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「YUMIKOの映画玉手箱」09 ハリウッド映画の黒人女性たち①

2020年(第33回)の東京国際映画祭が開幕中です。(10/31~11/09)。あいにくのコロナ禍中での開催とあって例年より3割がた参加作品が少なく、今回はコンペティションもないそうですが、ともあれ困難の中を止めないで開催できてよかったと思います。

かつて素晴らしい国際女性映画祭があった

国際女性映画週間⓵プログラム表紙 IMG_20201027_0006

映画祭の期間中、初回から2011年まで24回にわたって「東京国際女性映画祭(旧カネボウ国際女性映画週間)」が同時開催されていました。日本で初めての国際女性映画祭を立ち上げたのは、故・高野悦子さん(元岩波ホール総支配人)でした。
 当時私は通信社の映画担当記者であり、翌年から女性問題の担当となったこともあり、この女性映画祭は公私ともに自分にぴったり! 高野さんには親しくしていただき、一緒に楽しみ、たくさん記事を書きました。その経験は、“映画と女性”というキーワードに結晶して私の玉手箱の大きな宝物になりました。(この映画祭は残念ながら高野さんの亡き後終わってしまい、現在は後発の別の「あいち国際女性映画祭」が健闘しています。)
今日は、「東京国際女性映画祭」で出会った忘れがたいある黒人女性監督とその作品のお話をしたいと思います。

ジュリー・ダッシュ監督のファミリー・ヒストリー映画

ジュリー・ダッシュ。1993 MG_20201102_044650

写真の美しい女性は、1993年の「映画祭」で会った米監督ジュリー・ダッシュさん。初めての長編劇映画「海から来た娘たち(原題:ドーターズ・オブ・ザ・ダスト)」(1991年製作)を持って参加しました。作品がとても心に残ったので、記者会見の後、ゆっくりインタビューしました。

映画は、20世紀初頭の米南部サウス・カロライナ州とジョージア州沿岸沖にあるシー諸島に住む黒人一族の物語です。NY生まれのジュリー(ダッシュ監督)の父方のルーツは、西アフリカから奴隷として島のプランテーション(農園)に連れて来られたガラ族です。1863年リンカーンの奴隷解放宣言後もその島に留まり、西洋文化とはまったく異なる祖先の地アフリカの伝統文化を守りながら綿や米、インディゴ(藍)栽培を続けていたのです。ジュリーは、島独特のガラ文化に惹かれ、何度も島に通い自らのファミリー・ヒストリーを詳細に調べ上げ、それをある黒人一家の物語として劇映画化したのでした。

「海から来た娘たち」1991、ジュリー・ダッシュ。MG_20201102_041651

「海から来た娘たち(ドーターズ・オブ・ザ・ダスト)」の世界

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