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TOS17周年なのでTOSの好きな場面を17個選んで話す

 テイルズオブシンフォニア(以下TOS)、17周年おめでとうございます!!!!!!!!!!!!!!

 令和にもなって初めてTOSに出会いものの見事にハマり散らかしてしまったばかりの新参者ですが、本当に大好きな作品の一つの節目を祝えることを嬉しく思います。今後もこうしてTOSの誕生日を祝っていけたらいいな、と思います。
 去年の周年記念日はちょうどTOS3周目をプレイしていてしっかり祝えなかったから今年は何かしたいな!と思い、TOSの特に好きな場面を17個選んで話すことにしました。この1年ツイッターでつぶやいていたことと変わり映えのしない内容ですが、目を通していただければ嬉しいです。

1.パルマコスタの処刑

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 私がTOSを絶対に最後までプレイしようと思った大きな切欠の場面です。この時にロイドが言う「目の前の人間も救えなくて、世界再生なんてやれるかよ!」という言葉はPS3版のパッケージ裏に書かれているロイドの言葉なのですが、この真っ直ぐで眩しい言葉が本当に大好きで、こういった言葉を当たり前に言える主人公の旅を最後まで見届けたいと思いました。
 マグニスの処刑を止めることは、言ってしまえばロイドたちの目的である世界再生には関係の無いことです。リフィルやクラトスといった大人二人は、困っている人たちを見てすぐに助けようとする子どもたちに「関係無いことに首を突っ込んで、助けるつもりが逆に人々を危険に晒してしまう可能性がある」と諭すのですが、それに対するロイドの答えがこの言葉になります。世界を救うために目の前の人を犠牲にすることを見過ごせないというこの時のロイドの考えは、その後の世界を救うため天使になってしまうコレットを助けようとしたり、世界を救うため死のうとするクラトスを助けようとしたりする行動にも繋がっています。
 こういったロイドの拙いながらも真っ直ぐな考えを、ロイドの真っ直ぐさに救われたコレットとジーニアスはいの一番に肯定し、現実を知っている大人であるリフィルとクラトスもまた最終的にロイドの前向きで善良な考えを肯定して力を貸してくれます。そして、全員でマグニスの処刑を止めて彼が取り仕切る人間牧場を破壊することを決意します。パーティーメンバー全員がそれぞれ異なる形でロイドの善性を好ましく思っていることが分かるという意味でも、大好きな場面です。

2.パルマコスタの真実

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 TOSの好きなところの一つは、何と言っても主人公のロイドが非常に魅力的な主人公であることです。ロイドは一見よくありがちな熱血主人公に見えますが、ゲームを進めれば進めるほど彼の言動の端々からは勉学の方面とは別の賢さ、思慮深さ、眩しさ、優しさが感じ取れます。
 そういったロイドのただ熱血というわけではないキャラクター造形の一端を知ることができるのが、この場面だと思います。ディザイアンとの対決を謳いながら裏ではディザイアンと癒着し民を騙している総督にロイドたちが詰め寄ると、総督は「自分ばかりが正義と思うな」と反論します。それに対してロイドは「正義なんて言葉チャラチャラ口にすんな! 俺はその言葉が一番嫌いなんだ!」と本気で怒ります。ロイドは正義という言葉を都合の良い言い訳にして振りかざすことをしません。正義という言葉が持つ重みや危うさをしっかり理解していて、正義を弱さの言い訳にすることも許し難いと思っているから、こういった言葉を言うことができます。この場面は、ロイドの学力方面とは別の賢さを見ることができる場面の一つだと思います。
 総督がディザイアンと癒着していたのは、化け物に変えられた自分の妻を助けるためです。そのため彼には彼なりの事情があるのですが、ロイドはその行動に対し「本当に奥さんを助けたかったなら地位なんて捨てて薬でも何でも探せば良かったじゃないか!」と言います。ロイドの言葉は間違いなく正論です。実際にロイドたちは、この後シルヴァラントを旅する中で化け物にされた総督の妻を治療する方法を見つけ、元に戻してあげます。
 しかし、人間の誰もが簡単に地位を捨てられるわけではありません。どうしても保身に走ってしまい、強いものや暴力に屈してしまうのもまた人間です。そのため、コレットはそういった人間の弱さを持った総督に詰め寄るロイドへ「誰もがロイドみたいに強くなれるわけじゃない」と声をかけます。ロイドの強さが時に正しいからこそ厳しくなり得ることが、他でもないロイドの強さに救われたコレットから提示されるという意味でも、印象深いシーンの一つです。

