なんでもいいだろ(なんでもいいわけじゃない)

言語が制限されるのめっちゃストレス、ドイツに来て1年半経つのにいまだに知らない言葉の方が果てしなく多い。
昨年秋から参加している哲学科のゼミは半分も理解できていない気がする。マスクをしてる学生の声が全然聞こえない。日本語で話す時に聞き取れない部分を経験で補っていたことがよく分かる。なんか動画で見たけど、文中に何文字か誤字があっても意外と読める、みたいな感じの。

多分、毎日4時間も勉強していて、毎日ドイツ語話者に囲まれていたら今の私のドイツ語力は遥かに違うだろう。でもくしゃくしゃになってしまった私の心が期待通りの努力ができていた昔のようには戻らないから、それは難しい。
とにかく生き延びねば生き延びねばと私の心のご機嫌を取るのに日々忙しい。

なぜ、心が挫ける出来事がない前提で一直線のキャリアが求められるのだろう。多分、私がそういう物から逃れたいからこそ、私はそういう前提から少し歪んでしまった/歪もうとしている人がとにかく好きなんだと思う。

私は美術作家一筋じゃなくてたまに寄り道していいし、表現するにしても媒体はどんなものでもいいと思う。でもそれを許さない人にやわらかい言葉で殴られる。うるせ〜なんでもいいだろ

私は今、ゲームっていいよねって思うほんとに。
だって、ゲームって手元に届くんだよ?すげーぜ
美術だって気軽に見に行けるし、作品集の形で手に取ることはできる。でも、ゲームという体験が数千円で買えて自分のペースで愛でることができるのはものすごくない??語彙があれですけど。ていうか私にとって一人で没頭できるのがでかい。大体が共同制作のプロセスを踏んでいるのも良い。
まあ多分、美術界隈ででかい金を持った者が単にでかい作品を作って唸らせてきたり、上手く美術の文脈を使ったまとまりの良い作品が少し嫌になってきたんだと思う。もちろんそれを言い出すとどの界隈でも同じようなことがあるのかもしれないし、美術そのものが嫌いなわけではない。
でもやはり、届けたい人に届くにはどう言う媒体がいいんだろうか、とは考える。
美術内での特定のルールに則ったゲームみたいなものも理解できれば楽しいんだけど、私は美術のために作品を作りたかったわけではなく、先に述べたような端っこで歪んでる人に何かしら届けたかった。もしくは自分のためでもあるのかもしれない。

最近良かったゲーム
-chants of sennaar 
バベルの塔をテーマにした翻訳ゲー。翻訳ゲーと言えば「7days days to end with you」とか「文字化化」とか思い浮かぶけど、前者はビジュアルゲーの毛色が強く、後者はホラー×乙女ゲームという異色さが際立つ。そしてこれらは主人公としてのあなたとゲーム内のキャラクターとの意思疎通がメイン。
chants of sennaarはどちらかというとアクション性もあり、主人公の役割も異語話者達の仲介の傾向が強い。時に私たちは同じ事柄を見ていてもその多面性と言語の違いによってすれ違いが生じる。それらを結ぶ役割。

https://store.steampowered.com/app/1931770/Chants_of_Sennaar/


-INMOST
3人のキャラクターを操作して物語を紐解いていく。キャラクターそれぞれ可動域が違って視点が変わって見えて面白い。3人の持つ痛みがどう交差していくのかが肝。


一時期話題だったOMORIもプレイしたけどきっと作者はゲームが好きなんだろうなと思ったし、色々参照元であろうゲームが思い浮かんだ。不満な部分もあったけど、軒並み熱量がものすごくて、こう言うのを見せられると私もなんかしてえ〜ってなる。


なんかフラストレーションから始まって書き殴るように記事を制作したけど、おもろかったゲーム書いてたら落ち着いてきた。

みんな(おれの大事な歪んだ人たち)バブバブしていようね〜〜

そう言えば、こっちで書いて配ったzineの一番最初の始まりは「meine alle verzerte GenossInnen,」(私の歪んだ同志達)で良かったな〜〜〜


バブバブ!

ひさこ

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