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夏だけど「違う冬のぼくら」を遊んだ話(ネタバレ感想)

 steamにて発売中の2Pプレイ専用ゲーム、「違う冬のぼくら」を夏真っ盛りに遊びました。楽しかった~!!!! 人間関係引き籠もりオタクなので一生遊べないと思っていた2Pプレイ専用ゲームだったのですが、付き合ってくださったフォロワーさんに感謝しきりです。

 違う冬のぼくらは、プレイ前に拝見した制作者さんのツイートが非常に印象的でした。

 ゲームを作った方からプレイヤーへの思いがとても好きなので、こちらのツイートが膝に突き刺さり配信や実況を見るより先に絶対に自分で遊ぼう!と心に決めたのですが、私に付き合ってくれる奇特なフォロワーを絶交して失うわけにはいかないと思ったため桃園の誓いをしてから遊びました。我ら生まれた日は違えども死す時は同じ日同じ時を願わん!
 このツイートを見て良いな!!と思った方はぜひご自分で遊ぶのをおすすめします。冬の朝日に照らされる瞬間を閉じ込めたような、うつくしく寂しいけれどあたたかなお話です。
 以下、ネタバレを大量に含む感想を書いていきます。ご注意のほどよろしくお願いいたします。



1.初の2Pプレイゲームと午前4時とフォロワーと私

 作品の雰囲気をふんわり知っただけで遊んだため、ほとんど前知識無しで遊んだ違う冬のぼくらですが、ゲームを遊び始めて「2人で協力するパズルゲームか!」と気づき、普段あまり遊ばないゲームのジャンルに手探りで挑む形になりました。確かに自分が知っている2Pプレイ専用ゲームもほとんどが推理ゲームやパズルゲームだったので、そこから察するべきではあった……。
 クリア想定時間は3~4時間とのことでしたが、自分の場合は約7時間かかりました。1周目をクリアしたのは午前4時。久々の夜更かしにテンションがハイになりました。

 2人のプレイヤーは見えている世界が違っています。分かりやすいところだと片方の男の子には世界全体が絵本の中のようなメルヘンな世界に、片方の男の子には世界全体が機械に溢れたスチームパンクのような世界に見えています。

元の世界の2人
異変が起きた後、片方の男の子に見えている世界①
異変が起きた後、片方の男の子に見えている世界②

 このような分かりやすい違い以外にも、パズルを解く画面では片方のプレイヤーには見えない障害物が置いてあったり、片方にはトランポリンに見えている物が片方にはクマの毛皮に見えていたりと、お互いに見えている物をしっかり伝え合うことがパズルを解くにあたって非常に重要なゲームです。自分にとっては当たり前のことが、他人にとっては決して当たり前ではないという、現実世界でも起こり得る認識の違いをこのゲームでは分かりやすい形で体験できます。認識の違いを擦り合わせるには相手に伝わるよう言葉を尽くさなければならないところも現実に通ずるものを感じます。

 それなりに苦労して解いた謎解きもありましたが、何とか攻略情報に頼らずクリアできたのもあって、そこそこゲームを遊んでいるプレイヤーのパズルゲーム入門としてはちょうど良い難易度だったと感じました。視界が全く別の場所を見ていて、体だけが自分と同じ場所に残っている相手を上手く誘導してアスレチックめいたステージを進んでいかなければならない場面では、「今からあなたにSASUKEをしてもらいます」と思わず宣言するほど手に汗握る攻略をしました。


 特に楽しかったのは9つ並んでいる不思議なマークのボタンのうち対応したボタンを押してもらわないと前に進めない場面です。上のスクリーンショットに見えているような何とも形容し難いマークを言葉でどう伝えるか考えるのが難しくも楽しく、「栗まんじゅうが3つ並んだマーク」「”品”の漢字が斜めになった形のマーク」「トラファルガー・ローの帽子の模様みたいなマーク」等々お互いの表現力が垣間見えました。
 見えている物が違う相手とコミュニケーションをとるのは想像していたよりもずっと難しく、苦戦したり焦ったりすることも多かったですが、それと同じだけ相手への理解を深められる時間にもなりました。

