選手をつけて呼ぶ人
選手とは何か。
スポーツの話ではない。
私が若いころは確かにいた、人を呼ぶときに「選手」とつける教師や先輩や上司。
「最近どう?ヨフカシ選手」
「ヨフカシ選手、これやっといて」
「ヨフカシ選手ぅ〜」
最近はあまり聞かなくなったが、私はわりと好きだったのである。「先生!」はちょっと大げさで、「社長!」は夜の匂いがする、はたまた「大将!」は武田鉄矢の匂いがするし、「大統領!」はもはやバカにされている(言われたことないが)。そこにきて「選手」である(どこにきてかはわからないが)。
目下の者におもねってはいるわけだが、持ち上げているようで、あくまでお前はいちプレイヤーであるという上から目線も感じ、なんとも言えない昭和のシズルも心地よい。言われるとその後の真面目な話にも語尾に「w」がついて聞こえてくる。呼ばれたとき瞬時に「あ、怒られるわけではない」と分かる機能性もある。コミュニケーションの潤滑油。
もうみんな「選手」をつけて呼べばよいのではないかとすら思う。敬称や肩書きは時に人間関係を、組織を、無自覚に硬質化する、いびつにする。上司も部下も、タレントも、政治家も、評論家も、アーティストも、クライアントも、代理店も、彼氏も彼女も、夫も妻も、みんな「選手」とつけて呼べばいい。
部下が上司に「山田選手、この書類見てください」。タレントへのインタビューも「菅田選手、この映画の見どころは?」。国会答弁も「安倍選手!答えてください!安倍選手!」。彼氏が彼女にプレゼントを渡すときも「メグミ選手に絶対似合うと思って」。
みんな人生という競技の選手なのである。まずはそのスポーツマンシップに敬意を払おうではないか。素晴らしいことだ。
ただ一つ問題は本当に「選手」である人をどう呼ぶかである。人生という競技の中でさらにあるスポーツ競技の選手であるのだから、選手内選手。劇中劇とも言える彼、彼女たち。しかし例えば大谷翔平選手選手などと呼べば「サンプラザ中野くんさん」または「さかなくんさん」のようになるわけであるが、まあしかし呼び方の新しさには人は慣れていく。優香がデビューしたとき「え、名前だけ?何それ」と男子諸君は思ったわけだが、実力が伴っていればそれが普通になる。今では菜々緒、波瑠などたくさん、あ、そろそろお気づきだとは思うがこの話にはオチがない。小一時間探してみたもののやはりない。「これが本当の選手宣誓」無理やりである。「実際に上司を選手と呼んで怒られた」呼んでいない、嘘はなるべくつかずに生きていきたい。「2020 日本中がさ 選手村」川柳か。
「頼むよ、オチ選手ぅ〜」
このままではオチにまで選手をつけておもねってしまいそうである。
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