弾丸日本一時帰国日記

この梅雨の時期に実家の用事で2年ぶりに日本に一時帰国をしている。実家に帰ると2年の間に日本のネットで購入した書籍などが届いていた。そのひとつにぐらぐらし工房さんの「ぐらぐらぐらし」というzineがあった。twitterで繋がっている人が複数人でzineを作ったと呟いていたので、試し読みを拝見したところ、ぐらぐらな生活の日々が綴られていた。ドイツで知り合った人がwhatsAppのプロフィールに書いていた「柔らくいることはラディカルでいることだ」という文章を思い出す。ふにゃふにゃでいることが何かへの抵抗になることもある。ふにゃふにゃでぐらぐらな暮らし、その宝物のような言葉たちに触れて、私も日記を綴ることにしてみた。



水の粒の向こうの声が聞こえない

帰国からなんだか人の声がよく聞こえない時がある気がする。飛行機に乗ってる時に気圧で耳がイカれてんのかな〜って最初は思っていた。
今日、本格的な梅雨入りを知らせるような土砂降りが一日中続く中、家で机を隔てて母と話している時に母の声がずいぶん遠いのを感じた。エアコンの音とか、母の声が小さいとかも原因のうちなんだろうけど、改めてこの母との間にもやもやとした湿気の層を感じる。水の粒が明らかにこの目の前の人と私の間に漂っている。じめっとする、この土地。この水の粒が声を隔てているんじゃねえかと思った。

私が住んでいるドイツの北の街は空気が乾いてる。部屋干ししても数時間もすれば乾く。でもこの土地にはこの水の粒が私を取り巻いている。ドイツから持ってきたお気にのガムはすっかりふにゃふにゃに湿気てしまっていた。そういえば、サックス奏者の友人が日本とヨーロッパでの演奏は音の響き方が違うと言っていた。まあこれだけ空気が湿ってりゃそりゃそうだ。

こんなに聞こえ方が違うなら、土地ごとにコミュニケーション方法も変わって間違いないじゃないか。これが風土なんだ。グローバリズムは恐ろしい。これらを無視して全体で同じ動きができるはずがない。ヨーロッパではプラスチックを減らす動きが目覚ましく日本の過剰包装が批判されるのも納得できるし、ここでもほどほどに減らすのは必要だろうとして、食品をそこらへんにラップもかけずに放置しても早々に湿気たりカビたりすることのない土地と全く同じやり方を世界中どこでもできるわけではないなと思う。
(余談だが私は何に於いてもみんな足並みを揃えることを求めるのは残酷なことだと思っている。会社などで全員が同じ時間に出勤するのって、考えるとえらい(西の方の方言で意味「しんどい」とダブルミーニング)ことだよな。)

さあ、私の髪もこの水の粒に反応してもわもわと広がりを見せている。除湿をした部屋では声がよく聞こえる、響く。でも除湿もしてないもやもやした部屋ではまた私も「え?」とあなたの声に耳を澄ませる。



備忘録

「Steven Universe」おれの大好きなアニメ。人間と宝石型生命体であるジェムのハーフであるスティーブンが、仲間のクリスタル・ジェムズたちと宇宙からやってくる他のジェムの侵略から地球を守る話。ジェムという存在は宝石ごとに生まれた時から役割が決められているが、クリスタル・ジェムズたちはそれに反抗し、役割ではなく自分が選んだ大事な場所を守っていく。

最後、ネタバレではないともうけど最終回でスティーブンが歌う歌が良かったのでここに記す。


I don't need you to respect me, I respect me.
I don’t need you to love me, I love me.
but l want you to know, you could know me, if you change your mind,
if you change your mind, if you change your mind, change your mind…

尊敬してほしいとは思わない。自分で自分を尊敬しているから。
愛してほしいとも思わない。自分で自分を愛しているから。
でもね、もし気が変わったら、私のことを知ることもできるよって知って欲しい。もし気が変わったら…。



最終シーズンの吹き替えがまだ見れておらず、日本語だとこんな感じかなと書いてみた。
私は、あなたの役割や外の名詞ではなく、あなたが何に怒ったり悲しんだり喜んだりするのかを知りたい。別に全てに納得する必要はないと思う。でも私もあなたもきっと愚かだから、愚か者同士火を囲って話し合おう。


私の大好きなペリドットの歌もここに


全部わかっている
でもまだここにいる
恐ろしいのに逃げる場所はない
おまえらはまぬけ!
だが私もそう…
誰もが動けないまぬけたち




性別二元論の言語

ドイツ語や英語において、ヒトに対する代名詞は「彼」「彼女」で分かれる。しかし現在、「they」を使う人も昔より多いようだ。ドイツ語では彼はer、彼女はsie、彼らはsieであるが、それらに合わせて新しく、性別を限定したく無い時に英語のtheyを使う動きが一部ある。でも私はそれを上手く扱いきれない。

日本語では「あの人」という言い方をすればそれですむ。つくづく、日本語では「彼女」という概念が後から入って来たものであると実感する。あれは翻訳言語だと見たことがある。(わざわざお姉ちゃん、お兄ちゃんと呼ぶ場合など、性別を強調する場面は往々にしてあるが)

