「MAC POWER」誌に現れた森有正

 まさかパソコン雑誌の「MAC POWER」で、森有正の名前を目にするとは思いませんでした。かつてアップルの日本での立ち上げに活躍されたという、藤木脩(おさむ)さんの連載(「アップル、黎明期からの目撃証言」)の第6回目のタイトルは、「森有正と西欧文明」。森有正はここにも生きていたのです。このような世界でも、彼は正統な理解者を得ていたのです。

 藤木さんに森を思い起こさせたのは、シャルトル大聖堂の圧倒的な存在感でした。30年来の思いが叶って見上げた彼のシャルトルは、森有正にとってのノートル・ダムだったのです。

 ぼくが藤木さんの中に森の正統的な理解者をみるのは、たとえば森の、「パリに来て何年も経ってから、ノートル・ダムを前にして、不快な眩暈と吐き気を覚えた時、僕は遠い道が自分の前に涯てしなく延びているのを感じた」(『城門のかたわらにて』、「森有正エッセー集成2」(ちくま学芸文庫)所収、筑摩書店、7頁)という一節に対する理解です。藤木さんは次のように書いていらっしゃいます。

上記の一文は、森のその後の日本回帰を裏付けるようなものとしても読めます(それはまったくの誤解なのですが)。しかし私は、「通過儀礼」の困難さを、そしてその果てしなさの量を述べたのであり、努力を続けなければならないという励ましであると受け止めています。

「MAC POWER」、2001年6月号、243頁

 果てしなさの量! 藤木さんは、森は「厳然として存在する巨大な西欧文明」に対して、「長い時間と大きな労力をかけ、さらに正当な手続きを経てそれを獲得し、通過することの必要性をくり返し語っていたのだ」と解釈します。この通過儀礼はきわめて困難であり、遙かな道のりだけれども、一歩ずつ踏みしめるよりほかに、道はないのです。

 しかし現実の日本は、この困難な道のりをあるいは省略し、あるいは安易な言葉の翻訳でごまかし、すり抜けようとしてきたかのようです。ぼくたちの直面する、民主主義・自由・平等といった近代的な概念の危機は、おそらくその報いにちがいないのです。

 やんぬるかな。昨日まで子どもたちに陛下の臣民たる道を教えていた教師らが、一晩で民主主義の伝道者に変われるはずもなく、敗戦を終戦と言いくるめる大人には、歩み始めるためのまことの出発点さえ見えてはいなかったでしょう。

 森の歩んだ道のり、そしてぼくたちもまた辿る道のりは、今なお遙かに遠い道のりです。(2001.5.21)

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