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断捨離③

分厚い日記帳のなかに、黄色く焼けた一枚の情宣ビラが挟んであった。
冒頭を引用してみよう。

昨日学校当局は、19名の除籍を含む40名の処分者を決定した。しかも、この処分は第一波の処分であり、今後も追って更なる処分を決定するということである。我々は、まずもってこの処分が全く不当なものであり、我々の闘争に対する徹底した弾圧の狼煙であることを全早大の学生の名をもって糾弾しなければならない。

この頃、日韓条約に抗議する政治運動から<学費・学館闘争>と呼ぶ授業料の値上げ反対、学生会館の自治運営を学校側に要求するという、自分たち学生自身の問題を闘争の最大テーマにシフトしていたようだ。
ビラを書いているのが「一連協事務局情宣部」とあるから、各学年単位で協議会が組織されていたのだろう。

我々の100日間にわたる学費学館闘争に対する彼らの回答の一斉が、この一行の処分発表とそこに述べられている言葉に集中的に示されている。なかんずく大浜(総長)を初めとする前理事辞任の際、彼等が語った「事態の解決への第一歩」が、具体的な形<闘争に対する、自治会に対する弾圧>をもって現れたのだ。我々は今一度想起してみたい。大浜及び前理事退陣という茶番劇において彼らが語った<責任を感じたが故に>というその責任が<学費の値上げを、学館問題の処理をより狡猾に、よりスムーズに推進できなったこと>そして<この闘争を『紛争』と捉えることにより度重なる不祥事を起こしたこと>に過ぎず、一方においてそのような民主的なポーズを示しながら・・・(後略)

なかんずく・・・弾圧の狼煙・・・不当・・・茶番劇・・・狡猾さ・・・などという語彙が、ビラやアジテーションで頻繁に使われていたその頃、武藤氏の劇団の運営に疲れきった私は、劇団を辞め、文学部のキャンパスに戻った。

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「心情左翼」の戯言

その頃、クラスメイトの一人Tさんから届いた、彼女が育った家庭環境を打ち明ける手紙にも、あの時代ならではの言葉がある。

・・・自分の家庭環境を卑屈に捉えてはいないつもりだけど、絶対そんなものには影響されていないとも言えないと思います。だからあなたのお家なんかすごく羨ましい。しかし私のプライドがそうさせるのかもしれないけれど、私は自分自身を特別なものとして感じたくないし、またそうはしてないつもりです。(中略)要するに、あなたも私も主体としての自己と、客体的客観条件を変革に超克しなければならないのよね」

「主体としての自己と、客体的客観条件を変革に超克しなければならない・・・」超克・・・欺瞞性・・・心情左翼・・・総括せよ・・・などといった硬質な語彙が日常会話でも頻繁に使われた時代だった。

私が、軟派な慶應の学生やオーディションで集まった社会人の男女の集団「ふぇろう」を仕切りながら、劇団仲間と通ったシャンソン喫茶「銀パリ」で、丸山明宏の歌に涙を流していた頃、Tさんは本格化する学生運動にのめり込み、セクトの一員になっていた。
T 嬢の手紙にあった「私は自己の行動を規定する何らかの理論があるつもり」などという言葉を読むうち、そんな時代の言葉に惹かれて、私も自分が本来いるべき場所に戻りたくなっていたのだろうか・・・。

66年1月20日。 全学スト突入!

66年に入るとさらに忙しくなったのか、毎日の日記はその日の行動を一、二行で綴るだけになっている。

1月4日 ふぇろう新年会。泣き初め。
   5日 紅林家で武藤さんの話を朝の6時まで聞く。山田君と冨山さんを送るため        上野駅へ。
   6日 小岩のハルミの家へ。川口さん、飯田さん、大西さんも来て麻雀。
   7日 バイト初日。
 10日    学校始まる。
 12日 台本の印刷が捗らず、武藤家で徹夜。
    13日 『ブルー サニー・サール』稽古開始。

『ブルー サニー・サール』とは武藤氏の新作で、その芝居に私は出演者としてでなく、「ふぇろうは私の指揮のもとに」とも書かれている。
一方、学校ではテストが続き、学生大会の討論にも頻繁に参加している。
そして1月20日、いよいよ全学スト突入!
1月28日の日記には「ふぇろうを辞める決心をする。」との記述が。
ストで授業はなくなったものの、やはりバイトと劇団活動の両立は難しかったのか…。

2月4日には全日空機が羽田沖で墜落。乗客乗員133人全員が死亡。一機単独の飛行機事故としては世界最大という惨事が起きた。
2月12日には演劇科のクラスメイトたちが立ち上げた「劇団創芸」の新人歓迎コンパに参加しているし、2月15には「創芸の稽古。苦しいが楽しい」とあるので、その劇団に入ることにしたようだ。
役者たちは当時プロの新劇の劇団がこぞって採用していたロシア演劇のコンスタンチン・スタニスラフスキーの演技メソッドを熱心に学び、私も稽古が始まる前は文学部の前にある穴八幡神社の裏庭に行って、日々の身体訓練を欠かさなかった。

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