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小説≪⑧・明日は海の日。なっちゃんと出会った日・⑧≫

   なっちゃんとまた会うことができた、おしゃべりができた。それらは、ももちゃんに対するささくれた気持ちを和らげてくれた。

   婚約をしたということは、婚約指輪を贈ることとプロポーズをすること。婚約指輪は贈ったことはないけれど、ぼくは以前プロポーズをしたことがある。けれど返事はもらえなかった。お断りの言葉すらもらえなかった。つまりぼくは彼女と結ばれる運命じゃなかったってこと。
 
  2人でご飯を食べた帰り、いつものように彼女の家の前まで送った。そこで立ち止まったももちゃんは言いにくそうに口を開いた。
「あの、あおいさん・・」   
   ももちゃんやその母親から、以前のようにご飯に誘われていた。けれど仕事が忙しくてとか、いままで甘えすぎてましたとか、適当な理由を言ってごまかしてきた。仕事なんてさほど忙しくないし、甘えすぎていたなんて少しも思ってない。
「指輪とか、あの」
   それがなんの指輪なのか当然分かってる。
「ああ、そうだね」
   母親にせっつかれたんだろうな。婚約指輪はどうなってるのかとか、プロポーズはとか。そう、母親に。
「考えてるよ」
「うん・・。はい」
   うつむいたももちゃんは唇を少しかみ、悲しそうな顔をしていた。ぼくに何も言わずに婚約の話を進めたことに腹が立っているけれど、それはきっと母親にそそのかされたのだろう。わたしにも意思があるって誇らしげに言ってたんだから、多少なりとも反対はしたんだろう。押しきられたんだと思う。うん、だからももちゃんは悪くない。ぼくをいらいらさせているのは彼女の母親。ぼくは、ももちゃんのように操り人形になるつもりはない。ももちゃんは好きだし、一緒にいたいと思っている。結婚のことだって前向きに考えている。指輪だってプロポーズだって。ネットサーフィンをして、ももちゃんにはこういう指輪が似合いそうとか、どんなプロポーズの言葉を言えば喜んでくれるかなとか、その場所だって2人で初めて行ったレストランかなそれともぼくのアパートかなとか考えている。だけれどももちゃんには母親が付いてくる。考えるだけでいらいらする。結婚したらももちゃんの実家から離れたところで暮らさない?と尋ねたら何て答えるだろう。自信はないけど、と即答してくれるだろうか。それともお母さんが、とぐずるだろうか。
「さよなら。またね」
  きびすを返した。ももちゃんの返事がないことに気が付き振り向いた。彼女は瞳に涙をいっぱいためてぼくを見ていた。
「ど、どうしたの?」
「なんでもない」
   涙声で言われたら心配しない訳にいかないじゃないか。
「なんでもなければ泣いたりしないでしょう」
「あおいさんが悪いから」
    涙をぽたぽた落としながら言った。
「え・・?」
   ぼく、今日なんかしたかな。2人で意見を出しあって待ち合わせ時間なんかを決めた。✕✕で待ち合わせて、✕✕でご飯を食べて、ももちゃんのワンピースを2人で選んで、カフェに行って・・。心当たりがない。それともやっぱり指輪のことだろうか。
「いつもは手を握ってくれるのに、今日はそうしてくれなかった」
「え・・?」
  手を握るだの握らないだのなんて意識してなかった。でも泣くくらいだからももちゃんは相当気にしていたのだろう。
「ご、ごめんなさい」
  ぼくはももちゃんの手をぎゅっと握った。
「痛いっ」
   思っていた以上の力が出たらしい。
「ごめん」
  手の力を緩めた。緩めすぎて思わず手を離してしまった。なので握りなおした。
「あおいさんっておもしろい人」
   涙を拭った彼女はくすくす笑った。なんだかおもちゃにされた気がするけど、まあ、彼女が笑ってくれたからそれでいいや。
「今度はちゃんと手を握ってね。会ってから帰りまでよ」
「ううん。それは難しいな。せめてご飯を食べるときは離そうよ」
「大丈夫。私が食べさせてあげるから」
   冗談とも本気とも言えない言葉にぼくは半笑いした。
「じゃあ、頼もうかな」
「うん。約束よ」
    ぼくはももちゃんを軽く抱きしめた。そしてその額に口づけた。ももちゃんのお父さんが家から出てきませんようにと祈りながら。
「後でメールするね」
「私もする」
   彼女からそっと手を離した。ももちゃんは顔を赤く染めながら、さよならと言った。ぼくもさよならと言った。どうしてだか分からないけれど、彼女の顔をずっと見つめていた。それはとても心地よい行為だった。
「変なあおいさん」
  にこりとしたももちゃんはそう口にした。

   地下鉄のなかでいすに座り、うとうとしていたらラインの通知音が耳に入った。ももちゃんからだった。
【明日が金曜日だといいな】
   来週の土曜日に会う約束をしていた。
【ぼくも】
【あおいさんにすぐに会いたい】
   なんの脈絡のない言葉に一瞬意味が分からなかった。4回読んだ。そしてやっと意味が分かった。完全に目が覚め、頬が真っ赤になった。そしてスマホを床に落としそうになった。ぼくはこの動揺が車内にいる人たちに伝わってしまうかもと思った。
【ぼくも、ももちゃんに会いたい】
    胸がどきどきする。すぐに会いたいなんて。そんなこと生まれて初めて言われた。
【あおいさん。わたしの夢を見てね】
【そんなの分かんないよ】
【だめ。わたしの夢にはあおいさんが出るんだから、あおいさんの夢にはわたしが出るのよ。約束して】
【はあい。わかりました】
   結婚したら、ももちゃんの尻に敷かれるんだろうな。最近のももちゃんは意思を表示している。しっかりしていないぼくは、引っ張ってくれる人と結婚するのがいい。


   ももちゃんと結婚しよう。ももちゃんを幸せにしてあげたい。それに、それに、図々しいかもしれないけどぼくを幸せにしてほしい。ぼくはもう泣きたくない。もうあんな辛い思いをしたくない。


❇️読んでいただいてありがとうございます。セクハラをした相手をどうすれば追いつめることができるのか毎日考えながら仕事をしています。そのまた上司に報告、本社と支社みんなへの周知。それでものうのうと仕事してるのを見てると殴りつけたくなります。絶対に首にさせてやるからな!!