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小説≪1・ねえ、だれかぼくをあいしてよ・1≫



      ねえ、だれかぼくをあいしてよ


   お母さんが家を出て行ったのは、小学校2年生のとき。ぼくの耳もとで『ゆうちゃん、連れていけなくてごめんね』。寝入ったばかりでウトウトしていたけれど、確かにそう聞こえた。『おかあさん・・?』ぼくはとても疲れていた。その日は金曜日で、5時間目は体育でドッジボールをした。コートの中を逃げまわり、コートの外でも走り回った。かなしばりにあったみたいにからだは動かなかった。

 小学生低学年のころの遊び相手は、お母さんと近所に住む年下の子たちだった。その子たちが小学校に入学すると同級生と遊ぶようになってしまい、ぼくの遊び相手はいなくなってしまった。

   親戚のおばさんが言うには、結婚した当時からお母さんとおばあさんの仲は悪かったらしい。気の強いおばあさんの言動に耐えられなくなって、お母さんは出ていってしまったそうだ。本当はぼくを連れて行きたかったけど、長男だから置いていけと言われた、と。

   何年かするとお父さんは再婚した。お父さんよりも7歳も年下らしい。とてもきれいな人だった。お父さんとこの人の間にはお金がからんでいるじゃないか、この人はお父さんにだまされて来たんじゃないかと思うくらいアンバランスだった。再婚と同時に、ぼくらは引っ越しをした。それまで住んでいた、お父さんの実家からうんと離れた土地にあるマンションに。最初からそうしたらいいのに、そう思ったけどお父さんが怖くて子どものぼくには言えなかった。今だったら言える、お母さんと結婚したときにおばあさんと別居してよ。そしたらお母さんが出ていくこともなかったのにと。2年ほどして産まれた弟もお義母さんに似てとてもかわいかった。お義母さんがうちにやって来たときに『遠慮なく甘えていいからね』と言ったけど、やっぱり可愛いのは自分の産んだ子どもだと思う。子ども嫌いのお父さんさえ弟にメロメロだった。つまりぼくは両親がいながら、2人にちっとも愛されなかった。弟の名前は愛真という。読み方は【えま】。お父さんは、みんなから愛されてまっすぐな性格で正直な人間になって欲しいから愛真と付けたと言った。最初は、変な名前だなと思ったけど、お義母さんが愛真ちゃん愛真ちゃんと言っているのを聞いてるうちに何とも思わなくなった。いつだったか、ぼくの名前の優由【ゆう】の由来を聞いたとき、お父さんは特にないなと答えた。期待してなかったけど。

   弟は少し大きくなると『にちゅん。にちゅん。しゅき』と舌足らずな声で言い始めた。弟はかわいかったけど、その一方でその顔を見ると、ぼくは1人きりだとそう思う。この家には3人で暮らす一家族と1人で暮らしている人間がいる。間借りをしている感じがした。疎外感を感じた。ぼくだけがヨソの人間。お父さんが生まれたばかりの愛真を見て、笑顔になったのを見たときにそう思った。いや、もっと前から。お父さんがお義母さんを紹介したとき。お父さんがお義母さんと再婚すると言うことは、つまりもうお母さんとは結婚する意思はないということ。お父さんとお義母さんは2人家族になった。そこに愛真が入って3人家族になった。3人がぼくを拒否している訳じゃない。拒否どころか、ことあるごとにお義母さんはぼくを気にかけてシュークリームやチーズケーキを買ってきてくれた。愛真は赤ちゃんみたいなものだから、ぼくに気をつかってにちゅんにちゅんと言っているのではないし、誰かに言わされているのでもない。お父さんはぼくが子どもの頃から興味がない。お義母さんは優しいし、愛真はかわいい。けれどその3人のなかにぼくはどうしても入れなかった。

   愛真はしょっちゅう、あぐらをかいているぼくの膝に上って体にぎゆっと抱きついてきたり、立っているぼくの足もとにぎゅっと抱きついてきた。お義母さんにいつもそう甘えてるから、単にそうしたに違いない。それとも2人にそう言えと言われたのかも。ぼくがぎゅっと抱きしめかえすと、弟はきゃあきゃああと喜んだ。でもぼくはーぼくは弟に抱きしめられたいんじゃない。ぼくはお母さんに抱きしめられたいんだ。だけどそんなこと弟に分かるはずがない。弟はことあるごとにぼくを抱きしめてくれたけど、何の嬉しさも感じなかった。両親が弟を愛してるように、


