『SORAN3.0』初めて映像作品を作ってみたら分かったこと
こんにちはヒサノモトヒロです。
私ごとですが、この度はじめて映像作品を作りました。
これまで写真や企画など、節操も見境もなく、思ったままに色々とやっておりましたが、今回ついに映像に手をつけた訳です。
ただ、正直申し上げますと、もうめっちゃ大変でした。
めっっっちゃ大変でした!!!!
まずは、その作品をご覧ください。
https://youtu.be/OBn-SFBkZT8
視聴いただきありがとうございます。
とまあこんな風に、今回私はソーラン節をリメイクし、SORAN3.0と銘打った映像作品を制作しました。
しかし僕自身、別にそこまでソーラン節に興味があったわけではありません。中学で踊ったな〜くらいの認識でした。
では、なぜソーラン節をこういう形でリメイクするに至ったのか。そして映像制作初心者がどういう流れでSORAN3.0を作ったのか。そんな事を、悪筆ではありますが、書かせていただければと思っています。
SORAN3.0は、このメモから始まりました。
これを見る限り、どうやら僕は2019年5月1日に何かを感じ、メモ帳に“サイバーソーラン節”とだけ打ち込んだようです。
正直、この時何を感じてこのメモを取ったのかは、全く覚えていません。また、何がそんなに僕を突き動かしたのか分かりませんが、
「“サイバーソーラン節”を作るには、アフターエフェクトを使える映像作家が必要だ」
と思い、すぐにこんなツイートを投稿しました。
するとすぐに数人の映像作家さんからDMが届き、その中にナリタさんがいました。
ナリタさんの作品は、正直理想的でした。アフターエフェクトも使えて、動画の撮影技術もありましたので、本当に申し分ありませんでした。
そこから連絡を取り合い、5月7日にナリタさんと初の打ち合わせを行いました。
僕は当日、このようなバカをしでかしましたが
なんとか平謝りをしながら、ナリタさんに自分のやりたい事を説明し、大まかな方向性となんとなくのスケジュールを話し合い、とりあえず制作を始めることになったのです。
「映像作品さんも見つかったし、次はダンサーさんだな」
そう思った僕は、こんなツイートをしてみました。
するとすぐに届くDM。しかもマジめっちゃ驚くほどの数。その中の15名ほどと連絡を取り合い、概要を説明し、参加して貰えることになりました。
正直トントン拍子が過ぎるなとは、思っていました。
その後もナリタさんの友達のサウンドディレクターさんや、僕が前から仲のいいデザイナー。三味線奏者の岩田さん、岩田さんとユニットを組んでいる有里さん。
その他沢山のクリエイターの方々が、続々と参加を表明してくださいました。
この頃の僕はもう、イケイケになっていたと思います。なんでも出来るような気がしていました。
しかし、ついに壁にぶつかります。圧倒的な資金不足です。
クリエイターの皆様には、今後仕事などなんらかの形で還元するという約束で、まさかのノーギャラで動いてもらっていました。僕も腐ってもフリーランスですから、本来こんな事はありえません。ふざけるなって話です。
本当に、感謝しかありません。
しかしそれでも、練習用のスタジオの場所代や、衣装代、その他さまざまなコストを含めると、相当な金額が必要になります。
とはいえ僕は、仕事もろくに貰えないド底辺フリーランスですから、お金なんてものは全く持っていません。恥ずかしながら、貯金なんてほぼ0です。いや、マイナスかもしれない…
ビジネスセンスもなく、仕事もなく、ツテもなく、金策もなく。こうなってしまったら、僕はもうTwitterするしかありません。
もう本当に、藁にもすがる思いでした。
すると、信じられないことが起きたのです。
続々と「出資したい」という方々から届くDM。しかも驚くほどのスピードで。
具体的には言えませんが、2日間で僕の2ヶ月分の売り上げを優に超えるほど金額が集まったのです。
奇跡だと思いました。
つくづくSNSは凄いなと。本当に凄いなと。本当にありがたいなと。
もう本当にありがとうございました。
そうして、これだけあれば無敵だろうと思えるほどな制作予算とクリエイターを味方につけた僕は、意気揚々と動き出したのです
が
僕は映像作品を、いや物を作るということを、いや人生をナメていました。
ここから、3つの大きな壁にぶつかります。
1.ダンス制作とダンサーさんとのコミュニケーション
2.制作総指揮の難しさ
3.自らの見通しの甘さ
壁①・ダンス制作とダンサーさんとのコミュニケーション
ソーラン節はいわばダンスですが、僕はダンスに関してはズブの素人です。ですので、ダンサーさんと一緒に全ての振り付けの再構築をする必要がありました。
