俳句とエッセー⑰『 海山村Ⅱ - 幸行のごとく-文字とは日本語とは 』 津 田 緋 沙 子
行 幸 の ご と く
初 小 春 日 や ホ ー ム の 窓 の み な 開 き し
師 の 文 の 青 き イ ン ク 字 竜 の 玉
渓 流 の 鴛 鳶 追 う て ゆ く タ 日
行 幸 の ご と く 大 河 の 鴛 鴦 の 列
綿 虫 や 迷 ひ 込 み た る 坂 の 町
三 尺 の 寒 鯉 見 む と 着 ぶ く れ て
寒 鯉 を 見 む と 人 寄 る 太 鼓 橋
文 字 と は 日 本 語 と は
新聞のコラムに載った夜間中学の話が胸に泌みた。学校に通
えなかった高齢の人たちの教室。最初の日に黒板に「ちち は
は」と大きく書いたらそれだけで涙ぐむ人がいた。母の点々はお
っぱいだからねと言ったら、 「場所が違うんでは?」 「そんなの
表に出して良いものかね」と返ってきた、と。
先日、文芸コンクールの中高生の随筆原稿にふれる機会があっ
た。まず読むのに苦労した。文字が小さい、鉛筆が薄い、文字の
判読に苦しむ…。 ハズキルーぺをかけた上で虫めがねまで登場で
ある。 パソコン、 AI時代の子ども達にとって文字とは日本語と
はどんな存在かと頭の隅で考えさせられ続けた。子どもの頃読ん
だ、確かクレオの「最後の授業」で、先生は「国を奪われても母
国語を忘れない限り牢獄の鍵を握っているようなものだ」と諭し、
その言葉を私はずっと忘れられなかった。そうだと思う。
高校での 「文学の選択制」が問題になっている。便宜ばかりを
追う社会が、文字や言葉が醸してくれる豊かな時間を、豊かな社
会を、益々子ども達から奪っていくのではないかと私も危恨して
いる。
下記に津田緋沙子さんの「俳句とエッセー」を一つにまとめています。ご一読いただければと思います。
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