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映画をつくる 10 プリ・プロダクション③ 脚本の翻訳と、スタッフ・オーディション

日本の脚本と、アメリカのシナリオの違いに戸惑う


「Hisako ここでユキエは立つの? それとも座っているの?」
「そんなこと、今からシナリオにいちいち書かなくていいの」
「ダメだよ、書かなきゃ」
「うるさい!いいのよ、書かなくて!」
マイケル・テイラーとホテルにこもって、シナリオの英語訳のバトルが続いていた。シーンごとにくる返されるそんな口論で、私ははじめて日本とアメリカのシナリオの書き方の違いを知ることになる。
双方の違いをひと言で表せば、日本の脚本は文学作品的であり、アメリカのそれはあくまでもスタッフと出演者たちのコンセンサスとるための設計図であることだ。
たとえばト書きを、私としては現場で俳優さんに動いてもらってから決めたいのに、マイケルは、そのいちいちを細かに書いておかなくてはならないと言う。
私はその言葉を聞くたび苛立った。
新藤監督の脚本をリスペクトする気持ちが強く、一字一句変えずに直訳したいと思うのに、監督が日本の書斎の机の上で想像しながら書かれたものが、実際のバトンルージュの町の事情に合わせて、変更を余儀なくされるシーンも出てくる。

そんなことに直面するたび、私の頭には、何年か前新藤監督にテレビの2時間ドラマの脚本を依頼したときの、苦い思い出がよみがえっていた。
演出も担当することになっていた局のプロデューサーが、変更の相談するため自分の意見を述べていたとき、険しい顔で聞いていた新藤監督が、突然立ち上がると、
「だったら自分で書きなさい」言うと、席を蹴って部屋を出て行ってしまったことがあったのだ。プロデューサーの要求の仕方が新藤監督の怒りを買ったのだとわかって、茫然とその背を見送ったことを思い出す。
後日、監督の怒りが解けて、脚本を引き上げる事態にまでは至らなかったものの、あの日図らずも老脚本家のプライドを目の当たりにして以来、新藤監督ほどのライターの脚本を変えることは、許されないのだと肝に銘じていた。

そんな私の思いをよそに、マイケルは「ここは辻褄が合わないよ」とか「アメリカではこういう言い方はしない」などと言って、私を追い立てる。
そんなマイケルとの諍いのなか、6月になってロンドンからやってきた息子のYuukiが通訳として合流し、クッション役になってくれたのはせめてもの救いだった。

「シナリオを書かせてくれないか」と言ってきたアメリカ俳優

そして、ようやくシナリオの英語訳が終わり、いよいよ現地で雇う各パートのスタッフのオーディションに入ろうとしていたとき、クミコが私のもとにやってきて、
「大変なことが起きている」と、深刻な顔で言うのである。
聞けば、先日ロサンゼルスで会ってリチャード役に決まったボー・スベンソンが、
「送られてきたシナリオを読んだが、あれではあまりにも平板だ。僕はシナリオライターの実績もあるので、一度自分に書かせてくれないか」と言ってきたという。
とんでもないことだった。
「それはあり得ないわ。すぐに電話をして断って頂戴」と言うと、
「でも彼は本気です。無下に断ってしまったら、リチャード役を降りると言い出すかもしれません」と、クミコも困り果てている。
あれだけ熱心にリチャード役を自分にやらせて欲しいと言っていた、あの優しい男が、そんな無理難題を言い出すなんて…と、ロスで会ったときに感じたボー・スベンソンという俳優の好印象が、一気に冷める思いだった。

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