しかし、ソーラン節は(今回ベースにした南中ソーラン)恐ろしく完成度が高く、これをイジるのは容易ではありません。
また、僕の中のイメージの共有がダンスの言語に落とし込めず、それを伝えることもなかなか出来ずにいました。
さらに、振り付け師という概念が欠落していたので、参加してくださったダンサーさん達と、少しずつ作っていくしかありませんでした。
元のソーラン節の雰囲気を残しつつ、しっかりダンスの要素を入れるというバランスを、どう取っていくのか。試作を重ねながら、トライアンドエラーをし続ける。振り付けを完成させ、そこからカメラワークを作り、練習をして、本番に臨む。そういった基本が、ひどく大変でした。
結果的には難なく完成させる事ができましたが、一歩間違えれば総崩れという可能性もあったわけです。
あっぶねえ
壁②制作総指揮の難しさ
この規模の個人制作をするのは、もちろん初めてでした。
個人制作とはいえ、制作資金を出資していただいているわけですし、クリエイターだけでも30人弱の参加者の方々がいましたので、いつもの感覚でやってはいけない訳です。
ですが、諸々の調整やスケジュールなどの動かし方、時間や資金的に出来ることと出来ないことの線引きなど…
なんの自主制作にしてもそうですが、やっぱりやりたいだけじゃダメでした。
実際、大小合わせて数多くのミスがありました。作品は完成しましたが、個人的には制作過程においては、後悔が多く残った結果になってしまいました。
次なにを作るかは分かりませんが、次回に生かし、次はよりクオリティの高いものを作ります。必ず。
壁③自らの見通しの甘さ
これは痛感しました。
というより、現在進行形で痛感しております。
特に制作進行や予算の面では、それが顕著でした。
先程も書かせていただきましたが、やはり出来ることと出来ない事がありました。やりたい事を出来るわけでは無かったわけです。
それはもちろん当たり前の話ではあるのですが、僕が自意識過剰だったのか、自信過剰だったのか、やれると思っていたラインは遥かに頭上でした。
そして予算です。
僕は日本の物価をタイの物価かなにかと勘違いしていたのでしょう。
初めての映像作品で、何にどれほどかかるか不透明だったというのは確かにありますが、これだけあれば無敵だと思った予算は、蓋を開けたとたんにみるみると減っていきました。
結果的には少し足りないくらいで済みましたが、下手したらやばかったです。
本当に見通しが甘かったというか、何も見通せていなかったというか。
SORAN3.0の制作意図
そもそもなぜ3.0なのか。
現在最もポピュラーなソーラン節である『南中ソーラン節』をよくよく調べてみると、それが古典のソーラン節をある種リメイクしたものなのだと分かりました。
では、南中ソーランはいわばソーラン節2.0なんじゃないか?
そう思って『SORAN3.0』を、3.0だと定義付けたわけです。この定義付けには賛否あると思いますが、大目にみてください。
なぜソーラン節なのか?
まず普通にかっこいいからです。ソーラン節ってめっちゃかっこよくないですか?
そして、ソーラン節って伝統文化と呼ばれるカテゴリーの中でも、かなりポピュラーで馴染みやすいものだと思うんですよ。
色々調べてみると、20代から60代の男女でソーラン節を踊った事がある人って、18.7%なんですって。
それだけ聞くと大したことないですが、これが20代の男性になると34.6%、20代女性に関しては51.9%もの人達が踊っているんです。
その要因は色々とあるんですが、要はソーラン節って若者向けのコンテンツなんですよ。
そういう要素もあって、伝統芸能をアップデートする映像作品を作りたかった僕としては、この上ない素材だったというわけです。あとめっちゃかっこいいし。
そんなわけで
SORAN3.0流れと沢山の人の多大な協力で出来た作品です。
作品としては、どこに出しても恥ずかしくないものになっていると思います。
楽しんで見てもらえると、とても嬉しいです。
また、制作チームとして仕事をいただけると、最高に嬉しいですし、クオリティの高いコンテンツを提供する事ができる自信があります。
良いお話お待ちしています。
末筆になりましたが、ご協力くださった全ての関係者の方々に、心からの感謝を申し上げます。皆様のおかげで、無事に制作を終える事ができました。
本当にありがとうございました。
しかし、これはスタートに過ぎません。今後とも是非気にかけていただけますと幸いです。よろしくおねがいいたします。
ではまた、どこかでお会いしましょう。散文駄文失礼いたしました。
ヒサノモトヒロ
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