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恥と罪はパンツの中に

例えば母親から生まれ出たときの記憶があれば人生をもっと大切に思いながら生きていけるのかもしれないが、作中とはいえ「仮面の告白」でその記憶があると書いた三島由紀夫が人生を大切にしたのかと言われると大切にしすぎてしまった故の禍福があったと言わざるをえないとは思いつつも、私の場合、人生のわりと初期の記憶で鮮明なのは幼稚園のときにトイレで先生にパンツを流されたことなのである。

無論、そのとき私は漏らしており、その処理をしようとして慌てた先生が意図せず流してしまったのだが、先生、といってもいま考えれば、二十歳そこそこの女の子で、園児とはいえ、男のそんなもん勘弁してくれと思ったはずの大変な仕事のワンシーンである。私には何故かそんなワンシーンの記憶がしっかりとある。

だいたい「記憶がある」という状態は、幾度となくそのことについて人に話す機会があって、自分の中でリマインドされていくから薄れていかないのだと思うが、私の「パンツ流された事件」は、漏らしたことが前提になっているから思春期に人に話すわけもなく、むしろ忘れたい過去のはずだったのに、三十数年経った今でも確かな自分史として年表に刻まれている。

理由はいくつか思い当たる。

まず第一に人生で初めて私が羞恥心というものを経験したからだ。しかも強烈に経験したからだ。教室で漏らす、先生(親以外の大人)に連れられトイレに行く、脱がされる、拭かれる、最後にはパンツを流される、そしてトイレから教室に戻るときにはノーパンになっている。幼稚園ではよくあることかもしれないし、大人になってからも間に合わなかった経験があるいまの私からすれば何とも可愛らしいエピソードなのだが、当時の私には人生の不思議さや困難さを思い知るには十分すぎる出来事だったわけである。生きるとは恥ずかしいことである。そのときの私は太宰治も知らぬのに彼が戦い続けたものに漠然と気がついていたのかもしれぬというのは言い過ぎであるが、言い過ぎたくなるほどに強烈な出来事だったわけである。

そしてもうひとつの理由。それは後日談にある。

私はパンツを流されただけではなかったのだ。後日、その先生がある物を持って私の家に来たのである。「パンツを流してすみませんでした」と真新しいパンツを買って持って来てくれたのだ。繰り返すが、先生、といってもいま考えれば、二十歳そこそこの女の子である。園児とはいえ、男物のパンツを買った経験が彼女にあったかどうかは分からぬが、自分がしてしまったことへの後悔をそれでも何とかしようとする仕事への責任感で休日にわざわざ小さいパンツを買いに出かけたわけである。

つまり、教室で漏らす、先生(親以外の大人)に連れられトイレに行く、脱がされる、拭かれる、最後にはパンツを流される、そしてトイレから教室に戻るときにはノーパンになっている、先生から新しいパンツをもらう、となったのだ。こう書いてみると私は漏らすこと以外はいっさい何もしていないことに気がつくがそれはどうでもいいとして、私にとってのこの事件は羞恥心を知っただけでは終わらなかったということである。若い先生の仕事に対する後悔を目の当たりにして、私は「自分がこの人を傷つけてしまったのだ」と人生で初めて罪悪感というものも経験したのだった。

その後の人生にとって感情の友であり、敵でもある「羞恥心と罪悪感」を同時に教えてくれたから、この記憶はこんなにも鮮明なのだ。

あと、先ほど記憶は人に話す機会がリマインドさせると書いたが、この件は人に話すまでもなく、私の中でしばらくはリマインドされていた。

それは言わずもがな、先生にもらったパンツをひとり履くときに、である。

#コラム

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