R0304教典
はじめに
"宗教上の理由"は、理由界最強の理由である。
各人の信教の自由が保障される限り、"宗教上の理由"は実に有効に機能する。特に日本においては、良くも悪くもその効果は非常に強力で、どんな理不尽にも対抗できる可能性を有している。
"宗教上の理由"は、その内容の如何を問わず、利用価値が非常に高いのだ。
しかし、この言葉を実際に使用する事は稀である。
それは我々の独特な宗教観や宗教へのネガティブなイメージ、宗教に対する理解不足などに所以するものだろう。
だからといって、この素晴らしく実用的で即効性のある"宗教上の理由"を使わないのは実にもったいない。
ならば、"宗教上の理由"を使う為の宗教が存在し、それに準ずる教典があれば良い。
すなわちMtoP教団は、"宗教上の理由"を使う為の宗教である。
当教典及び教義には、神さまの定義及び儀式、禁止事項などは含まれていない。以下は単に神さまが"宗教上の理由"の行使を許可した事例の列挙である。
R0304教典
・命は大切だから、自然災害や人的災害等の有事の際は自らの安全を第一に考え行動し、それを邪魔する全てのものに対しては、断固として強硬姿勢で挑むこと
・冷めてしまっては元も子もないので、最後の一個は積極的に食べること
・権利を行使出来ない企業などは諸悪の根源であるから、有給休暇をすべて消化すること
・子供や家庭の幸せを願えない常識などは諸悪の根源であるから、育休・産休を最大限利用すること
・無理は禁物であるから、体調・精神的不調の改善に努めること
・虫が苦手な事は恥ずかしくないから、虫の出現には大いに慌てふためくこと
・車を持っているからといって、あなたの仕事はタクシー運転手ではないので、運転の強要を断ること
・コミュニティ内でのカーストなんて何の指標にもならないから、理不尽な指示や、物事の強要を断ること
・みんなが騒ぐために一人で寂しい思いをする事は悪の所業であるから、理不尽な場所取りの強要を断ること
・自分の時間を望まないことに使う事は悪の所業であるから、不要な時間外労働を断ること
・しつこい奴は諸悪の根源であるから、望まない勧誘や融資を断ること
・欲しくないものを買うことは悪の所業であるから、購入の強要を断ること
・痛い目をみるから、連帯保証人になることを断ること
・ぼったくりは諸悪の根源であるから、客引きを断ること
・したところでなんの利益にもならないから、SNSのフォローバックの強要を断ること
・どうせストレスの元になるだけだから、LINEの友達追加の強要を断ること
・スベることは目に見えているから、一発芸及びそれに準ずるものの強要を断ること
・聞きたい気持ちはわかるが言いたくはないので、好きな人いるの?及びそれに準ずる質問の返答を断ること
・自分の身は自分で守るべきだから、自らの健康に害を及ぼす危険性のあることや物の強要を断ること
・こわいから、絶叫系・ホラー系及びそれに準ずるエンタメの強要を断ること
・味の好みは人それぞれだから、個人的な味変は自由にし、味変の強要を断ること
・人の幸せは心から喜べるものばかりではないから、ご祝儀の強要を断ること
・どうせお金の無駄になるだけだから、行きたくない飲み会を断ること
・行ってもどうせ楽しくないから、行きたくない遊びを断ること
・紙は資源であるから、PDFへの捺印や手書きの履歴書、紙の領収書など、必要以上の紙媒体の強要を断ること
・いちいち写りを気にするのはストレスだから、写真または映像に準ずる媒体への被写を断ること
・十中八九詐欺なので、息子を名乗る人間から電話越しにお金を要求されたら、大いに怪しみ、一度電話を切ってからかけ直すこと
・モラルは時として暴力であるから、自らの意思に著しく反したモラルの強要を断ること
・どうせさらに傷つくハメになるだけだから、自らについた精神的または身体的な傷を隠しておきたい時は、それの公表の強要を断ること
・断じて否定するわけではないが、それによって虚しさや悲しみを抱く姿は見るに耐えないし、そんなことはきっと先方も望んでいないはずだから、望まない異教の行事や祭事への参加を断ること
・MtoP教団の信者においては、上記に記載されたすべての事柄を実行する事が可能である。またその際、教義の使用によって自身の状況が好転する場合であれば、"宗教上の理由"を用いてそれを行使し、対処することができる。
・MtoP教団に入信する際は、Twitterで@free_lance_godをフォローすればよい。アカウントのフォロワーを信者と規定する。
さいごに
MtoP教団は、メディアアートとしての宗教である。私たちの宗教の教義は教典で発布し、随時更新する。
当教団は、信者が自己責任の下で教義を実践することを第一に掲げ、自ら責任を負えない場合には教典の利用を認めない。
当教団は、信者が自ら選び利用したときに限り、教典の利用を認める。
当教団及びその関係者は、教典を信者が自ら選び利用した結果に責任を負わない。
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