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つれづれ日記02

SNSは、自由と民主主義を損なう?

ある夜テレビから、そんな言葉が、耳に飛び込んできました。
NHKのBSで放映されていた、哲学者マルクス・ガブリエルの『欲望の時代の哲学2020』という番組で、ご覧になった方もいるでしょう。

「SNSは法の支配に守られていないので、誰かが私を攻撃できる。意見が合わないときは、相手に合わない自己イメージを生み出してしまい私たちは知らず知らずのうちに、振舞いを操られている」と、ガブリエルは主張していました。

SNSが自由と民主主義を損なっているという点に、もっと自覚的になるべきだ。

FacebookとTwitterをしながら、いつもつきまとっていた違和感を、明快な言葉にしてもらったような気がしたのです。
SNSは、世界一の大国の大統領まで産む力がある。一方で、西部劇のガンマンたちが、互いに銃を向けて撃ち合うような無法地帯の対立を生む。それはけっして自由ではなく不完全な者同士が気づかぬうちに操られているのだ。

私がSNSを離れて、このように新たな繋がりの場を求めた時期とも重なったので、そんなマルクス・ガブリエルの言葉が、とても腑に落ちたのでした。

SNSをしていると、知らず知らずのうちに「いいね!」の数が気になってきます。
Facebookに、毎日何かを投稿してないと、取り残されていくような不安にかられているのに気づくこともあります。自分の投稿に批判的なコメントを見ると、勝手に落ち込んでは、かえって孤独になることもあります。
この社会に生きて、私たちの求めている自由がSNSで得られているかと言うと、 けっしてそんなことはない。その点ではガブリエルの言う通りだと思います。

でも、その一方で、先日来の「#検察庁法改正案に抗議します」というツイートが約数百万件も集まった現象は、政権に異を唱える国民の声が数百万のうねりになり国会の強行採決を断念させたという点で、私たちがはじめて経験した民主主義のための行動でした。
忘れもしない2015年8月30日の午後、国会前を12万人の人が埋め尽くしても、味わったのは敗北感だけだった人びとにとって、今回のツイッター・デモは安倍政権になって初めての成功体験だったかもしれません。
もしコロナ自粛の時期じゃなかったら、また潰されたかもしれない国民の声が、ついに権力の横暴を止めたという事実は、「どうせ自分が動いたって何も変わらないよ」と冷めた目で見ていた人びとの認識も少しは変えたかもしれず、それは紛れもなくツイッターというツールを手に入れたおかげでした。
まだ民主主義が根づいていない日本では、マックス・ガブリエルの「SNSは民主主義を損なう」という主張は当たらないのかもしれません。

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