長女と次女をみて、三才三女は才女になる

うちの三姉妹は、年齢が5歳ずつ離れているので、年の近い姉妹ではない。

おそらく、三女から見ると、10年先輩と、5年先輩がいる、という感覚に近いのではないか。三女が物心をついたときから、長女は中学生、次女は小学生と、すでに姉たちは無邪気な園児ではなく、各々が、学校生活での葛藤を乗り越えながら生きていた。三女は、保育園では、純粋な子どもとして、同世代や未就学児の異年齢交流しているが、家では、会社員のように、お局姉さんたちに囲まれている。

この育ちのせいなのか、三女は、顔は長女に似ているのに、5年間の一人っ子時代が長かった長女とは、コミュニケーションの戦略が違う。イヤイヤ期に、一貫してごねて我を通し続けた長女とは違い、三女は、主張しつつも、コミュニケーションが戦略的なのだ。齢三才にして、家族の関係と自分の立ち位置や炎上の可能性を察しながら、今どのポジションにいるのがベターかを瞬時に判断する。

「これは、(飲食の)許可がでないな」と察したら、忍者のように、椅子を引っ張ってきて使い、空間移動して、非常食のゼリー飲料を隠れて飲んでいた。あんぱんまんのお菓子を見つけたときには、それがどこに保管されているかを探し当て、「今日はドキンちゃんにしよう」と、既に許可取りしたかのように話して(※許可なし)、「今日はドキンちゃんをください(はあと)」と、親と目を合わせ、愛嬌でアイドルのように言った。三女は愛嬌を駆使して、反抗期なのに、笑顔とアイドル声を持ち合わせることで、イヤイヤ期を感じさせないテクニックを使いだした。この方略のせいか、単純にどの場面でもごねる子ども、というより、アイドルが自身の物販購入をお願いをしている、という姿に映る。

長女と次女は、頻繁に喧嘩する。しかし、三女は、一切のお局たちの喧嘩に介入しない。空気のように存在を消している。余計に介入することで、火種が自分に飛ぶことを阻止しているようだ。そして、自分に不都合が発生した時に限り、親なりお局姉なり、味方を探し、自分の主張を声高に繰り広げる。街宣車にのように。なお、うちの三姉妹は声が大きいため、本当に拡張器を使ったかのように声が大きい。街宣車のように。

私は、5歳、10歳差の育児は大変だとずっと思ってきたが、下の子たちは、上をみて育つので、特に三女が受ける刺激と恩恵は大きいのかもしれない、と最近気づき始めた。成長するにつれ、誰もが先輩や、お局やボス的な存在に直面して悩む時がくる。特に、自分ひとりに愛と情熱を注がれた一人っ子や、一人目の子どもなら、尚更つらいだろう。幸か不幸か、うちの三女は、年の離れたお局たちの最下位ヒエラルキーに属して、小さな社会を見続けるうちに、火種を回避する戦略と、自分から愛嬌を振りまき、注目してもらうように振舞うことを早々に自主的に学んだようだ。親が放牧している割に、本人は自己防衛なのか、自己研鑽に余念がない。

家庭で自分だけ文字が読めないことが悔しかったらしく、「あ・い・う・え・お」「か・き・く・け・こ」と発声練習している。私も園も、文字は教えていない。我が家は論理的に話す人達(これが時に論破王ひろゆきのような子も現れるので厄介)なので、単なる感情論だと一蹴されてしまう。それゆえか、三歳児なのに、必死で論理的に話そうとする。そして、彼女がもつ最大の武器である、愛嬌で、末っ子として甘えるというテクニックもある。

私自身は長女で、要領の良い生き方はできなかったので、この三女のたくましさには、感心と敬意を感じる。

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