「シャドーハウス」感想と、漫画の「型」について

シャドーハウス、 最初の不気味な雰囲気の作り方はめちゃくちゃ凄いし大好きなんだけど、 話が進むとそれらの雰囲気が消えて面白さの質が変わるな。 「初速型」というか。

「謎を散りばめたからには謎解きパートが必要」って、 一見正しいように聞こえるけど本当にそうなのかなぁ。 いや、さすがに謎は明かされて欲しいのか。 不気味な雰囲気は保ったまま謎は明かされるって、構造上無理だよな。

謎がある程度明かされてからはガラっと雰囲気を変えて、王道少年漫画みたいになったんだよな。 面白さの質は変わるけど、謎や雰囲気で引っ張るのはもう限界だったのか。 エミリコが再度洗脳されたのはかなりよかったから、 そういうアクセントで読者を安心させないってのは大事そう。

不気味謎解き系漫画の"解"は、 初速は不気味な雰囲気と謎で心を掴んで、 解決パートでは王道少年漫画をやりつつ、時々アクセントとして当初の雰囲気を出すってことなのかな。

雨穴のミステリーも不気味謎解き系だけど、 あれは不気味な謎>謎解き>謎解きの結果不気味なオチ って構成されてるね。 漫画みたいに主体的なキャラクターがいなくて、キャラの内面とかが明かされすぎないから最後まで不気味な雰囲気が残ってるって感じかな。

ギャグ4コマに落とし込むなら、 ちゃんとフリオチがありつつも、ひたすら何かを隠していたり、「ほら、霊界ってあるじゃないですか」的な前提部分がズレていたりすると表面のポップさと内面の不気味さでコントラストが出せそう。

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