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映画をつくる 09 プリ・プロダクション② キャスティング

ユキエ役に、倍賞美津子さんが決まる

93年の春に芥川賞小説『寂寥郊野』を読んでから、3年が過ぎていた。
TVドラマを作っていた頃から、キャスティングはプロデューサーの仕事のなかでも特に胸躍る作業のひとつだった。
主人公のユキエ役をどんな女優さんにお願いするかは、3年のあいだずっと考えていたことで、資金ができる前のまだ自分でシナリオを書いていた頃は、昔から好きだった二人の女優さんを頭に思い浮かべていたのだった。若尾文子さんと香川京子さん。お二人のどちらかにお願いできたら、きっといい映画になるだろう、と。

ところが新藤監督のシナリオができて、実際にロケハンでルイジアナの荒涼とした風景のなかに暮らし、また、自分が監督をすることになったことで、私の中のユキエ像も少しずつ変化していたのだった。
私にとっての若尾文子さんや香川京子さんは、遠く見上げる銀幕のスターだった。はじめて監督をする私に、その存在はあまりにも大き過ぎ、荷が重過ぎるとも感じていた。

また、2年前にドキュメンタリー『望郷の女たち』をつくったとき、アメリカの各地で会った200人を超える戦争花嫁たちと出会って以来、自分のなかの「異国に暮らす日本人妻」のイメージが大きく変わっているのにも気づいていた。
戦争花嫁と呼ばれる女性たちは、皆、高齢になってもバイタリティに溢れて逞ましく、日本的な美しさよりもアメリカ女性のバタ臭さをあわせ持つ女性たちだった。
そしていつの間にかユキエ役を演じる女優さんには、開放的な、湿り気のない強さを求めるようになっていた。ユキエ役の年齢は63歳だが、その年よりも若い女優さんに老いを演じてもらうほうがいいのではないか。
そう考えて、最初に浮かんだのが私と同い年の倍賞美津子さんだったのだ。
彼女ならアメリカ大の地で、白人の夫や息子たちのなかで明るく生きる妻と母を、きっと違和感なく演じてもらえるに違いない。

一日も早く倍賞美津子さんに会ってみたい…と気持ちが固まって、帰国したその足で彼女に会いに行った。
「すごいわね。私と同い年の、しかも女のあなたが、初めての映画をアメリカで撮ろうなんて!その勇気が気に入ったわ」
お会いするなり二つ返事でOKしてくださったのは、もちろん脚本が新藤監督だったことが大きい。
そして同じ「下町育ち」、子どもの頃に父に連れて行ってもらった松竹歌劇団の出身の倍賞美津子さんには、昔から親近感を持っていた。
そんな気安さもあって、お会いするなり、昔からの友達のように仲良くなることができたのである。
「あなたの応援をしてあげる。私にできることは何でもするよ」と、想像通り気っ風のいい、姉御肌の女優さんだった。
彼女と会って心から安心し、再びアメリカに戻ると、マイケル・テイラーと共に脚本の英語訳に没頭することができたのだった。

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