日記/ 絵が人生だけど文章を書くのも楽しいじゃんって話

私は文章を書くのがあんまり得意ではないんです。
思考はまとまらないし、小説なんてとてもじゃないけれど書けません。
何より一番気になる点は、文章は私の「人生」ではないこと。
それを思う度、noteで何かを書き連ねるという行為に、僅かばかりの罪悪感を覚えます。

私にとっての「人生」は、絵なのです。
物心がついたとき。
父と母がそれぞれ別の人と結婚したとき。
友達が増えたとき。
住所が日本じゃなくなったとき。
中学生になったとき。
高校生になったとき。
恋をしたとき。
泣いたとき。

色々な軌跡のなかで、絵と人生が切り離された瞬間は一つもありませんでした。
だから私にとって「絵」は、人生なのです。
今後も絵を描くという行為から離れることはできず、あまりに密接に、濃厚に、煩雑に、恨めしくも愛おしく、私の自我はそれと共に絡まり合っているのです。
「絵のために生きる」といった意味ではありません。
「私が生きること」の構成要素として、絵が自然に混じり合っている風なイメージでしょうか。

だからこそ、文章を書くときは一抹の恥ずかしさ、照れを感じてしまいます。
(絵を描くことは自然なことなので、そこに特別な恥ずかしさは感じません)

それはつまり私が文章を「趣味」として捉えており、作品の巧拙を気にしつつ、せっかくなら上手く書き上げたい、と欲深に考えているからかもしれません。
その気持ちのままあらゆるnoteを読んでまわると、それはもう美しいもの、面白いもの、揺さぶられるものの多さに圧倒されます。
ああ、私はまだまだ初歩的な技法も知らぬのだ、有名な書籍も読んだことがないのだ、そこはかとない知識不足がこの身をキシキシと苛むのだ。

そんな感じ。

真剣に文章と向き合って、文章を「人生」としている人が、たぶんnoteにはたくさんいるのでしょう。
文章を大切にしている人たちの目に私の稚拙な文章が触れるかもしれないのは、やはり恥ずかしいものだったりします。
だけどだからこそ、もっと心に響く文章を書きたい!って楽しい気持ちで勝手に切磋琢磨している気分にもなれます。
ちょっと照れてしまうけど、いいねやフォローはすーっごく嬉しくって。
そういうアクションを得るほどに、やった!また好きに書いちゃお!とワクワク楽しくなれるんですよね。

感嘆させられるような上手い文章は書けませんが、気が向いたらまたちまちま読んであげてください、とてもとても喜びます。
と、ここらでもはや眠気が限界、丁寧な締めを考える余裕もないのが残念ですが、それでは今日もおやすみなさい。