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存在の証明とやら

ただ自分について整理したかった。
ずっと『普通』になりたくて見ないふりをしたかった。

小さい頃から障害を持ってるんだから障害があるって自覚して自分の出来ないことを理解して普通に見えるように生活することを親に矯正されていた。
ある意味ではこの子育ては成功だったと思う。
中高では大きな問題は特に起こさず、むしろ中学や高校前半辺りは割と成績も良くて大人しくて優等生の部類だったと思う。
でも『普通』であることの矯正が自力で出来るならそもそも障害として扱われる訳もなくて。
だんだんとその片鱗を隠せなくなってきた。
妹は要領が良かったから自分の苦手を隠して得意を上手く伸ばしていったから親に褒められている。
でも僕はそもそも得意なことがないし、苦手を隠せるほど器用でもなかったから

「姉妹でお前だけは自分が障害があることを自覚していない。自分だけ健常者だと思いやがって。」

とよく暴言を吐かれた。
その言葉のせいで自分は障害者なのだというレッテルが貼られその類のことを調べ続ける人生となった。
心理学部に入って1番は自分が救われたかった。
誰かを救いたいなんて思ってる余裕なんてなかった。
あわよくば自分は障害なんてない。たまたま苦手なことが多いだけだから直せる。って思いたくて入った。
でも救われるどころか現実を見た。

障害者の支援制度。実際に精神疾患の人を目の当たりにしたことなさそうな連中。現実が見えてないバカ共。心理学に大して興味が無い人間。現実が見えてない能天気なヤツら。なんの目標もなくなんのために心理学をやってるか分からない人達。自己を受け入れられない自分。etc…

僕はきっと普通なんだと思う。
普通に学校に通って、普通にバイトをして働いて、友達と遊んで、人と対話をして、文字を書いて
ちゃんと出来ている
これが全てじゃダメなんだろうか。

心理学部とかその類を調べてる人なら分かるだろうけれど世の中には心理検査、もっと言えば知能検査と呼ばれるものがある。(発達障害等や知的障害を調べるものと思えばよろしい)

これは内容等を知ってしまうと自分は受けれなくなる。
心理学部に入った理由の一つだ。
二度と受けたくなかった。
何度受けても変わらない傾向有りのカルテ。
普通を演じてやっても全てが裏目に出て行動等をメモされて先生、親に報告される。
だから自分で学んで二度と受けれなくなって真相を闇に葬り去ってやるって思ってた。

でも大学に1年通ってこのまま自分を知らなかったら後悔する気がしてきた。
どんな結果になったとしても逃げちゃダメなきがしている。

人生で多分最後になる知能検査を2月に予約した。
きっと結果が出るのは4月とか5月とかだろう。
大学2年生をどう過ごすかの指標になるだろう。

もしかしたら『普通』の称号が得られるかもしれない。
もしかしたら『普通』を剥奪されるかもしれない。
病院に通わされるかもしれないし薬の投与が始まるかもしれない。

でもそれでも逃げれない。

人生でほぼ初めてと言っても過言じゃないくらいに今の僕は未来を見ている。

前まではどうせ死ぬんだと思って見てこなかった大人としての自分を探さなきゃいけない。
だから僕はどんな結果になったとしても大人として、人間としての『普通』をこれからも追い求める。
それが親の望むことであり、自分の進むべき生き方だと感じるから。

そんなことを考える深夜でした。
こんなこと言っときながら内心はとにかく不安で仕方がないんですよね笑
自分のホントの姿なんて見たくないんですから…

でもどれだけ泣いても、どれだけ悔やんでも、どれだけ誰かを憎んでも変えられない自分の本質だと思うから。

まぁ後悔しないように頑張ります

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