       ねえ、だれかぼくをあいしてよ。


    高校の卒業とともに家を出た。別に高校の卒業と同じでなくてもよかった。1人暮らしができるぐらいのお金と知識を持ち合わせていれば、小学校を出たときでも中学校を出たときでもいつでもよかった。 5つになったばかりの弟はそれを知ってから毎日泣いてさみしがった。にちゅんと一緒に寝ると言って、眠くなると自分からぼくの手を引き、ぼくの布団で眠りについた(完全に寝てしまうとお義母さんがベッドルームに連れて行ったけど)。それはぼくが家を出るまで毎日続いた。一人暮らしをすると言ったとき、お義母さんはとても心配して困ったらすぐに連絡してね、すぐにアパートに行くからねと言ったけれど、お父さんはまあ、頑張れよと言っただけだった。

  その日も愛真はぼくのベッドで眠りについた。いつものように、しばらくするとお義母さんが愛真を連れにきた。『お兄ちゃん』いつもはおやすみと言って愛真の手を取りすぐに出ていくのに、その日はなかなか出ていこうとしなかった。明日から少し気が楽になるな、うれしい。愛真はにちゅんにちゅんと言ってるけど、ぼくのことなんかすぐに忘れるんだろうなとさみしくも思っていた。『お兄ちゃんのお母さんのことなんだけど』その言葉に振り向き、お義母さんに目を向けた。『その、再婚されたんですって』言いにくそうに口を開いた。瞳孔がばっと開いた。『お父さんが、あの、お兄ちゃんに言ってって。お父さんから言ってくれたらいいのに』どうしてそんなことを言うんだろうと、お義母さんを一瞬恨んだ。でもその後の言葉を聞いて相手が変わった。恨む相手はお義母さんじゃない。お父さんだ。『3年前に再婚されたって。いまは少し遠くに住んでるってお父さんが』お義母さんは続けた。『お父さんが住所を知ってるの。お兄ちゃんが知りたかったら、お義母さん聞いてくるわ』この人にそんなことをさせるのは気の毒だ。かといって、どんなやり取りをしたらお父さんが教えてくれるかわからない。『いいよ。あの人はもうぼくのお母さんじゃない』お義母さんは一瞬で笑顔になった。『おやすみなさい。明日お弁当を作るわ。あっちで食べてね』お義母さんは何かモゴモゴと寝言を言っている愛真を起き上がらせた。ベットからおろし、手を取り部屋を出ていった。お母さんが再婚、そんなこと教えてくれなくてもいいのに。お父さんも言っておけって強制するとか、お義母さんもぼくに教えるとか、そんなことしなくていいのに。黙っておけば、ぼくに内緒にしとけばいい。それにこんな日に言わなくてもいい。いや、違う。この家にいる最後の日まで言えなかっんだろうな。お義母さん、ほっとした顔をしてたな。いつ言おうとか考えたり、なかなか言えなくて毎日ため息をついただろうな。それを伝えろって言ったお父さんを恨んだだろうな。お母さん、そっか、再婚か。どこに住んでいるのかな。どういう人が相手なんだろう。子どもはいるのかな。そんなことを考えていたら、ふうっと大きなため息がでた。ぼくはこの家をでる。本当の【1人暮らし】になる。これからは、お父さんともお義母さんとも愛真とも離れて暮らす。


✴️読んでいただいてありがとうございます。ランジャタイの伊藤さんがモデルです。何かのユーチューブで見た、誰かぼくを愛してよという言葉が印象的すぎてテーマにしました。祖父母から愛情を受けていたし、父母からはこの年齢になっても愛情を受けているので誰かから愛して欲しいという気持ちがよく分かりません。誰かを好きになって、その人から好きになってもらえばいいのにな。角刈りになって、顔立ちの良さを世の中の人に知らしめることができたんだから、もう少し積極的になって相手をほめまくったり、特別扱いしたら彼女なんていくらでもできそうなのに(御本人さま、ファンの皆さま、勝手なことを書いてすいません)。