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2月

今年の2月、はやめのお花見にいったのは正解だったと今になって思う。早咲きの河津桜を見に、冬物のコートとニットを着て友人と待ち合わせをした。大学の友人というのは、最寄りが隣駅または同駅なので、遊びに行くときは大体昼ごろね、と言って約束を終え、当日何となく12時過ぎに準備ができたら知らせてお互いのいいタイミングで電車にのる。こういうゆるやかな待ち合わせがすきだし、友人が近くにいることは素晴らしい。どちらかが寝坊したりしなかったりするわたしたちの待ち合わせはその日も変わらずで、三浦海岸まで赤い電車にゆられて友達と向かった。そういえばその友達とは、みかん狩りもいちご狩りも三崎口のまぐろも食べにいったし、下りの京急線に乗って窓の向こうの海を眺めるのももう4度目になる。平日の人のいない電車で、横並びに座り窓を見つめて息を吐くように近況を話す。わたしはどこにおいても横並びがすきだ。すきな人とデートする時も友達と話す時も横並びが絶対によくてマックに入るときは、混んでるね、とか言いながら空いてる2人席を見えないことにして、カウンターをさりげなく促したりする。人の目を見るのが本当にすきだけれど、目を見て話すことはとても難しい。そして三浦海岸駅に到着して外に出ると満開の河津桜が出迎えてくれた。地域の野菜を売る小さな出店やカメラを空に向けるお年寄り、ピンクの桜に映える赤提灯がとてもなごやかな空間をつくっていた。公園に向かって桜の下、菜の花の道を歩いていく。

彼女に会うのは去年のクリスマスぶりだった。去年のクリスマスは女2人で上野動物園とクリスマスマーケットに行った。最初はクリスマスマーケットに行くというのだけを決めていたのけど、電車に乗ってる中で動物園行きたいという話をポッとしたらじゃあ行こうよと言ってくれてそのまま目的地を上野へ変更した。なんともわたしたちらしいクリスマスで、寂しさなんてものはこれっぽっちもなかった。夜は品川でハンバーグを食べたのだけど、なんとなく避けていた自分の話を彼女のひょんな質問に引き出されて、自分の今のことと将来のことについて話していたら詰まっていたものが溢れ出すように涙が出てクリスマスにハンバーグを食べながら泣く女になってしまった。対面席で中々滑稽だと笑った。自分が1番身を注いでいたものに対してやりきれず後悔していることや、自分の存在の一部であるようなバンドが活動終了をしたこと、大学に行けなくなったこと、大学や自分について考えていること、これからのことを初めて自分の口から言葉として落としていくと苦しくなって息が詰まってしまった。静かに優しく包み込むようにうなづいて聞いてくれるからなおさら自分が情けなくて泣いた。自分の話をするとすぐ泣いてしまうのは一体なんなんだろう。彼女はきっとそんなこと思わないけど、幸せな時間を台無しにしてしまって本当に申し訳なかった。

そんな彼女とひさしぶりに会って、犬を散歩する人や屋台の食べ物をねだる子供を背に彼女お手製のお弁当を食べた。おだやかな池で鴨が静かに泳ぐのをみながらまた色々な話をした。わたしは今年の4月から休学しているけど、彼女は4月から就活で自分と向き合う時間が増えたと言っていて、自己分析、他己分析云々という話から、彼女をわたしから見た時の他己分析についての話になった。ここでものすごく自分の悪いところが出てしまい、つい言葉を急いでしまった。そのことが今でも自分に腹が立つし、思い出しては反省を繰り返す。わたしはそれを言葉にして伝えるのにちゃんと時間をもらうべきだった。本当はもっと伝えるべきいいところが優先してちゃんとあって、その時時間をつないで言葉を急いだ自分から出た他己分析なんて薄っぺらで、もしかしたら彼女の自信を傷つけたかもしれないし、もっと前向きに自分に自信を持てるように、そのままでいれるように安心することができたかもしれないのに。わたしが言葉にした他己分析なんかよりも、言葉を急ぐというひどい行為そのものが彼女を揺るがせてしまったかもしれない。自分は虚言癖なところがあるけれど、こういうことも同じで本当に腹が立つ。せめて、自分がすきな人たちだけにでも言葉を選んで、真摯に向き合っていたい。

またはやく会いたい。今の状況が落ち着くまでだいぶかかるだろうけど、また会った時にはたくさん話をしたい。「すき」や「ありがとう」はちゃんと伝えたいし、たくさんもっと彼女のことを知りたいし話を聞きたい。いつももらってばっかりだけど、すきな人にちゃんと愛を伝えたいし、正直でありたいなと思った春の日の記憶。


通信制限と肘の蚊に刺されに苛立ち、ぐしゃぐしゃな文章だけどなんとなくひさしぶりに思い出し日記を書いた。

SNSはやくやめて、大事なものを大事にしていきたいと思う。アーーーー、6月もおわる。







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