3.ホットコーヒー

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 ロイドの学力方面とは異なる賢さが最もよく表れているのが、世間でも有名なコレットにコーヒーを手渡す場面です。
 天使疾患の影響で味覚や触覚を失っているコレットは、周りに心配をかけないようそれを必死に隠そうとします。その違和感に気付いたロイドが、ホットコーヒーを「冷ましてもらったから冷たいだろ?」と手渡し、ロイドの言葉を鵜呑みにしたコレットが「うん、冷たいね」と言ったのを見て彼女の感覚がなくなっていることを確信する、というのがこの場面の流れです。この場面で最も衝撃的なのはコレットが世界を救うため感覚を無くすといった代償を支払っているという事実ですが、もう一つ注目すべきはコレットが何かを隠していることに気付いたロイドの目ざとさ、単に正面から「感覚が無くなってるんじゃないか」と聞くのではなくコーヒーを使ってカマをかける賢さです。こういったところからも、ロイドがただ熱血なだけの主人公ではないことは伝わってきます。
 世界のため、一緒に旅をしている仲間たちのために自分の苦しさを隠し通そうとするコレットの健気さ、そんな優しい少女を犠牲にしないと救われない世界の残酷さ、目の前の幼なじみを救うことができない事実に打ちひしがれるロイドの苦悩が伝わってくる、名場面だと思います。

4.救いの塔

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 様々な出来事が一気に襲いかかってきて情緒が乱れ散らかした場面です。なんかロイドに対してやたら優しかったり気にかけたりしてるどう考えてもワケありな謎の傭兵が世界一綺麗な男になりましたが!?!?!?!?!は!?!?!?!?世界一綺麗だが!?!?!?!?!?!?!?!?
 救いの塔では、それまで何となく感じとっていたコレットからロイドへの好意をコレットの言葉で聞くことができます。自分を「神子だから」と特別扱いせず普通に接してくれるロイドに出会えたことが嬉しかったこと、ロイドがいたから限りある人生を最後までしっかり生きようと思えたことを話すコレットの姿は、何度見ても健気でプレイヤーの胸を打ちます。そしてこの時、ロイドはそれまで助けたいと願っていたコレットの手を一瞬手放してしまい、このことについて後に「自分はあの時一瞬コレットよりも世界を選んでしまった。俺は偽善者だ」と後悔します。それに対してリフィルが「大切な一人と世界を天秤にかけて、簡単に世界を捨てられる方がおかしいんだ」と話すことも含め、思い出深い場面です。
 それまで明らかに怪しかったレミエルが本性を表したことでプレイヤーがレミエルに並々ならぬ殺意を抱き倒した後、それまで一緒に戦ってきたクラトスが裏切り圧倒的な強さでこちらをなぎ倒してくる、というのも救いの塔の衝撃的な点の一つです。クラトスは初期パーティーメンバーの中で唯一ロイドたちと面識が無いメンバーなのですが、シルヴァラントでの決して短くない旅の間に彼の人間味や冷たく見える態度に隠れた優しさは何度も垣間見ることができます。そんなクラトスが裏切ってこちらに剣を向けてきて、パーティーを離脱した時の衝撃はいつになっても忘れられません。また、この時クラトスにはコレットと同じように天使の羽が生えるのですが、プレイヤーはシルヴァラントでの旅の中でコレットの天使の羽が決して綺麗なだけではない、人外になってしまうことの象徴だと理解しています。そんな羽を今まで仲間として戦ってきたクラトスが背負って敵対してくるということ、これまで流れていたBGMとは全く違う荘厳な雰囲気の「Beat the angel(天使を打ち倒せ)」という音楽が流れる中で戦うことは、クラトスが紛れもなく裏切った敵だと視覚と聴覚に訴えかけてきます。
 更に救いの塔では、TOSのラスボスであるユグドラシルが初めて姿を現します。この世界には得体の知れない強大な存在がいる、という衝撃が与えられるという意味でも、大きな転換点の一つになっている場面だと思います。

