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短編小説『とりこまれる』

   煙草の吸いかたを教えてくれたのは父親だった。恩に着ているけど同時に恨みもしている。

  フィルター側(その頃の俺はフィルターがどちらかも分からなかった)を口にくわえる、力強く吸う、口に煙をふくむ、煙を吸いこむ、口のなかにとどめる、口から煙草を離して煙を少し出す、空気を吸って煙を肺に入れる、深く息を吸って肺まで煙をおとすようにするーーなんて、父親は実践しながら教えてくれたけど、才能がないのか、コツが分からないのか最初は咳こんでばかりいた。 就職が決まり暇をもて余していたころ、もう少しやせたらモテるかなとダイエットを始めた。1日2食生活にしたら、いつもお腹がすいていて毎日いらいらした。『煙草を吸うとご飯をたべたくなくなるな、俺は』友人のアドバイスに従った。煙草を吸いはじめると、食事の量は確実に減った。入社までの4ヶ月間で体重は5キロ減ったし、煙草を上手く吸えるようになった。オレにとっては良いことずくめだった。でもただ1つ後悔したことがある。それは部屋の壁がヤニで黄色くなったこと。退去するとき不動産さんから壁紙の交換代としてそこそこの金額を請求された。でも、まっ、いっか。やせることができたし、何よりも煙草を美味しいと思えるようになったから。

   学生時代もふくめて、 いままでそこそこの数の女の子と付き合ってきた。顔とかスタイルとか年齢とか、人によってこだわりがあるだろうけど、俺が求めるのは喫煙を許してくれること。『煙草吸ってるの?あたしは全然へいき』なのにコンパで出会ったその彼女とは、俺がヘビースモーカーと知ると連絡が取れなくなった。彼女がトイレに行っている間に煙草を3本吸ったのが気に入らなかったのかな。わかんねえけど、どうでもいいや。

  入社して5年して、友人の紹介で2つ上の女性と知り合った。彼女はとにかく優しくて俺を甘やかせてくれた。『ギャンブルをする人や借金をする人はだめ。煙草くらいなら・・』 彼女とは付き合って3年で結婚した。彼女が30才の誕生日に籍を入れた。すぐに妊娠がわかった。『赤ちゃん、3ヶ月なんだって。だから煙草やめてね。医師が言ってたわ。受動喫煙でも病気になるリスクがあるって。それに子どもは気管支炎や喘息になりやすくなるんですって』彼女は言った、ほとんど目立たないお腹を大げさにさすりながら。

   以前は1日に煙草を1箱吸っていた。妊娠報告を機に半分に減らした。だけれど、どんなにがんばってもそれ以上減らない。『ニコチンガムを使ったら?』健康番組を一緒に見ていた彼女は提案した。『ああ、うん』こんなヘビースモーカーがガム程度で煙草をやめることができるとは思えない。だけれど彼女の提案に反対できる真っ当な意見はない。薬局でニコチンガムを購入した。煙草を吸いたくなったらガムをかむ。煙草を吸いたい気持ちやイライラが和らぐ。禁煙に慣れてきたら少しずつガムの数を減らす。それだけ。簡単なこと。大人だったら誰だってできる。けれど俺に強い意志がないのが原因か、どんなにガムをかんでも煙草を吸いたい気持ちが収まらないのが原因かは分からない。煙草とはお別れができなかった。

   次の手段として病院へ。禁煙外来に。ついてきた彼女が言いたいことは分かっていた。素人がどんなにやめてと言ってもやめないから病院に連れていくんだからね、近からずも遠からずだろう。医師は、煙草の悪影響を長々と口にした。煙草の本数が増えるほどニコチンの摂取量がふえる、ニコチンに依存するようになる、ますます煙草が吸いたくなる、と。それに生殖機能もおとろえますよ。2人目を望んでいる彼女の問いに医師は答えた。「はい、分かりました」「返事だけではだめよ」子ども扱いする彼女のことばにイライラしたけど、うなずく以外の選択肢はない。処方された薬はバレニクリン。ニコチンガムより効果がずっとあります、と医師は言った。禁煙を1週間する、8日目から薬を飲む。12週間服用する。それだけ。これだって大人なら誰だってできる。簡単なこと。なのに治療の途中で煙草を吸ってしまった。1本だけと自分に誓ったのに1箱すべて、20本。彼女には、薬を飲み始めてから頭痛がひどくなったし、不眠にもなったから仕方なく吸ったんだと訳のわからない嘘をついた。イライラする。イライラを押さえるために煙草を吸いたい。でも吸わせてもらえない。もっとイライラした。口さびしいから何か食べたいけれど太りたくないから食べたくない。そうだ、ニコチンガムがある。ガムを噛めば満腹中枢を刺激する。それに禁煙を補助するためのガムなんだから、いくらでも大丈夫だろう。最初のころこそ口さびしさはやわらいだけど、再びイライラし始めた。貧乏ゆすりがとまらない・・。火をつけないならいいだろうと煙草をくわえた。鼻の奥につうんとくるメンソールのにおい。なつかしさに涙がでそうだった。でも吸えない。それに家の中にライターはない。ともに病院に行ったその日、彼女は100円ライターとジッポライターを捨ててしまったから。 

「私とこの子のために煙草をやめて」息子が生まれてから俺は、一度も抱かせてもらえてない。だっこするときは息を止めるからいいだろ、いやよ。服が煙草くさいからだめ。またイライラした。彼女のいないところで吸った。自宅はだめ、公園なんかの外も当然だめ。コーヒーなんて飲みたくないけれど煙草を吸いたいがために、喫煙できる店を探した。帰宅前には消臭剤を服にかならず吹きかけた。必要以上にシャワーを浴びたし、子どもが生まれてからは寝室は別になっていたのでバレていないと思ってた。 

  ある日帰宅すると、キッチンのテーブルに離婚届けと結婚指輪がぽつんと置いてあった。結婚する前に2人で選んだテーブル。ここで2人でご飯を食べた。数年後に3人でご飯を食べた。彼女は出ていった。それでも煙草をやめられない。煙草と家族を天秤にかけたら、どっちが大切なんて明確なのに。

    病室の窓からぼんやりと外をながめた。ぐさぐさになった指輪をさわりながら。いつまでも捨てることができない。彼女は再婚したと聞いた。子どもは小学生になったらしい。両親は見舞いに来るたびに、息子の写真を持ってきてくれる。彼女は写っていない。理由なんて聞かなくてもわかる。自分の写真ですら見せたくないってこと。再婚相手の子がお腹にいる彼女、その人の2人目の子がお腹にいる彼女。そういうこと。

   終わり、終わり、終わり。もう、ぜんぶ終わりだ。


✴️読んでいただいてありがとうございます。煙草は吸わないし、臭いも吸う人も大嫌いです。近くにすら行きません。なので吸いかたすら知らないので、これまた調べまくりました。おじいちゃんは煙草を吸ってたけど大好きだったのにな😀