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コーチング脳で『がん医療』を考える⑤

コーチング脳で『がん医療』を考えるようになって、今回で5回目となりました。
書けば書くほど、がん医療にコーチング的な考え方って絶対に必要だよなぁ~って強く思うようになってきています。
具体的にどうしていけばよいというところまではまだたどり着けておりませんが、
今回も引き続き、宮越大樹さんの著書『人生を変える!「コーチング脳」のつくり方』(ぱる出版)(https://www.amazon.co.jp/dp/4827212783/)を教科書として、『がん医療』にコーチングを応用する方法について考えていければと思います。

今回のテーマは、「目的」と「目標」についてです。

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▼目的は「自分自身が幸せになること」
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「目的」と「目標」って同じようなものでしょ?
何が違うの?って思って調べてみたことありませんか?
僕は何度も調べたことあります。その時は「ああ!そういうことか!」って納得するのですが、すぐに忘れてしまい、しばらくするとまた調べていたりしていました。
簡単に言えば
「目的」はゴール
「目標」は、ゴールまでの途中にある道しるべ
ですね。
コーチングでは、まず「目的」を設定します。
そして、その「目的」に向かって進んでいくにあたり途中どこを通ればよいか、つまりこれが「目標」になるわけですが、それを決めていきます。
このように書くと「あたりまえ」のような気がしますが、僕は全く考えることなく今まで生きてきました。
何となくの方向を決めて、さしあたりの「目標」を設定し、その目標をクリアしたら、また別の「目標」を設定してクリアする。
それをひたすら繰り返してきた気がします。
「目的」があいまいというか、ないので、「目標」はいつも行き当たりばったり。
あっちに行ってみよう。
今後はこっちに行ってみよう。
こっちに来たけど、やっぱりあっちの方がよかったかも・・・
「目標」も何らかの「目的」に向かうためのものというよりは、その時の障害物を避けるための道を探すという方がしっくりくる感じです。
例えば、雪が見たいと思って、とりあえず寒い方=北に向かう。
途中道路が通行止めだったので、脇道にそれたけど何となく北の方向に続いているようだったので、そのままその道を進んだ。また通行止めがあったので、また脇道にそれ、そのまま北っぽい方向に進んだ。
まあこのまま進んでいけばいつかは雪が降る地域につくだろうって感じでしょうか。
最終的に雪が降る場所に着いたものの、雪が凄すぎて、寒いし、冷たいし、しまいには車が立ち往生してしまい、とってもひどい目に合うなんてこともありうるわけです。
たぶん見たかった雪は、雪そのものというよりは、きれいな雪景色なのだと思いますし、
テレビでみた雪の白川郷ライトアップを見たかったのであったら、そもそも北ではないかもしれません(一度写真を撮りに行ってみたいなぁって思っています)。
どうしてこういうことになってしまうのか?
それは「雪を見る」の上位概念として、「なぜ雪が見たいのか?」という目的があったはずなのに、それを明らかにしないまま出発してしまったからに相違ありません。
「なぜ雪が見たいのか?」=「きれいな雪景色をみて感動したい!」となれば、
どこに行けばそれが見られるのか?
そこに行くにはどうすればいいのか?いつ行けばいいのか?
どんな格好が適しているのか?
一人ではなく誰かとの方がもっと感動できるかも?
とか色々と方法がでてきます。
そもそも写真ではだめなのか?なんて、実際に時間と労力をかけなくても良いような方法も検討してみてもいいかもしれませんね。

がん患者さんの場合も似たような状況になりがちです。
前回も書きましたが、がん患者さんの場合「がん」を治すことが「目標」になることが多いです。
この目標がダメとか無理とかいうのではなく、「なぜ『がん』を治したいのか?」という問いが自分自身になく、『がん』になってしまったから治したい、という状況が問題をはらんでいます。
つまり、壊れた部品を直すような感覚でしょうか。
とはいえ、人間の身体ですから、替えの部品があるわけではないので、『がん』をとった部分の機能はなくなってしまいます。
胃がんで胃を切除してしまえば、手術後食事が元のように摂取できなくなってしまう方も多いです。
また、直腸がんで人工肛門になって、そちらの対処でとても苦労されている方もいらっしゃいます。
人口肛門を避けるべく何とか肛門を温存したものの、残念ながら肛門の機能が低下してしまい、排便に際して多大なるストレスを抱えてしまった方もいらっしゃいました。
これらのお話は、手術を受けないほうが良いと言いたいわけでは決してありません。
「がんを治す」ことをゴールとした場合、手術してがんが治った時点でゴールです。
その先が「真っ白」のため、さしあたりがんになる前の生活に戻そうとするわけですが、食事が思うように食べられないとか、人工肛門の処理が大変だとかのため、元の生活に中々戻れないと、次はこれらを何とかしようとなります。
「食事さえ食べられれば・・・」
「人工肛門が元に戻せれば・・・」
しかし、それらの「○○ができれば」が難しい方もいらっしゃいます。
そうなると、折角思った通りに『がん』を治すことができたにもかかわらず、本人の満足度・幸福感はとても低い状態になってしまいかねません。

一方、手術の前に「なぜ『がん』を治したいのか?」をきちんと考えていた場合はどうか?
「なぜ『がん』を治したいのか?」の答えとしては、僕ならこんな感じになりそうです。
・子供や孫の成長を見届けたい
・世界旅行をしたい(退職したらいくつもりだった)
・宇宙に行ってみたい!(現実的になってきましたね)
・あのマンガの完結を知るまでは生きていたい(ワンピースとかでしょうか?)
そして、たとえ手術後に食事が満足に食べられなくても、たとえ人工肛門の処置が煩雑でストレスであっても、「まあこれらができたから仕方ないよね」って考えることが可能になるのかなぁ~って思いました。
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▼他人軸で生きても幸せにはなれない
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僕調べですが、進行がんで抗がん剤治療を受けられている方の目標で多いのは、『5年生きること』や『80歳まで生きたい』など、どこかで聞いた自身の予後(おおよそ●年くらいだと思いますというやつですね)よりも長く生きたいというものだと思います。
このような目標が悪いと言いたいわけでは決してないのですが、これらの目標は他人との比較から作られてしまっている目標になってしまっています。
例えば進行膵がんの5年生存率は10%以下ですので、そのような中で5年生きられたら「すごい!」と言われること間違いないです。
しかし、他の人からは称賛されるでしょうが、本人が幸せになれるかというとどうでしょうか?
それだけだとなかなか難しそうだと僕は考えています。
せっかく目標が達成できたのに幸せになっていない。
なぜこういうことが起こってしまうかというと、目標が他人目線、他人軸で設定されてしまっているからと考えられます。
やはり目標は自分の幸せを軸にして、つまり自分軸で目標を設定することが大切です。
そうはいっても「自分の幸せだけを考えて目標を設定して大丈夫?」「だったら抗がん剤治療なんか受けずに、旅行いったりしちゃうよ!」って思われるかもしれません。
確かに、しっかりと抗がん剤治療を受けてがんの進行を抑えていくことは重要だと思います(旅行に何回も行けますし)。
これは矛盾しているのではなく、「順番の問題」とされています。
つまり、まずは自分軸に沿って自分の幸せを考えてから、次にその幸せとがん治療とが両立する方法を考えていくことがコーチングなのだと思っています。

今回はここまでにしたいと思います。

“コーチング脳で『がん医療』を考える”シリーズ⑤はいかがでしたでしょうか?
何か参考になることがありましたら嬉しいです。
次回以降もどうぞよろしくお願いいたします。

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