 このような見えている世界の違いは、ゲームの主人公である男の子2人の価値観の違いをそのまま表しています。
 男の子のうち1人は、2人が住んでいる町の町長の息子です。お金持ちの家に生まれ裕福な暮らしをしていますが、父と母は自分のことを見てくれず、孤独な日々を送っています。
 もう1人の男の子は、スナックで働いている母親を持つ息子です。男遊びの激しい母は育児に興味が無く、彼氏にお金を使ってばかりで貧しい生活を送っています。
 そんな2人がどうして不思議な冬の1日を過ごすことになったのか、次の項目で彼らの友情について触れていきます。


2.ぼくときみの友情

 「違う冬のぼくら」は、ゲームの主人公が残業帰りに子供時代の思い出を回想する形で始まります。子供時代の思い出とは、2人の少年が家出して山の頂上に建っている石像を壊すために山登りを始めるといったものです。町長の父を持つ男の子は、夏に買って貰ったものの結局一緒に遊んでもらえなかった花火を詰め込んだ爆弾を作って、石像を壊そうと山を登っていきます。こういった大人になってからは到底やろうと思わない、子供だからこそ出来る無鉄砲な行動が個人的に大好きなので、この時点で軽くテンションが上がっていました。

 2人の少年の友情のうち好きなところの1つが、この友情が決して初めから綺麗なだけのものではなかったところです。2人は山登りを進めるうち、自分たち以外の男の子「ハル」に出会います。ハルと一緒に一晩を過ごした夜、スナックに勤めている母親を持つ少年は自分が家出した本当の目的について話します。
 少年は、かつて母とその彼氏と旅行に行き、自分だけ公園に置き去りにされたことがありました。その間公園で遊んでくれた男性が自分の本当の父親ではないかと考えて、その人に会いに行くというのが彼の家出の目的です。
 それを聞いた町長の父を持つ少年は、「その人が君のお父さんじゃなかったらどうするんだ」と男に会いに行くのを否定し、引き止めようとします。その時に少年は、2人の友情の始まりについて話します。

「なんでそんなに否定ばっかりするんだよ。おまえには関係ないだろ……」
「ぼくはきみに傷ついてほしくない。夢みたいなことに期待して、馬鹿みたいにそれにすがって、それがだめだったとき傷つくのはきみだし、そんなきみをぼくは見たくない」
「そんなの……僕が傷つこうがどうしようがおまえには関係ないだろ……」
「関係あるよ! ぼくはその公園のおじさんとたぶん同じだった。家に居場所がなくて、帰りたくなくて、家にいるよりはきみといたほうがましだったから一緒に遊んでた。
でもいまではきみが好きだし、一緒に遊びたいから遊んでるし、一緒にいたいからいまも一緒にいる。
きみにぼくは関係ないかもしれないけど、ぼくにとってきみは関係あるよ」

 はじまりは打算だったかもしれなくとも、一緒にいるうちに心の底から相手が大切になって、「きみに傷ついてほしくない」と真っ直ぐに伝えられる友情に目を焼かれました。「おまえには関係ないだろ」に対する「きみにぼくは関係ないかもしれないけど、ぼくにとってきみは関係あるよ」、最強のカウンター過ぎませんか? ただ綺麗なだけではないからこそ、冬にだけ見られる眩しさのような2人の友情のきらめきはより際立っていると感じます。


 2人の「石像を壊す」という目標の結末も、このゲームで好きなところです。少年が作った爆弾は所詮花火を詰めただけのものに過ぎず、石像を壊すことはできずただ綺麗な花火を見せて燃え尽きてしまいました。そんな期待外れの光景に2人は大笑いします。
 子供達にとっては大きな出来事で、世界を壊してしまうような出来事が、世間から見れば思いの外大したことがないという感覚は私が好きなものの1つです。少年の作った爆弾が石像なんて壊せないこと・それでも2人にとって一緒に見た花火はばかみたいに面白いもので、一緒にそれを見た思い出は間違い無く嬉しいものだったことは、子供の頃だからこその輝きを放っていると感じます。
 更にこの時、町長の父を持つ少年は自分の父親が女遊びの激しい人間であることと、自分がもう1人の少年の父親を知っている風な素振りをするのはそういう意味だと明かします。つまり2人の少年は、腹違いの兄弟でもあったのです。親愛感情とお互いを思い合う家族が好きなオタクなのでこの真実を知った瞬間にはあまりの良さに思わずひっくり返りました。
 自分が町長の息子だと知らない、もしかしたら自分の兄弟かもしれない少年に声をかけた時の彼の心情は、考えただけで胸がやわく締めつけられる思いがします。

