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映画の『リアル』って何だ?

『シン•ゴジラ』はリアルなのか?

何をもってリアルと言えるのか、本当に人それぞれ。様々な人が語る『シン・ゴジラ』を見て一つの結論がでた。

そもそもリアル(現実)じゃねえ!

どれだけ『シン・ゴジラ』の中に出てくる設定が本物っぽくても、ゴジラが出てくる時点で嘘なんだ。
そういえば『現実 対 虚構』ってキャッチコピーついてたな。今思い出した。

『ジュラシックパーク(ワールド)』シリーズを観た時
「わー!すごい!リアル!」
と言った人に対して
「いや本物の恐竜見た事ないでしょ(笑)」
って言う人、居るんだろうか?
実際のところリアルだなあって思っちゃった人の方が多いと思うし、そういう所にツッコミを入れるのは野暮、無粋。
図鑑や博物館で観た恐竜の復元模型が、画面の中で違和感無く咆哮し、重量感のある動きをしていればリアルになってしまう。

『空想科学読本』、あれは自ら好きで読みに行っているから面白いのであって、あれのノリを普段から地で行く、こっちが聞いてないのに何でもツッコミたがりの人は、なんだか面倒だなと思われてしまう。

そんな事、言われましても

「なんだかんだみんなリアルとか言うけどさあ、俺は最後の電車のやつと冷却薬注入する所で急にリアルじゃなくなって冷めちゃったんだよねー!」
これは実際、私が言われた事。
「へえーそうなんだ……でもゴジラだからねえ……」
「でもあんなに散々リアルリアル言ってて最後だけあんなやり方、急にリアルじゃないじゃん?」
ゴジラは放射能汚染の化身だ。
『シン•ゴジラ』は、東日本大震災の後に作られた。
ポンプ車で凝固剤を運んで来てゴジラに注入するのは福島第1原発をなんとかして冷却しようとしていたあの頃そのものだ。
無人在来線爆弾(※1)だって、空からの攻撃もダメ、ラジコン(無線)もダメとなったら、そこにあった鉄道に頑張ってもらうしかない。

※1 無人の在来線と新幹線に大量の爆薬を積み発車させて、東京駅のゴジラにぶつけた爆弾。事前に、無線機でゴジラに近付く等テストしたが全て妨害されたので、無線で軌道を操る必要の無い方法として考案された。私の解釈なので間違っている所は多分ある。

ゴジラシリーズの背景と、あの作戦に至るまでの事情がわかればあのシーンは結構リアルだと思う。戦略という意味では。
だけど多分、それを説明したところで彼の中ではリアルではないし、こちらとしてもそんな所をツッコミ入れられてもこれフィクションだしで、お互い思うのが
「そんな事、言われましても」

ボクのかんがえたさいきょうの◯◯

多分、彼は自分なりのゴジラがあったんだと思う。急いで開発したメーサー兵器とかでピー!!とやってゴジラが去っていって欲しかったんだろう。もしくはまたゴジラがメルトダウンするとか。
でも庵野秀明的には、ゴジラをメルトダウンさせたり爆発四散させてはいけなかった。海洋汚染もダメ。そこにある物でなんとか動きを止めて先延ばしにするのがリアルだった。

フィクションで人がリアルだと感じる要素は、自分の中にあるそれとどの程度ぴったりハマるかなんだと思う。
「思ってたんとちゃう!」
そう思ってしまった時に、そのフィクションはリアルではなくなってしまう。
最近見た感想では
「ジュラシックワールドの◯◯の動きが俊敏すぎてリアルじゃなかった」
的な物があって、無粋だとは思いつつも
「いや、◯◯見たことあるんか?恐竜やぞ?」
と思ってしまった。

多少「ん?」と思う事があっても
「まあそういう話なんだろう」
と受け入れないと話のジェットコースターから振り落とされる事がある。
あくまでも他人が作った話を見せて貰っているんだから、自分の考えと違っていて当たり前。
今生きている世界とは違う世界線の話なんだくらいに思っておいた方が、フィクションは楽しいと思う。
ボクの考えたさいきょうの◯◯を楽しみたかったら、自分で作るしかない。
でも多分、作ったら作ったで誰かに
「こんなのリアルじゃない!」
って言われるんだけどね。

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