 というかクラトス・アウリオンの羽が........本当に綺麗で.............敵なのにすごく綺麗だからなんか全然倒せなくて............あと裏切られたことが普通に辛かったけど今まで見てきたクラトスの優しさや人間味が全部嘘だったとは思えなくて.............更に負けた後もロイドにとどめを刺せなくて辛そうな顔をするクラトスがいたから.............なのにあいつパーティー離脱するから............僕は私は............................................まあ実際羽だけじゃなくて在り方の全てが世界一綺麗な人だったんですけど...................................................クラトス.........................

5.ミズホの里

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 テセアラにやってきてしいなの故郷であるミズホの里に立ち寄ったロイドは、ミズホの里の副頭領に自分が成したいことについて話します。ロイドはシルヴァラント以外にももう一つの世界があることや世界再生は神子を犠牲にすることで行われるといった、それまで知らなかったことを突然知らされて困惑している状態だったのですが、クラトスに「お前がしたいことは何だ」と声をかけられたことで「シルヴァラントとテセアラがお互いを搾取し合う世界の仕組みを変えたい」という行動指針を固めます。そして、この行動指針について改めて口にするのが、このミズホの里での会話です。
 この時ミズホの里の副頭領はロイドを「理想論者」と表現し、「かつて古代大戦を終結させた英雄ミトスのようだ」とも話します。これに対してロイドは、「自分は英雄ミトスじゃない。自分のやり方で仲間と一緒に世界を救いたい」と話します。後にミトスとロイドが対立することになることや、ミトスとロイドが選んだ選択肢は違うものであることを考えると、ロイドが常に「自分はミトスじゃないから、ミトスと違う方法で世界を救いたい」と話すことには感慨深いものがあります。私はこの時に手に入る、ロイドの「やさしい理想論者」という称号と、「その理想は途方も無く甘いのかもしれない。でも彼の気持ちに多くの人が動かされていく」という説明文が大好きです。

6.ヴォルトとの戦い

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 パーティーメンバーの一人、しいなに深く関わっている場面です。しいなはそれまでにも自分が召喚士であることを良く思っていなかったり精霊との契約に緊張していたりする姿が描写されているのですが、その原因となっているのがかつてヴォルトとの契約に失敗した出来事です。ロイドから激励を受けてヴォルトとの契約に再挑戦することにしたしいなですが、以前のようにヴォルトの言葉が分からず仲間が攻撃で倒れていくのを見て、トラウマを思い出してしまいます。そんなしいなを奮い立たせるのが、しいなを庇って死んだコリンの存在です。多くの人を死なせてしまったことで孤立していたしいなにとって、コリンは唯一の友達でした。その友達が自分を信じてかけてくれた言葉にしいなは勇気を貰い、ヴォルトを倒します。
 TOSのパーティーメンバーは、ハーフエルフ差別やテセアラとシルヴァラントの搾取し合う世界の仕組みに傷つけられてきた人たちがとても多いです。エルフの血を引いているということで召喚士の能力を持っているしいなも、差別に傷ついてきた人の一人になります。決して平穏なばかりではない境遇の中、パーティーメンバーと一緒にトラウマを乗り越えるしいなの姿は、ミズホの里で孤立していた彼女がもうひとりぼっちではないことを感じられます。

