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TOS18周年なのでゼロスとクラトスの択一について考える

 テイルズオブシンフォニア(以下TOS)18周年おめでとうございます!!

 突然情緒をめちゃくちゃにされてからもう二年が経ったと思うと非常に感慨深いものがありますし、この先もずっと心に残り続ける作品だろうという確信もあり、今後もTOSを愛し続けていこうと改めて思います。
 今年はTOSで特に多くの人が心を乱されたのではないかと思うゼロスとクラトスの択一について書いていこうと思います。去年の記事のリンクと初見プレイ中のツイートのまとめは下に貼っておきますので、興味があれば目を通していただければと思います。


1.ゼロスとクラトスの択一とは

 初めに、ゼロスとクラトスの択一について説明します。TOSでは各パーティーメンバーへの隠しステータスとして好感度が設定されており、作中の選択肢でどの選択肢を選ぶかによってパーティーメンバーの好感度が変動します。そして物語の後半に訪れるフラノールという街で、好感度が高い人と雪見をするイベントが発生し、その後のシナリオで雪見をした人との特別なイベントがいくつか発生します。
 TOSのパーティーメンバーは主人公のロイドを除くと八人いて、どのキャラクターとの雪見イベントも各自の掘り下げとして良質な内容になっており、それまでの選択肢でそのキャラクターを選びとったプレイヤーの選択に十二分に報いるような話になっています。そんな中で、その後の物語にひと際大きな影響を与えるのがパーティーメンバーの一人、クラトスと雪見をするイベントです。
 クラトスは、物語の序盤に世界再生の旅に出るコレットの護衛をする傭兵として仲間になるキャラクターです。出会ったばかりの頃は厳格な側面が目立ちますが、時が経つにつれて彼の面倒見の良い面や優しい面に触れることができ、主人公のロイドも彼を仲間として、そして剣の師匠として慕うようになっていきます。しかし、世界再生の旅が終わった時、クラトスは自分が敵側の存在であることを明かしパーティーを離脱します。

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 そんなクラトスと入れ替わりでパーティーに加入するのが、テセアラの神子であるゼロスです。女性に目が無くおちゃらけた態度をとることが多い彼にロイドたちは呆れていることが多いですが、彼もまた一緒に旅をするにつれて何か重いものを抱えていたり彼なりの考えを持っていたりするような顔を覗かせます。

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 クラトスとちょうど入れ替わりでゼロスがパーティーメンバーになることから察せられるように、二人の装備や覚える技はほとんど共通しています。そして、この二人が同時にパーティーに加入するのは物語後半に訪れることになるイセリア人間牧場のみであり、それ以外は基本的にどちらか片方しかパーティーに加入しません。

 ゼロスとクラトス、どちらが最終的にパーティーメンバーとして最終決戦に参加するか。それが決まるのが、先述したフラノールで雪見をするイベントです。このイベントでクラトスと雪見をすればクラトスが、それ以外のキャラクターと雪見をすればゼロスが最終的なパーティーメンバーとなります。これがゼロスとクラトスの択一です。この仕様から、時系列的にゼロスかクラトスのどちらかが加入している可能性のある本編のシナリオやサブイベントにはすべて二人分の差分が用意されています。

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 しかし、この択一がただキャラクターのどちらかが離脱するだけであれば然程プレイヤーの印象には残らなかったと思います。この択一の最大の特徴は、クラトスが仲間になる場合主人公たちがゼロスと戦うことになり、ゼロスが命を落とす点です。
 ゼロスは敵に命じられ、ロイドたちの行動をスパイとして監視していました。自分と同じ神子であるコレットの命も、シルヴァラントとテセアラの二つの世界も、どちらも救うため奔走するロイドたちを初めはそんなことができる筈が無いと思いながら見ていたゼロスは、次第に「それでももしかしたら」という希望を抱くようになっていきます。その希望を抱いてゼロスがロイドたちに味方することを選ぶか、スパイのまま裏切ることを選ぶかがこの選択によって決まります。


 こうして見ると、明確にゼロスとクラトスのどちらを加入させるかを問いかけるのではなく「クラトスを選ぶことでゼロスが死亡する」というのは特殊な選択のように感じられます。反対にゼロスの加入を選んでもクラトスが死ぬわけではない(クラトスはどのルートでも必ず生存する)ことも含めて二人の立ち位置はTOSの中でもひと際特別です。
 ここで気になるのは、なぜクラトスと雪見をすることがゼロスの死亡に繋がるのか?という点です。クラトスと雪見をすると変わる点に注目すると、ユグドラシルとの決戦前に交わされるロイドとゼロスの会話で、ロイドがかける言葉が変わります。