 石像の傍で爆弾を燃やしたあと、2人の少年は化け物に襲われます。このとき近くにはシーソーが置いてあり、これはパズルゲームの場面でもあったギミックです。このギミックを見たことがあるプレイヤーならば、「シーソーを使って化け物から逃げられるのは1人だけ」という事実に気づくでしょう。
 このとき2人の少年は、お互いに「自分がこの場に残るからお前は逃げろ」と伝えます。現実であればひたすらパニックになって逃げるだろうところを、真っ先に相手を生かそうとする2人の友情にこの時点でたこ殴りにされました。

 プレイヤーはこのゲームの中で何度か選択肢を突きつけられ、選択によって物語が少しずつ変わります。たとえば山の中で喧嘩している夫婦に出会い、「自分たちが離婚したとして、君達が僕らの息子なら父親と母親のどちらについていくか」と質問されるなどがその例です。ちなみにこの選択肢は、2人のプレイヤーの答えが合致しなければ先に進めないようになっています。
 化け物に襲われる場面でも、プレイヤーは「自分と相手のどちらが残るか」の選択を迫られます。私はゲーム内で出てくる選択にいつも「いっせーの」と声をかけてフォロワーさんと同時に答えを選んでいたのですが、この時に初めて一緒に遊んでいたフォロワーさんとお互いが「自分が残る」という選択をして、異なる選択肢を選びました。そしてその時に初めて、2人のプレイヤーの答えが合わなければ先に進めない仕様に気づきました。
 それまで同じ答えを選び続けていた相手と、お互いを思いやるが故に初めて違う答えを選び、ゲームの仕様でそれに気づかされるという体験は個人的にとても大切なゲーム体験になりました。
 

 結局片方の少年は一度シーソーを使って上へと逃げるのですが、残された少年の悲鳴を聞いて戻ってきます。そして「ぼくの友達から離れろ!! やっぱり見捨てるなんてできないよ!! きみを置いて逃げるくらいならぼくも一緒に死ぬ!!」と叫んで化け物に立ち向かいます。ここで私は三度目の友情パワーを食らって粉々になりました。
 大人になってから見ると眩しくて目を逸らしたくなる人もいそうなくらいの純粋で真っ直ぐな2人の友情は、子供の頃だからこその特別な光を持っています。こんな風に面と向かって相手を大切に思う気持ちを伝えるような、命の危機に瀕した時すぐさま自分を犠牲にしてでも助けたいと思えるような、ほとんどの大人が置き去りにしてしまった友情を「違う冬のぼくら」ではもう一度経験することが出来ます。

 2人の友情はその後も末永く続いた――というわけではなく、きっと多くの人達がそうであるように自然と疎遠になり消滅してしまいます。1周目をクリアした時、主人公は子供の頃に体験した冬の出来事を思い出しながら、今までもこれからもきっと手に入れることのないだろうかけがえのない友情に思いを馳せ、あの友情を唯一の心のよすがにしながら鬱屈とした現実を生きていくといったエンディングを迎えます。
 寂しい終わり方ではありますが、プレイヤー自身にも思い当たるところのあるような永遠に続くわけがなかった子供時代の友情を懐かしむ思い、確かに存在していた眩しい日々を大切に思う気持ちを描いて終わっていく1周目のエンディングは、個人的にとても好きなエンディングです。
 

3.もう一人の友達

 「違う冬のぼくら」には、主人公の2人の少年以外にもう1人男の子が出てきます。それが先述した「ハル」という男の子です。ハルと少年たちは山奥で出会い、洞穴で共に話しながら一晩を過ごします。
 ハルは2人の少年と同様、家出してきた男の子です。彼らの両親は3年前に家出したハルを山まで探しに来ていて、長年行方不明のハルを巡って言い争いを続けています。息子を探している夫婦2人の姿を見ている少年たちはハルに「家に帰った方がいい」と伝えますが、ハルは「帰りたくても帰れない」と泣きながら話します。