7.アリシアとの対話

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 パーティーメンバーの内、プレセアとリーガルに深く関係している場面です。プレセアの妹であるアリシアがエクスフィアによって化け物に変えられたこと、そのアリシアに懇願されて彼女に手をかけたのがリーガルであるという事実が明らかになり、エクスフィアに宿ったアリシアの意識と二人が会話を交わします。
 この時アリシアは、プレセアに「自分を手にかけたリーガルを恨まないで」と伝え、リーガルに「自分を責めるのはもうやめてほしい」と伝えます。このアリシアの言葉は、後に二人がアリシアの幻覚に惑わされる場面にも繋がってきます。「アリシアを殺してしまった」というリーガルの加害意識と「アリシアを殺された」というプレセアの被害意識を揺さぶって二人を惑わせる幻覚のアリシアを見たロイドは、「アリシアは二人が無意味に争うことを望んでいなかった」「死んでも何の解決にもならないし、何も残らない」と訴えます。このロイドの言葉は一見「復讐は何も生まない。死んだ人はそれを望んでいない」というテンプレートのような言葉にも聞こえますが、実際にアリシアは二人が争うことを望んでおらずその言葉をロイドも聞いていたこと、プレセアもリーガルもアリシアの言葉を受けて尚復讐心に身を任せるような人たちではないことを考えると、納得のいく訴えかけになっていると思います。
 また、TOSでは復讐そのものが否定されているわけではありません。実際にロイドとクラトスはアンナさんを殺された復讐をクヴァルに対して遂げており、アリシアを化け物に変えたエクスフィアの売人も復讐として手にかけられています。TOSにおいて、復讐はそれが妥当な範囲であること、命を奪った側が奪った命の重みに最後まで気付かず命を軽んじていることを条件に肯定されます。ラスボスであるミトスの行為に対しても、「ミトスがしていることは世界を巻き込んだ復讐であり、復讐だとしてもかつてミトスたちを虐げマーテルを殺した人間はもう死んでおり妥当な範囲を超えている」という結論が作中で提示されます。扱うのが難しい復讐というテーマについてTOSという作品なりの答えが出されているのも、TOSの好きな点の一つです。
 また、アリシアのエクスフィアを壊す時も、幻覚のアリシアを退ける時も、手を下すのは決まってロイドです。これは、プレセアやリーガルがたとえエクスフィアや幻覚であってもアリシアを手にかけることを良しとしないロイドの優しさだと思います。エクスフィアによって化け物に変えられたアリシアの境遇は、ロイドにとって自分の母親と重なるものです。プレセアも、リーガルも、ロイドにとっては他人事とは思えない境遇であるからこそ、ロイドは彼らに心から寄り添うのだと思います。

8.イセリア人間牧場

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 RPGの途中で最初に旅立った村に帰ってくる、というのは王道の胸が熱くなる展開ですが、TOSでは更に裏切ってパーティーを離脱したクラトスが一時的に戻ってくるという意味でも驚かされる場面です。ゼロスとクラトスを一緒のパーティーに入れられる唯一の場所でもあります。「クラトスが仲間になりました」じゃないんだよなあ~~~~!?!?!?!?!?!?私はお前に救いの塔で裏切られてから毎秒めちゃくちゃのめちゃになっていたのだが!?!?!?!?助けてくれ!?!?!?!??!?!?!?!?そのサンダーマントとフェアリィリング(一時加入時のクラトスの装備品)毟り取ってやろうか 嘘 世界一綺麗だよ.....................知らない間に守護方陣も覚えたんだね.....................................綺麗だよ...................................................
 他の人間牧場は難しい仕掛けが用意されているところばかりなのですが、このイセリア人間牧場には難しい仕掛けはほとんど無くほとんど一直線で敵のボスがいる場所に向かうことができます。クラトスが再加入したからなるべく長く一緒にいたい、というプレイヤーの心理を読まれたかのような簡単な仕掛けの数々には、思わず「やってくれるな......」と舌を巻きたい気持ちになります。
 また、この人間牧場の仕掛けはソーサラーリングから体内のマナを放出することで扉を開ける、というものになっており、この解説をクラトスがしてくれます。一時加入したクラトスが以前のように知らないことを説明してくれるという事実が嬉しいのと同時に、後にクラトス自身が体内のマナを放出して死のうとすることの伏線にもなっているという、目立たないながらもよく考えられた場面だと思います。

