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レースのカーテン、さらさらと

   最近、リビングのレースのカーテンを買いかえた。太陽に長年照らされたそれが黄色く変色してしまったから。ソファーに横になりウトウトしながら、風に吹かれてさらさらと動いているそれを何となく見ていた。そしたらあの頃のー思いだしたいような思い出したくないような思い出が脳裏に浮かんだ。

  それは中学2年生のこと。中学校には、あちこちの小学校に通っていた子たちが集まっていた。彼はそのどこかの小学校に通っていた。2ヶ月に1回席がえがあったけれど、彼はそれに加わらなかった。クラスメイトはおろか、先生すらなぜか抗議しなかった。教室の一番後ろの窓ぎわの席が彼の指定席。席がえは何度もあったけど、彼はそこにいつもいた。彼は見えないバリアを巡らしていた。入学早々学ランを気崩し、どこか影があり、達観した目をしていた。それは生徒どころか、どの教師にも向けられていた。トイレから帰ってくると彼は必ずカーテンで手をふいたので、カーテンはそこだけ汚れていった。『カーテンで手を拭くのはやめなさい』怒りをふくんだ声で先生は注意したけど、彼が意にする様子はなかった。謝罪なんてせずに、冷めた目を向けるだけだった。彼は終業のチャイムが鳴り終わるころには教室から消えており、始業のチャイムが鳴り終わるころに帰ってきた。どこで誰と何をしているかなんて聞く勇気を誰も持ち合わせていなかった。校舎の裏で彼が上級生と煙草を吸っているのを誰かが見たらしい。その噂はあっという間に広まった。上級生と対等に話しをするとか、煙草を吸うとかーあたしたちにとっては未知の世界。みんなは彼とますます距離を置いた。

   夏になるとカーテンはレースに取りかえられた。彼は午後になると、かならずうたたねをした。頬づえをついて。風に吹かれてレースのカーテンはさらさらと彼に触れた。それを気にする様子もなく、すやすやと眠っていた。タイトルは≪眠る男≫とでも言うのか。ヨハネス・フェルメールはそんなタイトルの絵画を描いたかもしれない。お金と時間があったらオランダに行って確かめてみよう。あたしはクラスのなかではおとなしいグループに入っていて、別世界に住んでいる彼とはクラスメイト以外の共通点はなかった。なのになぜか彼は、あたしに毎日おはようと笑顔をむけた。あたしは返事をする勇気がなくて会釈だけした。それでも彼はあいさつをやめなかった。その行為は、相手を好きだと言う感情でもなければ友情でもない、なんて言うんだろう、お互い足りないものを補う同士とでも言うのか、お互いに秘密を隠しあう仲とでもいうのか。当然そんな秘密はなかったけど。なんだかよくわからない関係に思えた。彼が怖いからか、そんな関係を誰もからかわなかった。

   彼が県内のどこの高校に行ったとかそれとも県外か、そのまま就職したのかということを誰も知らない。彼にはクラスメイト以上の関係の、たとえば友だちとか親友とか、そんな人はいなかった。いつも一人でいた。だけど淋しそうには思えなかった。近づかないでオーラを常にだしていた。だから、彼が今どこで何をしているかのうわさすら流れなかった。

   はたちのときに、同窓会があったけれど姿を現さなかった。幹事によると電話はつながらなかったらしい。住所は誰も知らず葉書も送れない。5年後にも、そのまた5年後の同窓会にも来なかった。

    あの人、どうしているんだろう。心地よい風が、リビングにフワリフワリと何度も入ってきた。どうしているのかな。眠気にかられ目を閉じてた。どこにいるんだろう、何をしてるんだろう。いま幸せなんだろうか、結婚してるんだろうか、子供はいるんだろうか・・ふううと息をはいた。あたしはゆっくりと夢の世界に落ちていった。


❇️読んでいただいてありがとうございます。青春時代の1ページです。半分は創作ですが。ずる賢くて図々しくて汚ない世界を知ってしまった今では、こんなさわやかで心が澄んで清らかな時には戻れません。オチはありませんが、とにかくキレイな話が書きたかったのです。