 片方の少年にはあらゆる生き物が動物に、もう片方の少年にはあらゆる生き物が機械に見えている世界の中で、ハルだけは唯一普通の人間の見た目をしています。異常な視界で正常に見えているハルが、正常な視界ではどのように見えるのかというのは、少し考えればたどり着けるところだと思います。物語の終盤に少年たちの元に現れる化け物の正体が、ハルなのです。この見た目であれば、彼が「帰りたくても帰れない」と言うのは納得です。

 ここではどうしてハルがこのような姿になってしまったのかを、作中で出てくる話から少しだけ考えてみたいと思います。

 2人は頂上を目指して山を登っている途中で、銃を持ったおじいさんと猟犬に襲われます。視界に明らかな異常が起きているにもかかわらず少年たちが山頂を目指して進んでいるのは、おじいさんから逃げるためでもあります。

 世界が機械に見えている少年の視点では、おじいさんの住む家に入ることができます。そこにはおじいさんの家族を管理しているAIと名乗る機械が居て、おじいさんが動物型の機械やヒト(元の世界でいえば野生動物や山にやってきた人間)を殺し、そのパーツを集めて娘と妻の形をしたツギハギのオブジェを作っているのだと話します。管理AIは、凶行に走っているおじいさんの過去についても話してくれます。

「じいさんはこの家で育ったんだ。赤ん坊のころから知ってるよ。
成長して大人になって、結婚して子供もできて……幸せだっただろうな……
でも突然この家が暴漢に襲われた。じいさんが気を失ってるうちに娘さんは殺されて、奥さんも乱暴されて……じいさんが目を覚ましたときには奥さんは自分で命を絶ってたよ。
でもじいさんはそのあともひとりで力強く生きたんだ。二人の命を無駄にしないように、真面目に実直にひとさまのために働いてたよ。
無理をしすぎてたんだろうな。年をとってじいさんになって、おかしくなっちまったのさ。
でもオレは、じいさんには命が尽きるまで好きにしてもらいたいと思ってる。少なくともいまのじいさんには奥さんと娘さんが生き返るかもしれないという希望がある。
狂っちまってもおかしくない不幸に耐えてまともでいつづけたんだから、そろそろ思う存分狂って幸せになってもいいんじゃないかってな」

 おじいさんの凶行についてどう思うかは人それぞれなところですが、ハルについて考える上で重要なのは「おじいさんが野生動物だけでなくヒトをも殺して回っている」「おじいさんは動物の一部をツギハギにして人の形をしたオブジェを作っている」ことです。

 家出して山にやってきたハルはもう3年間家に帰っておらず、彼の父親はハルがもう死んでしまっているのではないかと頭の片隅で考えています。父親の予想どおり、ハルは恐らく気の狂った老人に殺されてしまったのでしょう。それからオブジェを作るために死体を解体されたと考えられます。エンディングで老人の顛末について主人公が独白する場面でも、老人が殺した人間の死体を解体している描写が見られます。

 そして解体されたハルの死体は他の動物の肉や骨と繋ぎ合わせられ、あのような化け物になってしまったのではないかと私は考えました。

 化け物の正体がハルなのではないかとは1周目でも察せられますが、2周目では更に詳細な描写が入ります。2周目の最後に、ハルは一瞬だけ正常な人間の姿に戻って、2人の少年に化け物の自分と一晩一緒に過ごしてくれたお礼とお別れを告げてどこかに言ってしまいます。

 この出来事を切欠として、2周目では最後のエンディングも変化します。1周目では子供の頃の思い出を胸にしまい込んで終わるだけだった主人公は、電話を取りだして、「会いたい友達がいる」と言って自分の親に連絡を取り始めます。このとき、本編で町長の父を持つ息子を操作していたプレイヤー側の主人公は父に連絡をし、スナック勤めの母を持っている息子を操作していたプレイヤー側の主人公は母に連絡をします。
 多くのプレイヤーは、プレイヤーごとに視界が変わるのはあくまでもゲーム本編のみであって、プロローグとエピローグはどちらのプレイヤーも共通していると思い込むでしょう。2つの画面で見えている光景は残業帰りの男性が電車に揺られている光景で、一見特に違いもありません。
 しかし、エピローグでプレイヤーによって違う話をし始める主人公たちを見ることで、このゲームはパズルゲームを解く本編だけでなくはじめから終わりまで違う人間の視点で物語を見ていたのだと気づかされます。よく見比べれば、それぞれのプレイヤーが見ていた画面では電車の内装や大人になった主人公の服装が少しずつ違っています。