9.神託の村イセリアの人々

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 シルヴァラントの人たちが「再生の神子」というものを良く言えば神聖視し、悪く言えば世界を無条件で救ってくれる都合の良い存在として見ていることはシルヴァラント編で旅をしている時から伝わってくることです。歪んだ仕組みで形成された世界における大衆の愚かさは、TOS世界の大きな特徴の一つになります。
 世界再生に失敗したコレットや、コレットに同行していたパーティーメンバーを口汚く罵るイセリアの村長を、ロイドたちに助けられた少女が一喝するのがこの場面になります。ロイド、コレット、ジーニアス、リフィルといった神子や種族など関係ない一個人に向き合ってきたイセリアの人たちは、今まで神子のコレットにばかり責任を押しつけていたこと、問答無用でハーフエルフを差別していたことを反省し、彼らを村で受け入れることを決めます。作中でリーガルなどが話しているように、世界が統合された後も差別は簡単には無くならないだろうし、すぐに平和になることもないだろうと思います。それでも、こうして今までの考えを改めることができる人たちがいるということは前途多難な世界において一つの希望です。普段感情を表に出すことが少ないリフィルが、皆のハーフエルフを受け入れる言葉を聞き感動して思わずその場を走り去る姿も含めとても印象深い場面です。

10.姉弟の母親

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 本編のシナリオとは関係無いものの、作中でかなり衝撃を受けた場面の一つです。ジーニアスとリフィルは序盤からずっと一緒に旅をしている二人であり、馴染みや愛着の強いパーティーメンバーですが、その二人の母親が精神を病んで人形を自分の子どもだと思い込んでいるということに相当なショックを受けました。いつも教師として、大人として子ども達を見守っているリフィルがいつになく感情的になるのもこの場面です。
 ジーニアスが感情的になってリフィルに諫められるという普段の光景とは対照的に、母親が幻覚を見て人形を子どもだと思い込んでいるのを見た時はジーニアスはただうなだれてリフィルが感情的に母親に向かって叫びます。これは、生まれたばかりの時に親と離れ親の記憶があまり無いジーニアスより、親の記憶が僅かながらも残っているリフィルの方が母親に対する思い入れが強かったからだと思います。自分を捨てた親に対して複雑な気持ちを抱きながらも母親と再会して話しかける時少し嬉しそうな声を出すリフィルを見ていると、自分たちのことを覚えていてくれているんじゃないかという気持ちや自分を捨てた親をそれでも愛している気持ちが伝わってくるようで、こちらまで苦しい気持ちになります。
 自分たちが苦しい境遇で生き延びてきた中、母親が幻覚の世界に逃げ込んでしまったと知ってリフィルはショックを受けるのですが、後に母親の日記を読んで両親が自分たちを疎んで捨てたのではなく自分たちの幸せを願って手放したということを知ります。「両親は自分たちのことを愛していた」という都合良くも聞こえる事実をそれでも受け入れ、いつかもう一度母親と向き合えたらいいと希望を抱くリフィルはやはり強くて素敵な女性だと実感させられるイベントです。

