敵か味方か……の聖書

私はこのように強い悪魔(サタン)と戦っているのだから、私に味方をしない者は、私の敵だし、私の働きを助けない者は、私の邪魔をしていることになる。

 ブッシュ米大統領の言葉? いえいえ、ちがいます。イエス・キリストの言葉(「マタイによる福音書」、ウイリアム・M・ギャロット監修『新約聖書』、角川文庫、62頁)。ブッシュはキリスト教原理主義者と云われていて、あれ、キリスト教だったら愛の宗教のはず、それなのにナゼ? と、ぼくは素朴な疑問を抱いていたのだけれど、何十年ぶりかで聖書を読み返しながら、結構コワイ教えだったのかもと気づかされました。

 ようするに「敵か味方か」。「自分の敵を愛しなさい」と言ったかと思うと、「コラジン、おまえは不幸な町だ。おまえは今にひどい目に遭うだろう」と報復をちらつかせて(?)罵る。敵を愛するのは決して相手への憐れみのためではなく、自分が「天におられる父の子供に」なるためだったんですね。

 異教徒にはとくに厳しく、カナン族の女が憐れみを求めて近付いてきても、「イエスはひと言も答えなかった」。「せっかくだが、子供たち(ユダヤ人。引用者注)のパンを取り上げてまで子犬(異教徒。引用者注)に投げてやるわけにはいかない」。

 い、イエス様。冷たすぎるんじゃありません? 誤解だと言われるんなら、(あなたへの尊敬の念を公言しているらしい)ブッシュ君の枕元に立ち(あるいはホワイトハウスの聖書研究会に出席なさり)、彼を諭して下さい。彼はあなたの仰ることしか聞かないのですから。私たちには、今こそ奇跡が必要なのです。……なんて、神頼みじゃいかんのだが。(2003.03.17)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?