ともしび


 眼下のともしびに人間の営みを感じ取り、それに思いを馳せるのがサン・テグジュペリです。彼は職業飛行家でもありました。

 あのともしびの一つ一つは、見わたすかぎり一面の闇の大海原の中にも、なお人間の心という奇跡が存在することを示していた。あの一軒では、読書したり、思索したり、打明け話をしたり、……。また、かしこの家で、人は愛しているかもしれなかった。
  ……
 努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ。

サン・テグジュペリ、堀口大學訳『人間の土地』、新潮文庫、7〜8頁

 さて現代の飛行家たちは、はるか真下の小さなともしびにいったい何を見、何を感じとるのでしょう。おそらく彼らにとって、ともしびなどはコンピュータ・ゲームで見なれたターゲット、スイッチ・オンのための記号にしか過ぎないでしょう。ともしびの下に秘められた喜びと悲しみ、慎ましやかな人々の生活のことなど、自宅に残してきたペットの明日の食事ほどにも気づかわないにちがいありません。想像力の欠如は、すなわち人間性の崩壊でもある。

 池澤夏樹さんの最新のイラク紀行『イラクの小さな橋を渡って』は、ぼくたちに、どことも変わらぬ彼らの暮らしを写真とともに伝えてくれます。そうして池澤さんはおっしゃるのです。

 戦争というのは結局、この子供たちの歌声を空襲警報のサイレンが押し殺すことだ。恥ずかしそうな笑みを恐怖の表情に変えることだ。
 それを正当化する理屈をぼくは知らない。

池澤夏樹・文、本橋成一・写真『イラクの小さな橋を渡って』、光文社、78頁

(2003.02.13)

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