11.しいなとくちなわの一騎打ち

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 こちらも本編シナリオとは関係無いイベントですが、とても大好きなイベントです。まずこのイベントの好きなところは、くちなわからしいなへの逆恨みとも言える復讐心がしいなとロイドによって肯定されている点です。先述したように、TOSでは復讐心そのものが否定されているわけではありません。しいなもロイドも「自分は多くの人を死なせてしまった」という自覚があり、その上で自分に向けられる復讐心を受け入れる人です。そのことがよく分かるのが、この一騎打ちのイベントだと思います。
 また、しいながくちなわの一騎打ちに勝つと、ロイドの「生きることと死ぬこと」についての話を聞くことができます。ロイドは本編でも「死ぬことに意味は無い」とよく言うのですが、これは決して死ぬこと=悪いことと頭ごなしに考えているからではありません。ロイドとしいなは、この一騎打ちの後の会話で「死と生は同じ次元の話じゃないんだ。生きることに意味があって、死ぬことに意味はない。それだけでも比べられるものじゃない」「上手く言えないけど、人は......誰かの生きてきた姿を尊敬するから、その誰かが死んだ時悲しむんだ」「ああそうだ。だから死ぬことに意味はない。生きてきた人生に意味があるんだ。だから......生きなきゃダメだ」と話します。死に意味をもたらすのは、その人が今まで生きてきた人生です。フィクション作品でも、何も知らないキャラクターが突然死んでも陰鬱な気持ちにはなるかもしれませんが、心から悲しいという気持ちにはなりません。そのキャラクターの生き様を描ききって、初めて死というものが大きな意味を持つのだと思います。
 生きることと死ぬことへの考えは多々あり、それは人や作品によって答えが異なるものだと思いますが、私はTOSという作品でこういった考えを知ることができたことを嬉しく思います。

12.親子真実発覚

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 人生の情緒瞬間最大風速を超えた瞬間です。この後一騎打ちとマテリアルブレードを渡す場面でもう二十回くらい情緒瞬間最大風速が更新されます。クラトスさんとロイドさんって親子なんですか!?!?!?!?!?何で!?!?!?!?こんなに世界が最高でいいんですか!?!?!?!?私も大概この真実にめちゃくちゃになっていましたが、ロイドもだいぶめちゃくちゃになっていたと思います。
 クラトスがロイドの父親だと明かされ、何を言っているんですか!?!?!?!?と発狂している中ロイドに向けられた攻撃をクラトスが庇って、その時に言う言葉が痛いとか苦しいとかじゃなくてロイドのことを真っ先に心配する「無事か? ならいい」という言葉だったのを聞いて、それまで「クラトスが自分の父親だなんて信じない」と言っていたロイドが否が応でもこの人は自分の父親だと理解してしまったあの瞬間が頭がおかしくなるほど好きです。「ならいい」じゃないんだよな......私の情緒は全く無事じゃないので何も良くない......。
 親子真実の発覚もだいぶ大きな出来事なのですが、特に好きなのはここで混乱するロイドに対してコレット又はゼロスから「誰の血を引いていてもどんな生まれだったとしてもあなたはあなたでしょ!」「立場も人種も何も......関係ないんだろ。心は同じなんだろ」と、ロイドが彼らに向けた言葉がそのままロイドに返される点です。ロイドがすくい上げた仲間の心が、今度はロイドをすくい上げるという優しくて素敵な場面だと思います。
 また、ジーニアスとミトスという似た境遇で友達になった二人が明確に袂を分かつのもこの場面になります。ミトスがユグドラシルだと薄々気付いていたため「やっぱり......」と言ったジーニアスの言葉を反射的に「やっぱり? 信じてなかった? ボクだってお前なんか信じてなかったよ!」と攻撃的に返してしまうミトスと、敵対していながらもミトスのことを庇ってしまうジーニアスの姿は見ていてとても辛くなります。色んな出来事が一気に起こる点でも印象に残っている場面です。