日本語では性をぼやかしたり主語なしで話すこともできる。ドイツ語はsie/erなしで話すのが難しい。常に代名詞が付いてまわる。さらにこの言語に関しては人を表す名詞ほとんどが性別で分けられるし。学生を表す単語はder Student、そして女の学生はdie Studentin である。めんどくせえ。(これもずっと昔からこうだったのか、調べる価値はありそうだ。)
これに反感を抱く人が多くいるのは想像に難く無い。望まない所で性別の振り分けを強調されるのだとしたら。どうにか自分の居心地のいいところを探そうとみんなが模索している。ただ、それに合わせて彼女/彼以外を使うのがめんどくさいって人はドイツ語母国語者でも多い。正直言うと私もまだ扱いきれていない。この切迫した問題は性別二元論がはっきりした言語だからこそだなと実感する。去年参加していた哲学のゼミで一番最初に自分の名前と代名詞を発表する機会があったのを思い出す。正直全員の代名詞も名前も覚えらんないけど、あなたの選択を尊重していますよ、という講師側の意思表示なのかなと思った。

日本の友達の話をドイツ語でした時に、その日本の友人は性別の拘りが無い人だったから彼女なのか彼なのか分からず困った。(友達という単語ですらder Freund/die Freundinと性別で分かれる。)とりあえず英語のitにあたるesを代用してみた。しかし、すぐに話していた相手から反感を買った。それは「物」に使う代名詞だから良くないと。昔あった誘拐事件で、監禁してた相手に対して犯人がずっと「es」と呼んで自我を無くさせたという話をされた。日本語で言うなら、例えば家の者を指す時に「あの人」「この人」でもなく「あれ」「それ」と呼ぶ感覚に近いだろうか。支配の感覚。
しかし、そこまで「人」の性に拘るのもあまり納得はできなかった。

とは言え英語のtheyも使いにくいし、ドイツ語から新しく見つける方が使いやすいだろうなと思う。でも何か新しい言葉を見つけても、皆んなが共通の認識を持っていないと実生活で使えないと言う問題がある。仲間内で使う分にはそれは問題ないだろうけど、全くもって限られた人とのみ一緒にいるわけでもないから難しい。ドイツ政府側でも新しい三人称を作るかどうかの議論は挙がっているらしい。それも実現しても先のことだろうし、やはり言葉を尽くして話の最初に「あの人は性別がわからないから名前で呼ぶね」というのが良いだろうか。いや新しい代名詞を当たり前のように使って聞かれたら説明するか。しかし私の場合はドイツ語が明らかに日本語訛りなのでただの間違えとして処理される可能性が高い。とりあえずドイツ語そのものをもっと自分の身に染み渡らせてから考えられることかもしれない。

でも言語がいかに思想を反映し、また思想が言語によって変わることもあるということを実感している。



こんにちは、私の名前は、

数日前、老人ホームで暮らす認知症の祖母に会いに行った。もちろん私や一緒にいた妹のことも覚えていないため、まずは自己紹介をして少しおしゃべりをした。

忘れるのは人物や特定の思い出だけだと思っていたが、どうやら言葉も忘れていってるようだった。部屋に貼ってあるうさぎの絵に触れても「うさぎ」がわからないようだし、「絵を描く」という動詞も思い出せない。なので祖母が何を言ってるのかが分からないことが多くあった。私のドイツ語もこんな感じに聞こえる時もあるんだろうなと思ったけど、「これがそうなってトントンとなって」というような曖昧な喋り方自体は日本語母国者だからできる話し方だと思う。不思議な感覚がした。日本語に長く親しんできた人の喋り方ではあるのに多くの動詞や名詞が抜け落ちてしまって意味が通じない。私のようにまだ習得できていない言い回しがあって通じない場合とは違う。元々あったものが無くなってしまった感じ。

しかし、祖母に「私と話すの大変ですよね」というようなことを言われた時に、気を遣う祖母の性格はそのまま残っているんだと思った。残っているものもある、忘れていったものも多くある。会えて嬉しいよということを伝えてその場をあとにした。



ふやふやした音を響そう。

どこにいても、時折もくもくと私の思考を翳らせるどんよりとした雨雲出てくる。ドイツで出会ったある人は「あなたは苦しみをこのドイツにも持って来たのね。」と私に行った。
今の一時帰国中にも時折暗くボヤけた気持ちがやってくる。ポジティブになれば良いと言う話でもない。暗くジメジメとした沼なんか大好きだ。

今日、スライドホイッスルを注文した。
正しい音程を吹こうとしても簡単には吹けずふやけた音になるのが好ましくて買った。YouTubeで動画を見てると、ふやふやになっちゃったその音は元々の楽譜通りでは全くなくて、おかしくてみんな笑っちゃう。これを好きな人達とやりたいなって思った。何事にも正しくストレートになろうとするのでなく、このふやふやねじれて簡単でない様を一緒に楽しみたい。



日記第一弾おわり





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