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 このように、クラトス以外と雪見した時はロイドはゼロスに「信じてるから」と曇りの無い信頼を向けるのに対して、クラトスと雪見した時は「信じていいのか?」と疑念を露わにします。この違いは、それまでロイドが選んできた選択肢の傾向が影響しているように思います。
 クラトスと雪見をするためには、当然クラトスの好感度を上げなければなりません。そしてクラトスの好感度が上がる選択肢は、比較的感情面よりも理性を重視する内容のものが多いです。たとえば、「敵地である人間牧場に乗り込む際そのまま強行突破するか/一時撤退して準備をするか」といった選択肢でクラトスの好感度が上がるのは後者、といった具合です。
 ロイドは学力こそ担任の教師であるリフィルが頭を抱えるほど問題がありますが、決して頭が悪いわけではありません。考え無しに熱意だけで何とかしようとするだけでない、というのはロイドの大きな魅力の一つです。そういったロイドの地頭の良さを考えれば、理性的な選択肢があることも不自然でないことです。そして、クラトスの好感度が高い状態のロイドは、特に理性的なものの見方をする選択をしたロイドであると考えることができます。
 スパイとして働いている間、ゼロスは不審な行動をとることが時々あります。ロイドたちを敵の仕掛けた罠まで誘導したり、敵のいるアジトで単独行動をとったりといったものです。そんなゼロスに対してクラトスと雪見をしたロイドが疑念を持つというのは、ロイドがゼロスを信じていないということではなく、選択肢の積み重ねによって理性的なものの見方をするようになったロイドの目にゼロスの不審な行動への疑念が一瞬生まれ、その一瞬の疑念が命取りになってしまったということだと思います。


2.択一が持つ意味

 TOSでは、選択についての話が作中で何度も話されます。最も分かりやすいのが、序盤にロイドたちへ突きつけられる「世界を救うか、ヒロインであるコレットの命を救うか」の選択です。この選択は「世界は救われる。彼女を失えば」というTOSのキャッチコピーにも表れています。
 また、実際にプレイヤーが選択肢を選ぶ場面も数多くあります。本編シナリオでの行動やスキットでの会話相手への受け答え、ダンジョンを攻略する際パーティーメンバーのうち誰を連れて行くかなど選択肢を選ぶ場面の多さはシリーズ作品の中でも随一だと思います。

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 それに伴って、TOSでは選択について回る責任の話がされています。特に明確にそれが話されているのが、ロイドとリフィルのスキットでの会話です。

「 誰かが犠牲になるのはイヤだ。誰かが苦しむのはイヤだ。その考えは間違ってはいないわ。でもね、時々もどかしくなるの。腹立たしいほどに。人はいつも一つの選択しかできないのよ。自分の選んだ真実に責任を持ちなさい」
「 ......先生は、厳しすぎるよ」
「 厳しいことを言うのは、あなたがそれを乗り越えてくれると信じているからよ。あなたは強いわ、ロイド」


 TOSは、主人公のロイドが世界も世界を救うため犠牲になろうとしていた個人もどちらも救うため奔走する物語ですが、同時にそれでも選択肢の全てを選ぶことはできない物語でもあります。フラノールでロイドが雪見できるのがパーティーメンバーのうち一人だけであるのがその好例です。
 それでも、TOSでは選択肢の全てを選べないことを悪いことだとは言っていません。私が特に好きなロイドの育ての親であるダイクさんの言葉に、次のようなものがあります。

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 TOSでは、このように自分の行動について「常に正しいことができなくても、自分の行動に責任を持って進んでいく限りそれは否定されない」という話がされています。これは、TOSで何度となく繰り返されるどれか一つしか選べない選択についても同じことが言えると思います。勿論ゼロスとクラトスの択一についても同様です。
 先述した通りTOSには数多くの選択肢があり、プレイヤーの数だけの選択があると思います。ある選択しか選ばない遊び方や、ある選択を選ばない遊び方など、どの選択を選ぶかは人によってそれぞれ違っているでしょう。そして、本編で登場人物によって話される話を見ていると、どんな選択であったとしても責任を持って成された選択であるならば、それは誰に否定されるべきものでもないし、否定するべきものでもないと私は感じます。


3.全員が加入するルートはあった方が良いのか?


 ゼロスとクラトスの択一を経験した時、プレイヤーの誰もが一度は考えるのが「ゼロスとクラトスの両方がパーティーに加入する方法は無いのか」ということだと思います。結論を言えば、ゼロスとクラトスのどちらもがパーティーに最終的に加入する方法は原作にはありません。
 たとえば、コミカライズ版のTOSでは本編のシナリオを上手くまとめ上げ、ゼロスとクラトスの両方が最終決戦に参加するといった内容になっています。こちらのコミカライズは決して短くもなければ簡単でもない本編の内容を本当に上手に再構成していて、各場面でのキャラクターの表情の描き方も素晴らしく、個人的に大好きな作品の一つです。本編の番外編の物語が描かれているEX巻のロイドとクラトスがシルヴァラント編時間軸でロケットペンダントについて話す話は読む度に泣いています。