12.フラノールの雪見

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 TOSの大きな特徴の一つは、各パーティーメンバーに道中の選択肢による好感度が設定されていることです。この好感度システムに由来して主人公のロイドが「攻略王」と呼ばれることもあります。そして、これまでの好感度の総決算となるのがこのフラノールで雪見をするイベントです。
 雪見イベントでは、パーティーメンバーのうち一人とロイドが決戦前夜の少しお互いに踏み込んだ会話を交わします。どのメンバーとの会話も、彼らの魅力に溢れた内容になっており、一度は全員分の会話を見たくなるものです。特にゼロスが話す彼の昔話は、本編シナリオでは匂わせる程度にしか話されず彼と雪見をすることで初めて聞くことができるという点で、特殊なものになっていると思います。また、このイベントでクラトスを選ぶかそれ以外のメンバーを選ぶかでこれ以降のパーティーメンバーが変わる、というのも特筆すべき点だと思います。
 TOSでは、選択の責任についての話が時折出てきます。自分の選択で人を犠牲にしてしまったんじゃないかと落ち込むロイドに「人はいつも一つの選択しかできないのよ。自分の選んだ真実に責任を持ちなさい」とリフィルが声をかけたり、ロイドの養父であるダイクが「お前はお前なりに精一杯考えて最善を尽くしたんだろう。それなら後は自分のしたことに責任を持って生きるだけだ」と話したりします。こういったロイドが背負っている選択の責任をプレイヤーも一緒に背負うためのシステムが、この好感度システムなのだと思います。そして、どういった選択をしたとしてもそれに責任を持って前に進むのならば、どれも尊重されるべき選択なのだとゲームを通してTOSは伝えてくれているように思います。そしてその選択の結果が大きく出てくるのが、この雪見イベントだと思います。
 また、ロイドがこういった好感度システムでパーティーメンバーに好かれているのは単に彼が「主人公だから」ではありません。ロイドの人格的な魅力、傷ついた人の心に当たり前に寄り添える優しさ、その上で一緒に生きていける強さを雪見までの旅の中でプレイヤーは知っています。雪見イベントは、そういった魅力があるロイドだからパーティーメンバーも彼と一緒に未来を生きようと思えるんだと実感できる、大好きな場面の一つです。

14.ゼロスの裏切り

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 雪見イベントに引き続き、今まで積み重ねてきた選択の結果が出る重要な場面の一つです。ここでゼロスと戦うか戦わないかによって、その後のパーティーメンバーがゼロスかクラトスのどちらになるかが変わります。シルヴァラント編の最後にクラトスが救いの塔で裏切ったことを考えても、同じように救いの塔でゼロスがロイドたちを裏切るのはゼロスとクラトスの立ち位置を考えて練られている構図だと思います。
 ゼロスと戦うことになった場合、ロイドは自らの手でゼロスに手を下して前に進むことになります。TOSでは多くの人が命を落としますが、この場面は「世界を救うため誰かを犠牲にするのは嫌だ」と言い続けてきたロイドが、救えたかもしれない命を取りこぼす可能性がある唯一の場面です。そういった意味でもゼロスの立ち位置はTOSにおいてかなり特殊であり、「選択肢によってパーティーメンバーの生死が変化する」というのはやはりプレイヤーにとって衝撃的なものだと思います。それまでゲームを遊んできた時間の全てがゲームの中とはいえキャラクターの命は重いものだという実感に繋がる、心がしんどいながらも秀逸な場面です。キャラクターの死という作品の中でかなり大きな出来事を、単に悲しいものや感動的なものにするのではなくプレイヤーの選択を以て全力でぶつけてくるこの展開が、私は本当に大好きです。そして、TOSが選択の責任を背負うゲームだからこそ、ゼロスとクラトスがどちらもパーティーに加入するという選択肢が存在しないことを心から大切にしたいと思っています。


15.仲間の帰還

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 救いの塔を進む中、パーティーメンバーは一人ずつ敵の罠にかかってパーティーを離脱していきます。「誰も犠牲にしたくない」と言い続けているロイドが前に進むために仲間を置いて前に進まなければならないというのは、かなり辛い展開です。別れ際に皆がかけてくれる台詞も相まって、その辛さはどんどん増していきます。
 そして、いなくなってしまったと思っていた仲間はロイドがユグドラシルと戦う直前に帰ってきます。そしてこの場面で、TOSのOP曲のクラシックアレンジが流れます。それまでずっと仲間を大切にしてきた、誰も犠牲にしたくないと願ってきたロイドの思いへの答えが最高の形で返ってきて、それを音楽が更に最高の形で盛り上げるという、感動せずにはいられない場面です。
 また、先述したゼロスが裏切る場面で彼と戦っていない場合、この場面でゼロスがロイドたちの元に帰ってきます。それまでの「ロイドくん」や「ハニー」といったふざけたような呼びかけではない、「ロイド」という真剣な声からは、ゼロスが本当に帰ってきてくれたことが明確な言葉にせずとも伝わってきて本当に嬉しくなります。一周目を遊んでいた時知らない間にクラトス寄りの選択肢を選んでいたせいでゼロスの好感度が死ぬほど低く、ゼロスの何やら死にそうな雰囲気も相まって裏切られた時もう戻ってこないと思い込んで心が死んでいたので、ゼロスが帰ってきてくれた場面は個人的にTOSで一番泣いた場面です。


