦の大舞台で失投してしまったある高校球児の話です」
 鼎はかつん、かつんとハイヒールの靴音を響かせスチールラックへと向っていく。
「彼は仲間や相手チームのプレイヤー、それに大勢の観客達の前で失敗をしてしまったことに深く傷付き後悔し、その試合以降注目を浴びることが極端に怖くなってしまった。彼は他者からの視線を感じると後悔の記憶を思い出してしまう。居ても立ってもいられない、他者から視線を向けられるのが怖くて怖くて、やがて自分の部屋から出てこられないまでになってしまいました」
 なんの話をしているのか、最初はわからなかった恋路だったが鼎が話している高校球児の気持ちが、どうしてか自分には理解出来ることに戦慄を覚えていく。
 何故ならつい先ほどから、恋路もまた他者からの視線が恐ろしくてたまらないからだ。
「そんな彼のことを私に教えてくれたのは、彼の幼馴染みの女の子でした。私はその話を聞いて、なんとか彼との面会を果たし、そして彼の心から後悔を抜き取ってあげました」
「後悔を抜き取る……だと? それがお前の……」
 当初の目的である鼎の能力を知ることは出来たのだが、しかしすでに恋路は彼女の能力を直接その身に叩き込まれてしまっている。
「そう、人の心から後悔という栞を抜き取る―――それが私の能力。栞の形をして抜き取ることが出来るなら、その栞を誰かの心に挟み込むことも出来るとは考えられませんか?」
「―――!」
 恋路はようやく理解出来た。
 自分の身に、いや心に能力を行使されたと言うことに。
 いつか悪の組織に狙われると信じて止まない鼎が、おおよそ戦闘向きではない自分の能力を駆使して自分の身を守ろうと編み出した方法がこれだった。
 人から抜き取った後悔の栞を、別の人間に挟み込む。
 すると挟み込まれた人間の心には、他人の後悔が弱点となって発現してしまうのだ。
 つまり今の恋路には件の高校球児の後悔が、視線に対して深刻な恐怖状態を引き起こしてしまう弱点としてその心に宿ってしまっていた。
「どんな相手であろうと強制的に弱点を作ってしまう―――なるほど、恐るべき能力だ。虫も殺せそうにないあんたにしては、随分と極悪な力の使い方をするじゃないか」
「極悪だなんて言わないでください。私はやむを得ない時にしか、こんな力の使い方はしません。むしろ悪いのはあなたのような正義の前に立ちふさがる障壁となる人達の方なんですから」
 スチールラックの裏を鼎は覗き込んで言った。
「うわっ―――!」
 鼎からの視線を向けられた恋路はたまらず一時しのぎで身を隠していたスチールラックの裏から飛び出していた。
 なんてことだ、と頭を抱えたくなる。
 ただ視られるということがこれほどまでに辛いとは。
 強制的に弱点を作る、すなわちそれはどれほど自信に満ち強力な力を持った『最強』の者ですら足下を掬われる力なのかもしれない。
 最強にはほど遠い恋路など抗う術などなく、鼎の力に屈してしまうところだったが―――しかし彼には恋する少女になんとしてでも近づきたいという意地があった。
 恋する男子の意地とは、時にいかなる恐怖をも乗り越える力をわき上がらせる。
「あんたの力はだいたいわかった。あんたの怖さってやつもな。だったら立ち向かう必要もないっ。逃げるが勝ちという言葉もある!」
「逃がすはずないじゃないですか。私の存在をあなたが所属している組織に報告させるわけにはいきません。あなたにはもっと後悔の栞を挟み込んで、私に従ってもらいましょう」
「そうあんたの都合通りに事は運ばないぜ」
 鼎からの視線にぶるぶると身を震わせてはいるが、恋路はぐっと拳に力を込めた。
「よくわからないがっ―――羽鳥多摩湖の覚悟の力、使わせて貰う!」
 多摩湖の覚悟を取り込んでからしばらく経ち、彼女が持つ合成人間としての力を恋路は実感していた。
 はっきりとはわからないが、多摩湖には特殊な力がある。
 その力を使えばこの場を切り抜けられるのではないか。
 恋路はその可能性に賭け、多摩湖の能力を借りてみることにした。
 能力を込めた自分の拳を恋路が向けた先はなんと自分自身だった。
 どぐっ―――と恋路は自分の拳で自分の胸に衝撃を打ち込んだのだ。
 これには恋路を逃がすまいと考えて居た鼎にも予想外の行動だった。鼎は追い詰められた恋路が自分に向ってくるものばかりだと思い、攻撃を出来なくさせるような『弱点』を用意していたのだから。
「……っ!」
 鼎が息を飲んだ、その時だった。
 自分自身に能力を打ち込んだ恋路の体が―――跳ねたのだ。
 地面に思いっきり打ち付けられたゴムボールのように恋路の体が天井や壁へと激突しながら予測不能な動きを見せて跳躍を始めた。
 全身の筋肉が限界以上に暴走していく。
 壁に激突したかと思えば天井へと頭から突っ込み、しかしすぐさま床に向って突進する。
「ぐっ……ぐぐぐ!」
 体の抑制が効かなくなった恋路はすでに意識を半分以上失いかけていた。
 鼎は部屋中を破壊しながら無軌道に跳躍し続ける恋路の姿を目で追うことが出来ない。
 つまり視線による恐怖を恋路に与えることが出来なくなっていた。
 これが恋路の狙い―――というわけではない。
 結果として視線という弱点から逃れることが出来た恋路だったが、けれど暴走状態にあることには間違いない。
 なにせ恋路は自分の体にでたらめな電気信号を流して、本来人間が持ってはいるが使いこなすことの出来ない領域のスペックまでをフルに活用して暴走していた。
 例えるなら、コントローラーを無茶苦茶に操作した状態でオーバーヒートしているラジコンカーを操っているという状態と一緒だ。
「ぐっ……くっ」
 恋路の体は砲身から発射された弾のような勢いで部屋の窓ガラスに突っ込んでいく。その衝撃でついに恋路は意識を完全に失った。
 そしてカウンセリングルームがあるのは予備校の六階。
 つまり恋路が飛び込んだ窓の先に待っているのは、六階分の落下だった。
 自分がなにをしたのか気付かない恋路の体は、真っ逆さまに落ちていくことしか出来なかった。


つづく

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