 先ほど「違う冬のぼくら」は、主人公が子供時代の思い出を回想する形で物語が始まると書きました。ゲームを始めたプレイヤーの多くは、2人の少年のうち片方が子供時代の思い出を回想しているのだと考えるでしょう。しかし実際には、大人になった2人の少年は全く同じタイミングで子供時代の思い出を回想し、同じタイミングで「もう一度あの友達に会いたい」と親に連絡をしたのです。
 先述したとおり1周目のもの寂しい終わり方も私はかなり好きだったのですが、それと同じくらい2人の少年の真っ直ぐな友情が出来るだけ長く続いて欲しいとも思っていたので、2周目のこのエンディングを見た時は心から嬉しくなりました。

スナック勤めの母親を持つ息子の電話

「あ、母さん? ごめんこんな遅くに。あのさ、ちょっと聞きたいことがあって……
その町の町長いるだろ? 連絡先を教えてほしいんだけど。いや、絶対知ってるだろ? 町の男は全員知り合いなんだろ?」
「……」
「そんなつもりないよ。ただその息子と連絡をとりたいだけ。なにが目的って……そんなの、僕もわからない……
でも……でも、あいつと一緒に……あいつと一緒に会いたい友達がいるんだよ。会わなければならない友達がいるんだ。だから――」

 2人が話している「あいつと一緒に会いたい友達」とはハルのことです。この後2人が無事に連絡を取り合えたのか、ハルと会うことができたのは分かりません。それでもきっと3人が山の奥でもう一度出会えていたらいいと願わずにはいられない、春を間近に迎えた冬のような温かさが、2周目のエンディングにはあります。ゲームの季節が冬で、2人が会いに行くもう1人の友達の名前が「ハル(春)」であるのも、そういった意味が込められていたらいいなと思います。

 余談になりますが、家出したハルを山まで探しに来ていた父親はハルと血の繋がった親ではありません。ハルの母は息子について、「気づいたらあの子を身籠ってた。父親が誰かもわからなかったけど、わたしはあの子を産みたいと思ったの」と話します。
 ここで思い出されるのは、女遊びが激しいという町長の話です。もしかすると、2人の少年が腹違いの兄弟であったように、ハルの母も町長がかつて遊んでいた女性の1人で、ハルもまた2人の少年にとって腹違いの兄弟だったのかもしれません。


4.おわりに

 「違う冬のぼくら」は、2Pプレイ専用ゲームとして程良い難易度とボリュームであり、誰もが大事に持っているような子供時代の思い出に浸れる物語が魅力のゲームです。パズルゲームを解くためにお互いが見えている世界について伝え合う以外にも、物語の要所に出てくる選択肢でどちらを選ぶかによってもきっとプレイヤーごとに意見が分かれ、時にそれを擦り合わせるため話し合いが行われるのだと思います。そういった個人の価値観に根ざした話し合いをするという面でも、制作者さんの「プレイした二人が唯一無二の親友になればいいな、もしくは壊滅的に喧嘩して絶交すればいいな」という思いが伝わってくるように思います。

 ゲーム本編が本当に美しい終わり方で、クリアしてからずっと一緒に遊んだフォロワーさんと一緒にスタンディングオベーションが止まらなかったのですが、8月上旬にはエンディングのその後が垣間見えるような追加要素が含まれたアップデートも行われるそうです。更に現在はsteamのみで販売されているのが、アップデートと同じタイミングでNintendo Switch、iOS、Androidでも遊べるようになるとのことで、こちらの方も楽しみに待ちたいと思います。


 2Pプレイ専用ゲームを見かける度に、ぼっちでゲーム画面と向き合ってる人間に優しくねえなあ!ペッ!と捻くれた気持ちでいましたが、違う冬のぼくらを遊んで2Pプレイ専用ゲームだからこそのシナリオ、演出、ゲーム攻略を経験し、ゲームの魅力をまた1つ深く知ることができました。色んな意味で「遊んで良かった」と心から思えるゲームでした。


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