16.ロイドとクラトスの一騎打ち

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 情緒瞬間最大風速を毎秒超えすぎて完全に気が狂った場面です。いやこんなの気が狂うしかなくないですか!?!?!?!?!?何でありとあらゆる文脈を背負って最高の一騎打ちをしたんですか!?!?!?!?!?本当に勘弁してほしい。脳みそが粉々になって再構成されてもう一回溶けてそこから元の形に戻ってない。
 親と子ども、師匠と弟子、過去を生きた英雄と今を生きる人間、剣士と剣士としてロイドとクラトスがぶつかり合う、最早言葉にするのも野暮なのでは?というくらい最高の場面です。この時クラトスはロイドに手を下されることで死に、世界統合のために必要な精霊オリジンを解放しようとしていたのですが、ロイドがクラトスに手を下すことはありません。それは、今まで何度も書いてきたようにロイドが世界を救うため誰かを犠牲にするのを良しとしていないから、そして「死ぬことには何の意味もない」という考えを持っているからです。死んで責任を果たすことが自分の贖罪だと考え、ずっとそのように生きてきたクラトスが、四千年もの人生の果てに出会えたロイドという光に「生きてほしい」と伝えられて前を向いて生きようと決めるこの場面が本当に好きです。えっいやもうロイドとクラトスの関係性本編が最高過ぎてもう何も言うことなくない!?!?!?!?!?何回考えても最高過ぎて意味が分からん。ありがとう世界。ありがとうテイルズオブシンフォニア。

17.ミトスとの戦い

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 テイルズシリーズの醍醐味の一つは、主人公には主人公の正義があるように、敵にも敵の正義がある、という点です。TOSもその例に漏れず、ラスボスであるミトス側の事情がしっかり掘り下げられ、彼にも正義の側面があるということが作中で提示されています。
 ロイドたちは、道中ミトスと仲間として行動していたことやミトスの事情を知ったこともあり、問答無用でミトスと戦おうとするわけではありません。最後まで「戦わずに済むならそれが一番良い」「統合された世界にあなたも存在していて良い」といった考えでミトスに接します。それでもロイドとミトスが戦うことになるのは、マーテルとコレットという大切な存在を失った時に、二人が異なる選択をした者同士だからだと思います。ロイドが選択の責任を負っているように、ミトスもまた自分の選択の責任を負っていて、だからこそミトスはロイドと戦います。だからミトスが最後に言うのは、「ボクはボクの世界が欲しかった」という弱音ではなく「ボクは何度でもこの選択を繰り返す」という彼の強度を感じさせられる言葉なのだと思います。
 TOSでは、人はすべてを救うことはできず常に何かを選択し続けなければならないこと、そしてその選択の責任を胸に刻んで前進しなければならないことがシナリオを通して何度も伝えられます。そういった物語で、主人公が選ばなかった道を選び進んできたミトスと主人公が相対するのは道理であり、他でもないミトスが最後に戦う敵であることには大きな意味があると思います。

 全編通して好きな場面しか無いくらいに全部が好きなTOSですが、何とかかんとか17個の場面を選んで簡単ながら感想を書きました。何度思い返しても本当に素敵で、色んなことを考えさせられる物語だなと思います。また、決して重いだけではなくしっかり王道RPGとしての流れが纏まっているところ、未来に確かな希望があるところもTOSの大きな魅力だと思います。
 改めて17周年本当におめでとうございます。今後ともTOSという作品が健やかなものでありますように!

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