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改めまして、琉球和製ユニットHiruNori・Hirugiです。

かきだ詩。

病気なったって、元気でいたって
生きてるんだから、できる挑戦はしていたい。

これが私という人間です。

40歳を超えて気をつけていることは

人間関係と話す言葉。

『あぁ、またやってしまった…』と反省も多いけど、自分の人生。
これもまた教訓として生きましょう。

自問自答の日々٩( 'ω' )و
今日も生活は平凡です。

沖縄出身のアーティストHirugiです。

2012年より地元沖縄から東京に拠点を移し、音楽活動をしていましたが、コロナ禍でオンラインを通していろんな人に出会い、現在は毎週月曜日に生配信しているYouTubeと平行しながら、今まで行ったことのなかった場所、北海道から各地でのライブツアーを皆さまの力を借りながら回らせてもらってます。
都会で活動してると忘れてしまいがちな感情をライブツアーで出会った人々と交流する中で思い出し、学びながら日々音楽を届けております。
今の時代、田舎も都会もないけど、やはりリアルにお会いして交流してみないとわからないことはたくさんあります。

だから音楽の旅を通して、
知らなかったことを知って、
学び伝えていくことをHiruNoriは音楽に取り入れて奏でております。

ちなみに東京に住んでるだけで
私は田舎者です(๑・̑◡・̑๑)

田舎は安心感。
都会は自分と闘う場所という認識中。

沖縄から東京に移住した理由。

32歳になる2012年、上京するのにはこれが最後かもしれないと思って必死こいてお金を貯めて上京しました。

沖縄ではそこそこ名前のあるアーティストではあったのですが、その地位とかまで捨てて、なぜ、東京に上京したかって?

沖縄時代、東京からライブに来るアーティストのレベルの高さに憧れて、もう一度上京してチャレンジしたくなったのです。

2012年から遡ること9年ほど前の2003年10月23日。
当時23歳の私はインディーズレーベルより全国デビューを果たし、東京へ上京して、毎月20本ほどのライブをこなしていました。

当時は沖縄のタワーレコードさんではウィークリーチャート一位を獲らせてもらったりとありがたい日々を過ごしていたのですが、慣れない東京生活と若さゆえの健康への配慮が足りなかったのか、翌年の9月に今では難病指定にも認定されている【脳幹脳炎】という大病に罹ってしまったのです。

私が罹ったレベルは死の一歩手前の状態だったらしく、体はほぼ半身不随、目は“複視”でものが二重に見えてそれがどんどん離れて見えている状態、呼吸もままならない、考えてたことを話すと違う言葉を言ってしまったり、脳の認識能力が下がって、文字の意味を取り違え、本を読むのもめちゃくちゃ時間がかかってしまったり、身体は錆びたブリキのような動きなど、さまざまな症状に襲われました。

その大病を機に泣く泣く沖縄へ帰らなくてはならなくなったのです。

そんな私があれから20年近くを経て、何があったのか、乗り越えたのかをここには書き記していきたいと思います。

1人でも誰かのためになればいいなと思いながら。

2023年の今年、私は44歳になる。

私が経験した“脳幹脳炎”からの複視という後遺症や生活の話をどのタイミングでお話ししようかと思っていましたが、ミュージシャンデビュー20周年の2023年を機にゆるーく、マイペースに思い出しながら少しずつ書いていきます。少しでもお役に立てれば!サポートもよろしくお願いします!!