【2021/2/7日記】喉元過ぎれば熱さを忘れるが無くなっているわけではない

人生で一番痛かった思い出はなんだろうか。

個人的に痛かった思い出といえば、中学一年生のときになんか全身黒い片腕のオリジナルキャラの設定集をノートに書いていたことが一番に思い出されるが、今日はそっちの話ではなく、肉体的な話だ。

幸い自分は人生において†闇の力†により片腕が吹き飛んだことがないので多分痛みの最高視聴率としては、足に小指をぶつけるとかその程度だと思う。

ただ、日常的な範疇での瞬間的な痛みを詳しく覚えている人はいないと思う。なぜなら、肉体的な痛みはすぐ忘れるからだ。

今日も朝から謎の腹痛に苛まれ、痛みの最中は心の中で「もう二度とやばめの賞味期限の牛乳は飲みません、、、!!」と神やら仏やらもう願えるだけのものに祈っていたが、今はその信仰心もとうに忘れ、明後日には腹痛にのたうち回っていたことも忘れているだろう。

このいわゆる喉元過ぎれば熱さを忘れるという人類に備わった機能は、なかなかに便利だ。多分痛みを完全に記憶していたらとてつもなくしんどい。

ただ、熱さは忘れてもダメージは消えるわけではない。もちろん肉体的なダメージはある程度癒えるわけだが精神的な方だ。

ダメージというより精神の形という表現に近いだろうか。

個人的に一番憶えている痛みは、数年前に病気になったときだ。謎の腹痛が夜中まで続き、寝不足の日々が続いた。

痛み自体はまぁ耐えられるわくらいの鈍痛だったのだが、医者にいってもしばらく病名がわからず、毎日の不安感がすごかった。2週間ぐらい夜中ギリギリ眠れないくらいの痛みで寝られず、倒れるように朝の5時に眠る日が続いた。

結局、入院して投薬したらとりあえず症状は落ち着いた。ぶっちゃけ、その後もこのとき以上に症状の悪化で肉体的に痛いタイミングはいくらでもあったのだが、やっぱり一番記憶に残っているのはこの二週間である。

精神の痛みを人はよく記憶する。そして精神の痛みは人によってダメージ範囲も違えば、えぐり方も違うのが厄介なところだ。

対人関係なんてその最たるところだろう。同じ言葉でも、場所、タイミング、投げかけた人、受け取った人、まぁ〜色々な様子で攻撃となって精神の形を変える。

最近肉体の痛みを感じている間、精神の痛みに思いを馳せるようになった。あのとき渡したあの言葉は、どうだっただろうか。

残念なことに、精神的な痛みを与えた側の熱さを忘れるスピードは、とんでもなく早い。なんなら通過すらしていない。受け取った方の胃にはいつまでも残っていることだって珍しくないのにだ。

そういうことを痛みはたまに思い出させる。


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