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 それでは、原作であるゲームの方にもゼロスとクラトスのどちらもがパーティーに加入するルートがあった方がいいかと聞かれれば、私は無い方がいいと答えます。理由は色々あるのですが、一番に思いつくのはTOSがゲームという媒体で世に出されたことの意義です。
 様々なコンテンツが存在している中で、ゲームという媒体の特徴の一つとしてプレイヤーが自分でキャラクターを動かし、作品の世界に入り込める点が挙げられると思います。特に「選択肢」というのは、プレイヤーが作品の世界に干渉できる大きな方法の一つだと思います。選んだ選択によって結末が変わったり、内容が変わったりするというのは、他の媒体ではなかなかできない表現方法です。
 TOSで話されている「選択の責任」というテーマは、そういったゲームという媒体の特徴に非常に合ったテーマです。ロイドが様々な選択をしながら責任を背負って旅路を進んでいくように、プレイヤーも同じように選択肢を通して実際に選択の責任を負い、物語を進めていくことができます。その中でとても大きな選択の一つである「パーティーにゼロスを加入させるか/クラトスを加入させるか」という選択には、どちらか一人しか選べないからこそ選択に負う責任に重みがあるのだと思います。また、先述したようにTOSでは選択について「人間はいつも一つの選択しかできない」「それでもどちらかを選んだならその選択に責任を持って進むべきだ」と話されています。クラトスとゼロスの択一は、どちらかしか選べない選択に責任を持つべき最たるものだと思います。TOSがコミカライズとはまた異なる、選択によって結末を変えられるゲームという媒体で発表された作品だからこそ、原作ではゼロスとクラトスのどちらかしか選べないことに私は深い意義を見出しています。


 そして、どちらか一つしか選べない選択を行っているのは主人公のロイドだけではありません。本編において頻繁に「ロイドと似ている」と評されるミトスも選択を行っている人の一人です。
 ミトスには大切な姉、マーテルがいて彼女を蘇らせるために神子を器として利用しようとしています。また、彼には英雄として一緒に旅をしていた頃からクラトスを師匠として慕っています。クラトスは、姉を殺された復讐心からテセアラとシルヴァラントの二つの世界を苦しめているミトスのやり方は間違っているとして彼を正すために敵対するのですが、ここでクラトスが自分と敵対しようとしていることを察したミトスには二つの選択肢がありました。それがマーテルを生き返らせるか、マーテルを生き返らせることを諦めてクラトスを安心させるかの選択です。この選択に直面した時、ミトスが選んだのはそれでもマーテルを生き返らせる選択でした。
 このあたりの話は公式ノベライズの贖罪のクラトスでかなり詳細に書かれているのですが、作中でのミトスの言動を見ていても彼がマーテルとクラトスをそれぞれ慕っていること、クラトスの裏切りを察しながらもマーテルを生き返らせると決めたこと、それが他でもない彼自身の選択であったことは読み取れるのではないかと思います。

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 このように、ミトスはマーテルとクラトスというどちらか片方しか選べない選択に突き当たった上でマーテルを選んでいます。そんなミトスと対の存在であるロイドも、ゼロスとクラトスというどちらか片方しか選べない選択をするという構図は理に適っていると思います。


 ゲームという媒体を使って「選択」を一つのテーマとしているゲームにおいて、「どちらか一つしか選べないものがある」ことには強い意味があるのではないかと思います。作中で話されている内容、登場人物同士の対比を見ていった時、ゼロスとクラトスはどちらか片方しか選べないからこそTOSという作品の持つテーマが一層深まっていると私は感じます。


4.まとめ

 キャラクターの死というのは、作品において非常に大きな影響を読み手に与えるものです。それ故に、ゼロスとクラトスの択一はプレイヤーに画面を超えた衝撃を残します。そして私はこれまで書いてきたように、作中でどちらか一人しか最終的にパーティーに加入しないことに意味があると考えていて、そういった仕様になっているTOSが大好きです。
 ゼロスをプレイヤー自身が手にかけなければならないクラトスルートは、一つ目の項目で話した通りクラトスが他のルートでパーティーに加入こそしないものの生存する分、人によっては理不尽に感じるルートかもしれません。それでも私は、クラトスルートに心を大きく抉られたと同時に作品全体を見渡した時の構造がとても好きだという結論に行き着きます。
 ゼロスは神子として生きることに辟易としていて、母親から「おまえなんか生まなければよかった」と言われたこともあり生きることを半ば諦めている人です。しかし、ゼロスはロイドたちと出会って一緒に過ごすうちに「真剣に生きてみたい」と思うようになった人でもあります。

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 対してクラトスは、四千年間の間に背負った責任すべてを背負って生き続けている人であり、自分たちが歪な形にしてしまった世界を救う責務を終えて死にたいと死に場所を探している人です。

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 これは個人的な考えになりますが、生きたいと思っている人の手を離すことと、死にたいと思っている人の手をとることには同じだけの重みがあると私は思っています。だからこそ、死にたがっているクラトスの手を改めてとり、他でもないクラトスに傍にいてほしいと彼を選ぶクラトスルートでは、生きたがっているゼロスの手を離さなければならないのだと思います。


 この記事では主にゼロスとクラトスの択一について話しましたが、TOSにはその他にも様々な選択肢があり、プレイヤーがどれを選ぶか悩んだ分だけの答えが物語からきちんと返ってくるようになっています。選択肢を通して物語全体のテーマを描きながら、最高のゲーム体験をさせてくれるTOSのことが、私は本当に大好きです。
 改めて、TOS発売18周年本当におめでとうございます。今後ともTOSという作品が健やかなものでありますように!


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