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犬の不在

今回、犬についての悲しい話だし、動揺の中書いているのでそういうのが受け付けない場合はブラウザバックを推奨します。



ドイツに来て2年になる。故郷にも2年帰っていない。
日本にいるかけがえのない人たちにも会いたかったし、実家に置いてきた漫画たちも気がかりで、帰りたかった。なにより17歳になる実家の老犬に会いたかった。ビザが中途半端に決まらず帰るに帰れず、でも日本の厳しい夏より前に帰りたかった。母も犬が夏を越せるかわからないと言った。だから、6月末には…!と思っていたけれどどうやら遅すぎたらしい。

数日前、私たちの老犬は脳梗塞にて息を引き取った。

実家には両親しか住んでおらず、一番そばにいた母も仕事で県外にいたため、ペットシッターさんが最後を看取ったらしい。
この老犬は最初に実家で飼い始めた犬の娘で、その母犬が数年前に死んだ時は私も合わせて姉妹たちみんなで看取った。最後の日、歩けなくなった母犬を抱いて彼女のお気に入りの散歩ルートを見せた。だから何も悔いはなかった。

でも今回、この娘犬は寂しくなかっただろうか。数年前から母犬も居らず姉妹は誰も実家に住んでおらず、最後の時は家族が側にいなかった。どうして無理にでも帰ることができなかったんだろうか、と悔いばかり残る。
とはいえ私はお犬様たちに特段好かれていたわけでもないし、最後はボケて私たちのことを思い出すこともなかったかもしれない。つくづく、葬式は残された人のためにやるんだなと思った。最後に彼女のことを大事に思う時間を設けることが私たちの慰めにもなる。私の実家は寺なので、弔いに関してはプロだ。安心して任すことができる。


私はこの時もこの離れた土地にいる。だから粘土で四足歩行の小さな像を作った。寺の樹木葬の山に置く弔いの像を頼まれているので、その流れで、人にも四足歩行の動物にも見える小さな像を紙粘土で作った。彼女の特徴的な座り方を思い出しながら。私が彼女を思うための弔いの像だ。会いに行けなかったからこそあの子のことを思い出していたい。



昨日、夢を見た。犬のケージがある。犬のペットシートがその中に数枚並んでいて、おしっこのシミがある。でも犬がいない。妹が、あの子たち、あの墓園にいるって。会いに行ってあげて。と言う。私はその横でシャバシャバのラーメンを食べた。

少し前、SNSで誰かが「10年前に亡くなった犬の不在によって私は犬を思い出す。」と呟いていた。犬のシミが付いたペットシート、でも犬はいない夢。
夢でも犬に触れず、ただその不在を噛み締めていた。



私が今後故郷に帰ってもあの犬たちはもういない。母犬が生まれてから娘犬が死ぬまで20年近く一緒にいた。ケージがあったはずの場所に彼女らの不在を見るだろう。

でも不思議なことに、私がドイツで住む家の庭から見える木々たちが揺れる木の葉のひとつひとつには彼女を見ることがきるような気がした。(私にとって木の葉のひとつひとつに光が当たって揺れる光景は、他の存在に気付かせてくれるものとして大事だ。漫画家いがらしみきおの「I(アイ)」という神様探しの少年の話の中にもいちょうの木にの葉が輝く様子に神を見出すシーンがあった。漫画を日本に置いてきたため詳細が違うかもしれん。)

作った小さな像も乾いたら可愛い色をつけたい。

いたはずの場所にはもういないことしか確認できない。でも、いないはずの場所にいるような気がする。会って、直接触れるわけではないけれど。


あの子が少しでも安らかに眠れたことを祈っている。




おわり







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