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【六本木の怖さと優しさとアイスキャンディ】

東京での仕事終わりに最近お世話になっていたチームの方々とご飯に行った。男3人、私36歳、プロデューサーNさん35歳、プロダクションマネージャーFくん27歳。

麻布十番で中華料理を食べ、もう一軒行きますかとなり、我々はなんとなく六本木方面へと歩きはじめた。道すがら私は「なんかもう六本木とか怖いんですよね」といった内容の話をしていた。若いときは喜んで行っていたこともあったけれども、本当の遊び方など分からず、空気を吸いたいだけであったから、そんな場所には年齢とともに疲れていく。そして、自分を疲れさせる場所は怖くなるわけである。

「じゃ芋洗坂にしますか?カラオケスナックとかありますし」と敏腕プロデューサー。同じ六本木じゃないのか、と思ったが私は「ですね」と通りによる店の違いを知ったかぶった。そして辿り着いた5階建ての雑居ビル。

入り口には本当にこんだけ店が入っているのかと思うほどたくさんの店の名前が書かれたフロアガイド。ロゴはだいたい明朝体。しかしこうなるとドラゴンクエストのダンジョンのようでテンションは上がってくる。どんな店であれ、この3人でいれば話は尽きないし、場所に頼らない夜を過ごせるはずだ。

NさんがFくんに「決めていいよ」と言うとFくんも間髪入れずとある店のロゴを指差した。たぶん特にそこを選んだ意味はなかったと思う。Fくんは反射神経の良さが普段の仕事においても頼りになる人なのだ。選んだ店は4階の奥にあった。

店の名前は「スナック舞美(仮名)」

扉には会員制の文字はない。店を選んだ責任感からかFくんが勢いよく扉を開けた。その責任感も普段の仕事において頼りになる人なのだ。

「えっ!」

我々が店に入ると女性が驚く声が聴こえてきた。視界にはいわゆる狭いスナック。カウンターの中に60代後半か70代前半の派手な女性がふたりいて「えっ!」と驚いていたのは彼女たちだった。新規の客が飛び込みで来たことに驚いていたのだが、そんなに大きな声を出すだろうか。私はこの店、いや彼女たちへの不安を感じた。

「飛び込みなんて2年に1回あるかないかだわあ」と言いながらお酒を作りはじめたママたち。ひとりは純白のドレス、ひとりは漆黒のワンピースを着ていて「オセロみたいですね」と言わざるをえないキャラ設定のくせに、プロデューサーNさんが「オセロみたいですね」と会話の入り口を見つけようとして言うとふたりしてスッーと無視をしやがる。それなのにふたり代わる代わる「入らなきゃ良かったと思ってんじゃないのお?」「初めまして、ババアです」「ねえ、この子、焼肉屋のまーちゃんに似てない?」などコミュニケーションする気はねえ、空気なんて読む気はねえ、忖度なんかする気もねえといった勢いでキャッキャしはじめたのである。

「おい、キャッキャすんな!キャッキャだけはすんな!」

などとコミュニケーションを、空気を読むことを、時には忖度を生業としている我々が言うわけもなく、その後も彼女たちは「(鹿児島出身だとFくんは言ったのに)長崎出身っぽいよお、長崎、長崎」と突然長崎へのこだわりを見せたり、「(27年もこの店をやっていると聞いた私が褒めると)私たちにも他に夢があったのよ!!」と怒り出したり、「(いいお客さんしか来ないのよと言った直後に)あの人はほんと来てほしくないわ、いつも偉そうで、やってもない仕事を偉そうに」と毒を吐きはじめる。私は思い出す。

ーどんな店であれ、この3人でいれば話は尽きないし、場所に頼らない夜を過ごせるはずだー

甘かった。さっきから3人では何にも話していない。目の前でオセロが白黒目まぐるしく入れ替わっているだけだ。そう、オセロは2枚だけでは永遠に勝負がつかないのだ。終わらないのだ。

私がそのことに気がついたとき、ふいに「お店からですう」とある物を渡された。小分けになったアイスのピノだったが、袋を開けるとそれは見たことのないピノの形であった。つまり一度溶けたものが再び固まっているのだ。

しかし、その妙な形のピノは私に六本木らしからぬ郷愁を感じさせた。例えるならばアイスだけれど「おばあちゃんのぽたぽた焼」的郷愁を感じさせた。私は思った。人と関係するとき、私たちはいろいろ考えすぎていないだろうか。それは誰かに優しくしたいときですら、事前に考えすぎていないだろうか。アイスあげるんだから多少溶けてたって気持ちは伝わる。ちゃんと全部を理想的に伝えるなんて逆におこがましい。

サービスなどという横文字では形容できないそんな雑な優しさにまさか六本木で触れることになるとは思わなかったが、2年に1回あるかないかの新規の客にも良くも悪くも全力なママたちの姿勢に、いくつになっても落ち着かないその「キャッキャ」に、学ばなければいけないところもあると思える冷静さを取り戻すことができた。

だから絶対に2度とは行かない店ではあるし、彼女たちもこいつらは2度と来ない客だと分かってはいるはずだけれども、マナーとして最後に歌ったのである。尾崎紀世彦「また逢う日まで」を。

嘘でもいいじゃないか。だって嘘の方がもし本当にまた逢う日が来たらそれは奇跡だって思えるから。なんてことを帰りのタクシーの中で思ったというのは嘘で、やはり六本木は怖い街だと眉をひそめていただけの私である。

#コラム

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