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打ち上げ『花火』とミスチルの『HANABI』

  打ち上げ『花火』といえば、わたしにとってはミスチルの『HANABI』。


   散歩をしていたのこと。バラバラと大きな音を立て、どこからかヘリコプターがやって来て、病院の屋上に止まり、何かを行う仕草をし、同じ方向に消えて行った。ミスチルの『HANABI』が主題歌のドラマや映画を思い出した。あそこには人のいのちを助けようと懸命に尽力している人たちがいる。作り物の世界ではなく現実に。真実は小説よりも奇なりと、ヘリコプターが消えて行った方向をいつまでも見ていた。


  ミスチルといえば10年以上まえに職場で知りあった人のことを思い出す。半年という期間限定の仕事だった。国を挙げての大イベントで、広いエリアに働く場所はたくさんあった。そんななか同じ場所で働くことができるのは奇跡に近かった。久しぶりに誰かを好きになった。新鮮だった。トオ下くらいのアルバイトの女の子は言葉も態度も明らかに邪魔をしてきた。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ、と毎日思っていた。(後々聞くと、彼女は家族と住む自宅に彼氏をすぐに連れ込む人で、男なら誰でも良かったらしい)わたしは物覚えが悪くてお荷物になっていたと思う。彼はリーダーだし、アルバイトの面倒をみないといけないし、売り上げも考えないといけない。捨て置けばいいのにそうしなかった。だから余計に好きになった。早起きも苦にならなかったし、自宅アパートから職場への長い長い道のりも嫌ではなかった。勘の良い同じアルバイト仲間から、ね?と言われたこともあった。仕事が始まった当初はなんとなく好きだなだったのに、何ヵ月か経つうちにこの人が好きだと思うようになった。そこから学んだことがあって、相手がものすごく好き!!!!と思ってから告白してはだめ。なんとなく好きかものときがベスト。!!に、そして!!!!になったら、どもった告白しかできなくなる。言いたいことが伝わらないし、変な人としか思われないから。現になんだか変な告白になってしまった。そもそも告白だと思われなかったかもしれないな。


   隣りの市ではミスチルのHANABIがテーマソングらしい。いつからそうなったのか知らない。音楽を聴きながら見ることができる花火はそこだけなので楽しみにしてたのに、花火が台風で延期のまた延期になった。うちの市と、少し離れた市と、隣の町の花火は行われたってのに。市民のかたの誰かが何かしたのかな?と勘ぐり。まあ、運が悪かったのでしょう。単純に。見に行けたのはうちの市の花火だけ。離れた市のは離れすぎていて行けなくて、隣の町のは行き着けなくて断念。今年見ることができた打ち上げ『花火』はひとつだけ。


   イベントが終わり、彼が地元に帰ってしまってから、同じアルバイト仲間のおばちゃんから彼はミスチルが好きだと言うことを聞いた。ファンのかたには非常に申し訳ないけれど、正直ミスチルという存在を知らなかった。アルバムを買い集めた。片っ端から聞いた。

   彩りを聞いた。くるみ、雨のち晴れ、こんな風にひどく蒸し暑い日、シーソーゲーム、ニシエヒガシエ、君が好き、星になれたら、口笛、名もなき詩、抱きしめたい。などなどなどなど。そしてHANABI。フルで聞いた。そうだ、こういう曲だった。サビのここで花火を上げてたな。もう一回ってサビ、だめだ。なんでこんなに繰り返すんだ。ばかめ。やめろ。連呼するな。これを聴きながら花火見たかったな。初詣行ったり、桜見に行ったり、クリスマスにどっか行ったり、とにかく一緒にどっか行きたかったな。行きたくないと言うのならせめて一緒にいたかった。わたしのなにがいやだったのかな、あの人。あの人、幸せでいるかな。


   いまのわたしとはいえば、つまんない単純作業とはいえ仕事をしているし(仕事とは偉大なるマンネリだと思っている)年相当の貯金もある。好きではないはずのニャンチャンやワンチャンの写真をアップしている方々のツイートに癒されたり、芸人の✕✕さんに、わたしの存在に気がついて&いいねして&リプ返しして&リツイートして&フォローして&会いたい&だいすき&ダイスキ&大好き&愛してる&愛して&お嫁さんにして&結婚したい&運命の人&私の王子様!!!!!と毎日繰り返し書いているファン様の痛ツイートをきゃはははと小馬鹿にしながら読んでたり、ランジャタイぽんぽこちゃんねるとか東京ホテイソンオフィシャルチャンネルとかもう久保田が言うてるから仕方ないやん〆とかのユーチューブをおもしろい芸人さんのファンはウィットに富んだ人が多いなと思いながら見ている。職場には『オキニ』の若い男の子以外には辛辣なことを言うオバサンがいて、怒鳴り声に少しイライラしてたまに殴ってやろうと思うけど、まあまあまだ我慢できる。



   わたしはnoteとツイッターのヘッダーとアイコンのためにわが市で行われた花火の撮影にいそしんでいた。結局、彼の幸せをなんてカッコいいことを書いたけど、写真がたくさん上手く撮れたことがいまのわたしの最大のしあわせ。彼が幸せだろうが不幸だろうが正直どうでもいい。どこでなにをしていても、ふ~ん、あ、そうなん?って感じ。


❇️読んでいただいてありがとうございます。夏の終わりに、夏の終わりの思い出を書きました。できるだけ思い出して限りなく美しいものにしたかったのに、残念、どんなに美しい思い出もどんどん忘れていきますね。時というのは残酷です。今では相手の名前も顔もなにも思い出せません。人というのはひどいものです。いや、わたしがひどい人間なのです。


入道雲
消ゆる空見ゆ
肌寒し


   最後に。お誕生日おめでございます。あなたにとって実りある一年になりますように。