JXコン「IDENTITY」蘇った東方神起サウンド
2人の歌声に関する分析は、同時配信する「JXコン1人のファンに成り下がった夜」の方に詳しく書いています。
今回の記事は、12月14、15日に西武ベルーナドームで開催されたJX「IDENTITY」のライブレビューです。
今回のライブは、一言で言えば、過去に戻された時間。
記憶の中のサウンドが蘇った時間だったと思います。
星占いによれば、まさに水星の逆行中で(11月26日〜12月16日)過去を振り返ることが起きる期間でした。
過去を振り返る時間がどういうものだったのか。
そのことをテーマに今回の記事は作成しました。
東方神起とはどんな存在だったのか
今、日本ではK-POPが音楽ジャンルの中の1つとして、当たり前のように存在しています。
JO1のようにメンバー全員が日本人だったり、TWICEやINIのようにメンバーに韓国人はおらず、日本人と中国人や台湾人だったり、と言うように、「韓国」=K-POPという概念を払拭するようなグループが活躍する、また、日本のボーイズアイドルグループも曲調が完全にK-POP寄りになっている、というような流れは、今後も変わらないのではないかと感じます。
今の10代は、おそらくK-POPが日本の日常の音楽に違和感なく溶け込んでいるという感覚が普通なのではないかと感じます。
ですが、東方神起が日本でデビューした20年前には、そんな土壌は日本の音楽市場のどこにもありませんでした。
東方神起が日本で苦戦した理由は大きく2つあります。
1つは、ボーイズアイドルグループだったこと。
そして、もう1つは、韓流だったことです。
1つ目は、日本でのボーイズグループの市場は旧ジャニーズの独占場でした。
旧ジャニーズが作り上げた強固なアイドル市場のどこにも食い込む隙がないほど、当時は、旧ジャニーズ王国だったこと。
そして、もう1つは、韓流というものに対する当時の一般視聴者の拒否感です。
当時、BoAが日本ではブレイクし、ポジションを獲得していました。
彼女は、現地化政策と言って、日本語を話し、日本語の曲を歌う、という政策のもと、完全に日本社会に溶け込んだ存在になることに成功していました。
流暢な彼女の日本語は、彼女が韓国人であるということを私達に忘れさせました。さらに、BoAというネーミングも違和感なく日本市場に溶け込んだと言えるでしょう。
しかし、東方神起の場合は、そうはいきませんでした。
どんなに「冬ソナ」によって韓流ブームが起きたと言っても、それは日本市場の全体から言えば、限定的であり、一部の人達に受け入れられたに過ぎません。
そして、ドラマファンがそのまま音楽ファンであるという構図にはなりません。
なぜなら、ドラマはファンタジーとして受け入れることが容易でも、音楽はそうはいかないのです。
現実に目の前で繰り広げられる歌やダンスは、リアルそのものです。
「東方神起」というネーミングは、日本ではない響きを感じさせ、彼らの辿々しい日本語は、常に彼らが韓国人であるということを感じさせました。
さらに彼らが歌ったデビュー曲。
その衣装コンセプトや曲調は、それまでの日本のボーイアズアイドルグループに抱いていた多くの視聴者の価値観とは大きくかけ離れたものだったと言えるでしょう。その為、アイドルグループファンからは違和感を抱かれ、韓国ドラマファンがそのまま彼らのファンになるとも限らなかったのです。
そこでavexが取った政策は、「現地化政策➕ボーカルサウンドグループとして存在させる」ということです。
韓国の練習生制度によって、徹底的に鍛え上げられた歌唱力とダンス力は、当時の日本のボーイズアイドルグループにはないものでした。
その部分で、既存のグループとの差別化を図ったのです。
即ち、外見的には、アイドルの容姿を兼ね備えている上に、歌やダンスの実力はアーティスト並みにある、というコンセプトです。
特に重要視したのは、彼らのアカペラコーラスとしての実力。
当時の日本にアカペラサウンドを奏られるグループは、ゴスペラーズしかなく、彼らのコンセプトは、全く新しい価値観を日本の市場に存在させたと言えるでしょう。
しかし、日本の一般視聴者は、残念なことに彼らの実力を正当に評価するだけの成熟した耳をまだ持っていませんでした。
その為、彼らがボーカルサウンドグループとして一般的に受け入れられていくには、時間がかかったのです。
これら2つが大きな要因として、東方神起が苦戦した理由だと考えます。
東方神起が果たした役割
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